身近な所作から今のこの瞬間に戻っていく
最近、身近な生活の中で、 小さな感動を探しては、 スマホで写真や動画を 撮ることにハマっておりまっす。 なぜそんなことをしているかというと、 音楽の作品を作りそこにイメージを重ねてみたい、 という思いがあったのと、
最近、身近な生活の中で、 小さな感動を探しては、 スマホで写真や動画を 撮ることにハマっておりまっす。 なぜそんなことをしているかというと、 音楽の作品を作りそこにイメージを重ねてみたい、 という思いがあったのと、
夢目標ゴールを捨て、 何も目指さない境地があるとすれば、 そこにはただ「純粋なる遊び」がある これは言い換えれば 「好きなことの純度」を 磨いて磨いて磨きまくった、 最後に残るたった1つのもの &nbs
昨日のブログの続きだけれども、 「タイミングを逃してもなお大切な心構え」に引き続き、 今日は「」について、 書きたいと思った。 冬の寒い時期は家の中で コツコツと創作活動していたのだけれども、 「創作が終わって、暖か
自分が思考することを辞め、 その思考する行為すらも誰かにゆだねてしまう、 という大胆な勇気の先に待っている世界がある この記事では、 「思考を手放した先の世界」 について、書いていこうと思う。 そしてそこを見出した時、気づくんだ。
僕は何度も何度も、 自分の在り方(マインド)について重点を置くように 数々のブログ記事を書いてきて、 そんでもって、 論理やノウハウ、アルゴリズムを 要注意的なものとして 取り扱ってきているけども、 &
「好きなことだけ」して生きていくことは、 あまりにも理想論過ぎる、というのはやはり、真実なのだろうか あるいはただの思い込みなのだろうか。 とか知的ぶって回想し
その道。 その道の先に誰かが歩いている。 その道の隣にも誰かが歩いている。 ああ、そういえば、後ろにも、誰かが歩いている。 見渡すと、あちらこちらに誰かが歩いている。 &nb
自分の心揺らぐとき、 相手の心の声が気になり始める 自分の心、落ち着かないとき、 相手の心の声を聞きたがる 自分の心、不安なとき、 相手の心の声を
今日のことわざシリーズ 幽霊の正体見たり枯れ尾花 恐怖や猜疑心があると、人はなんでもないモノでも 恐ろしく見えてしまい、それを怖がり始める。 がしかしまた、人は怖がっているモノの対象を、
「あーん、もう・・・ ワタシはいつまでたっても好きなこと わかんなーい!!!」 「チョロくなんて生きられない―い!」 「頑張るな!って言われても頑張るの辞められないよぉ・・・」 「ゆるくなんて生きられないよー、やっぱり力が入ってしまう・・・」
成功している人の 成功談とか、 上手く行った話とか、 必勝パターンとか、 光り輝くストーリーとか、 そういうものに目が行きがちだけれど、 そういうものにあこがれを抱きやすいけど、 そういうものばかり必死に探し求めてしまうけれど、
祝★ ワシのブログに初の アンチコメントじゃーい! わーい! (((o(*゚▽゚*)o))) このブログに対して、 「ありがとう」 「楽しい」 「イイね」 などの喜びの声はときおり 頂いており、大変うれしく思っており
あなたは変わっていていい。 あなたは人と違っていていい。 あなたは変態でいい。 あなたはあなたのままで強い。 みんなに賛同されなくてもいい(あなたがそれが好きなら) あなたの好きなこと、別に邪道でもいい