「好きなことだけ」して生きていくことは、
あまりにも理想論過ぎる、というのはやはり、真実なのだろうか
あるいはただの思い込みなのだろうか。
とか知的ぶって回想している間にも
「うぁ~ん泣・・・!!!」
ただボーッと時間だけが経過していくほど、
どんどん嫌なこと(好きなこと以外のこと)
が溜まっていきますわwwww
たとえばさ、
なんもせず時間だけが過ぎていくとさ、
部屋の掃除もしなきゃいけないし、
お風呂にも入らないといけないし、
歯磨きもしないといけないし、
電気代の請求書は送られてくるし、
確定申告をしないといけない・・・!
か、確定申告・・・・
恐怖の確定申告
地獄の確定申告
死ぬほど嫌なこと
ワタシにとって1年で一番嫌な時期。
いままで帳簿付けとか最低限だけにして、
ぜーんぶ丸投げしてお願いしていたのに、
その丸投げ先のサービス先が今年から諸事情により使えなくなり、
1年分の記帳を今ごろまとめて始めるワタシ。
これはつまり、言い換えると夏休みの宿題を
8月最終日あたりに全部まとめてやるくらいの辛さ。
しかも帳簿付けの知識とかほぼゼロ。
(これはつまり、夏休みの宿題をする以前に、
「算数のドリルの解き方すらわかんねぇ」とゆーレベル)
だがしかし、これはほぼ絶対に避けられないレベルの嫌なこと。
「好きなことして生きていこう」とか言っても、
やはり、現実世界では、
ある程度の「嫌なこと」は絶対について回る。
そんで、懲りずに「丸投げ」的生き方を
今後もやっていこう、と思ったのだけれども、
次回から別のところに丸投げするにしても、
「丸投げする内容を相手に伝えられるように、自分で一通り知っておこう」
と思い、今年は1から自分で宿題に取り組んでおります。
(本当に涙です)
がしかし、実際に初めて見ると、
そんなに難しいわけでも・・・ない?
難しいっちゃ難しいけど、ネットをサクサク漁れば、
それなりのやり方がすぐ見つかるし、電話で人に聞けば、
かなり的確に教えてくれる!
(なんて便利な世の中なんだ!)
恐怖と思ってずっと避けていたものに対して、
今年はガチでタイマンすることを余儀なくされ、
四面楚歌状態になったとたんに、
覚悟を決めて「よし、やろう!」
を行ったところ、だんだんと理解が深まり、
怖いと思っていたものが、実はラクショーだったと
気づき始める、
な~んてことが起きちゃったりする
どうあがいても他力が吹かないとき
どうしてもこれだけは避けられないとき
そーゆーときは、とりあえず
嫌なことを紙に書きだしてみる。
小さなものから、
大きなものまで、
とりあえず嫌なことを書きだしてみる。
100%完璧主義になんてなれないし、
好きなことだけが難しいことだって多々ある。
だけど、それをひとまず受け入れる。
現実を受け入れる。
今の現状を悲観せず、
そして今の自分を否定せず、
とりあえずそのまま受け入れる。
そして、どうしても避けられない嫌なことを
紙に書いたら、
心の上だけでも、自分に寄り添ってみるのだ。
「コレは嫌だねぇ~」
「やりたくないよねぇ~」
「嫌だぁ~!!!」
感情の面でも、自分を救ってあげるのだ。
嫌の感情を吐き出そう。
溜め込まずに捨てよう。
外に出していこう。
そんで、その上で、
もう一度嫌なことリストを見つめてみる。
改善できるものはないかな?
嫌だと思い込んでいたものはないかな?
実はこの部分だけが嫌で、後の部分は大丈夫、
とゆー部分はないかな?
もっと具体的に「恐怖」と見つめ合っていくのだ。
すると恐怖はどんどん小さくなるし、
嫌なことに対しての拒絶反応も薄まり、
ときには建設的な第三の案が見えてきたりする。
まあ、一言言えるとすれば、
これはやらないよりやった方が、
確実に状況は良くなるね(とたえ少しでも)
とゆーことで、ワタシ、もう9割型、
一人で決算書作成できそうなレベルになれたゾイ!
(もちろん、次回、全部マニュアル化(丸投げ)するために、
たった1回だけ、がんばって覚えた)
普段のワタシ→「怖いものから全力で逃げていい」
切羽詰まったワタシ→「逃げられない恐怖はタイマンで挑む」
(もちろん、がんばる教の要素は、出来る限り減らすし、心の上でもノウハウの上でも
いくらかでもチョロくできる道をいつも探るようにすることは心がけたい!)
そしてはやくお外に出て遊びたい
そんじゃ