流れに沿って生きることの大切さ

 

 

昨日のブログの続きだけれども、

「タイミングを逃してもなお大切な心構え」に引き続き、

今日は「」について、

書きたいと思った。

 

 

 

 

冬の寒い時期は家の中で

コツコツと創作活動していたのだけれども、

「創作が終わって、暖かくなったら旅とかしちゃうか!ワクワクすっぞ!」

と3月は夢膨らませていたのだけど、

 

 

 

一連のコロナウイルスの影響があって、

どうやら今回はタイミングを逃してしまったみたいに思った。

 

 

 

 

で、タイミングを逃したらけども、

その代わり「今この瞬間にできること」

に意識を向けて生きていこうと思った。

 

 

 

 

そんで、今日は「流れに沿う生き方」

について「ああこれってめっちゃ大切だなぁ」

と思ったので書いておこうっと。

 

 

 

 

太古より受け継がれし伝説のジェダイの教えにあるように

やはり「流れ」の概念はめっちゃ大切。

 

 

 

「タイミングを逃す」とは「波に乗り遅れる」

と言い換えることができる。

 

 

 

そして波とは「流れ」の中に発生する

1つの現象である。

 

 

 

だから「タイミングが合う」とは

「流れに沿う」ということに繋がる。

 

 

 

だけども、もしタイミングを逃した場合、

その後の対応方法がめっちゃ重要になっていく。

 

 

 

これは「心の在り方」がめっちゃ問われるのだ。

投資とかトレードにも通ずる。

(僕は「空売り」と「逆張り」的な生き方が大好き)

 

 

 

 

もしタイミングを逃したら、

「損をしたくない」とか

「乗り遅れたくない」と言う思いから、

「在り方」が揺らぎ始める。

 

 

 

すると「焦りが生ずる」

「損失補填」という考え方などが生まれる。

 

 

 

すると自分の認知に対して思い切りバイアスがかかる。

「過ぎ去った波の記憶」が基準となり、

その過去の視点のまま「今の波」を同じように見てしまう。

 

 

 

 

そして無理やり今の波に乗ろうとするのだ。

トレードの世界で例えると、

「高値を掴んでしまう人の真理」と似ている。

 

 

 

 

それは高い確率で損となる。

 

 

 

もし、今無理して、

「外に出たい!」

「何か行動したい!」

「行動していいチャンスを見つけたい!」

「面白い人に出会いたい!」

などなど、渇望を引きずっているとしたら、

 

 

 

それはちょっと前まで持っていた「ワクワク」

じゃない。

その過去のワクワクは時間経過とともに変化し、

どちらかと言うと「機会損失を嫌う渇望」へと

心境が変化している。

 

 

 

つまりもっとかみ砕いて言い換えると、

「渇望」の中に「小さな恐怖」が入り込んでいる。

 

 

 

これは純粋な「ワクワク」じゃないかもしれない。

 

 

 

だから、この手の類の渇望は

手放したほうが良いと思った。

 

 

 

映画スターウォーズの中で、

ジェダイのクワイガンが敵のダースモール

を追うシーンを思い出した。

 

 

 

敵を追う途中、クワイガンの目の前に

ビームの壁が立ちはだかる。

そして敵はその隙に逃げきる。

 

 

 

でもクワイガンは、そこで行動を辞め、

瞑想に入る。追うことを諦めた。

 

 

 

もしあのまま無理やりビームの壁を壊してまで

敵を追い詰めたらとしたら、

それはきっと体力を消耗するし、

敵に隙を与えるし、

良いことはなかったように思う。

 

 

 

 

これこそが「流れに沿う」行き方。

 

 

 

押してダメな時は押さないし、

引いてダメな時は引かないし、

 

 

 

ちょっと押してでグイグイ行けるときは、

そのままの流れに従って押し続けるし、

 

 

 

ちょっと引いてグイグイ行けるときは、

そのまま流れに従って引きつづける。

 

 

 

 

この流れに反抗して、

流れの逆を行く生き方は、

自滅する。

 

 

 

なので、ワクワクしないときは

無理して行動しないし、

 

全体の流れに反抗するような行動はせず、

 

 

 

自分が行きたい方向の流れが生じるまでは、

じっとして待つ、ということ。

 

 

 

待つことの美学。待つことの大切さ。

 

 

 

これを大切にしつつ、

今の自分にできることを

どんどんやっていこう、試していこう、

そう思った。

 

 

 

そんじゃ