自分のスタイルを磨いてく
オリジナルになっていく
それは、あなたの内側から湧いてくる
「あなたらしさ」
を発見していくこと。
オリジナルというのは、
今まで誰もやったことのない何か新しい
発見や発明をする、ということよりも、
あなただから表現できる、
あなたらしい部分を発見していくこと。
(結果的にそれが、大きな発見や発明や気づきになったりすることがある)
スタイルというのは、最初に、
誰かや何かから取り入れるところから始まる。
だけれども、あなた流のスタイルは、
そこから逸脱し、あなたらしさを磨いていくこと。
あなた流になる方法
1.環境に適応し、そこから見出す
今与えられている環境に適応する。
それって、環境によって与えられている
条件、状況、制限を受け入れること。
今その環境でしかできないことに目を向けていくこと。
周りに木々が無いから(そういう環境だから)、
思い切り背を伸ばして、太陽の光を独り占めじゃ。
なかなか雨が降らない環境だから、
僕は自分の幹に水をためているんです。
俺は生まれつき、そんなに体が強いほうじゃないんだ。
遺伝的にも環境的にも、こんなヒョロヒョロな格好で生まれ育ったんだわ。
そんなヒョロヒョロの俺が、自力で立って生きるのってなんかしんどいんだよね。
それでも、生きていくために、俺ができることと言えば、
こうやってヒモみたいになって、
大きく立派な木に巻き付いて生きていくんだよね。
ワシの住んでるところには、虫がたくさんおるんだわ。
だからね、光合成するより、虫を食ったほうがエネルギー出る感じするねぇ!
なんつってもワシ、肉食系男子だからねぇ!
ボクの住んでるところは、あんまり緑が多くないんだ。
そんで遠くにいるボクの仲間と子孫を繁栄させていくためには、
こうやってたくさん花をつけていくことが大切なんだ。
こうすることで、虫たちが花の蜜と引き換えに、花粉を
遠くにいる仲間のところへ届けてくれるんだ。
拙者(せっしゃ)はね、なんか知らんけど、生まれたときから、海の中にいるでござる。
まったくもって、24時間、365日、毎日がしょっぱい日々でござるデュフフ。
ですが、塩水ももう慣れたでござるよ。
拙者たちは、世間様に対しては、こうやって腰を低くして、ゴマすりすりしながら、
生きているでござる。
そのおかげで、腰は低くても、世間様に認められ、このように広く広範囲に渡って、
拙者たちの子孫が、増えていっているでござるよデュフフ。
ワタシ、イージーな環境で生まれ育った気がするわ。
たぶんだけどね、知らんけどね。動けないからね。
でも、なんか特に何にも考えてないけど、
なんか毎日イージーな感じするわ。
このようにして、植物の世界を見ても、
実にさまざまな生き方のスタイルがある。
背を高くするもの。
背を低くするもの。
幹があるもの。
幹がないもの。
葉っぱが大きいもの。
葉っぱが小さいもの。
陸に生きるもの。
水中に生きるもの。
彼らが生きている環境によって、
彼らの生きるスタイルが多種多様に
展開されていく。
自分流なスタイルを発見していくとは、
今自分が、与えられているその環境で、
あなたが見出せるものはなんだろうか。
って意識してみること。
今ある手持ちのカードをいかに有効に活用できるか
それが与えられた環境に対して、
前向きにとらえていく姿勢なのだ。
で、そうやって自分の環境を肯定し、
今与えられているものに感謝し、
それをどうやって使ったり、
どうやって自分のものにしていくか、
と考えていく。
自分の生きている生活に密着していて、
自分の生きることだけに集中していて、
自分の内側ばかりを見つめている。
もちろん、そればかりではなく、
自分の外にある良いもの、良い環境、
良い場所を見つけていくことも大切だし、
そっちへ思い切って、移動してみることも
大切なこと。
だけれども、たとえ環境を変えて移動をしたとしても、
変えた先でまた、自分が与えられているものだけを
見つめていく作業が大切。
いつまでも外だけ追い求めていても、
結局自分が何者か、わからなくなってしまう。
環境を変えることはハチャメチャに重要だけれども、
(そのことは何度かブログにも書いたけれど)
最後は、結局、その環境から与えられてたものだけに、
目を向けていこう。
2.好奇心によって枠が外れる
好奇心によってルール(枠)から外れる。
逸脱する。あるいは破る。
「ルールを破る」とは
なんかあんまり、いい印象がない感じする。
なんか不良なイメージがする。
でも、ルールを破るのはいつも
遊び上手な人なのだ。
なんで破るのかって?
そりゃ、飽きるからだ!
同じことを毎回繰り返すことに
飽き飽きしている人が、
ある日突然、
「あれ、こういうルールにしたら、
なんか面白いんじゃね?」
っていう好奇心をもとに、
ある日、勝手に、
それを試してみたくなっちゃうのだ。
これは、遅かれ早かれ、
いつか誰かがやること。
悪意ではなく、ただ、
やらざるを得ないのだ。
人はいつまでも同じこと繰り返すことはできない。
「あ、これ、面白そう!」
ってなるのは自然なことなのだ。
人間らしいことなのだ。
遅かれ早かれ、いつかは、絶対、
そっちの好奇心の方へ、
ある日、足を踏み入れるときがある。
ここを否定すると、
「あなたらしさ」が消えていく。
だから、好奇心に目を向けるのだ。
好奇心ではなく「ルールを逸脱すること自体が目的になる」という罠
好奇心からではなく、
「ルールを逸脱する」を目的にしていると、
それはスタイルではなくなってくる。
そこには競争の原理が発生する。
ビジネスになる。
アルゴリズム的になる。
つまり「ルールを逸脱する方法」
の手順が確立する。
もはや機械やプログラムや、コンピュータでできるレベルだ・・・
「ルールを逸脱する」を目的にすると、
ある日、誰かがそれをやりだした途端、
みんながみんな、それを真似してやりたがる。
そうして、いつの時代も、ルールを破る、
「イタチごっこ」が始まる。
それはだんだん、苦しくなってくる。
幸せじゃなくなってくる。
ゆえに長続きしなくなる。
「あなたらしく」ならないのだ。
「あなたらしさ」は、
あなたがある日、
「あ!こういう風にしたら面白そう!」
っていう、あなたの内側から出てくる
好奇心がベースなのだ。
「〇〇ちゃんがやってるから、
ワタシも〇〇ちゃんみたいにやる!」
誰かを真似て、そこから学んで、
そのやり方を会得する。
こういう考え方は、
成長したいときにはとても良い考え方だし
すこぶる重要なこと。
でもそれとは逆に、
「自分らしさ」を磨いていくときは、
あなたがこうしたい!
って思える、あなたの内側から
沸いて出てくるあなただけの好奇心を
大切にしていくといいかもね。
たとえあなたが思いついた
「あ!これいいかも!」っていうのが、
既に誰かがやっていることだとしても、
それでもいいのだ。
なぜならそういう考え方の方が、
自分の気持ちに正直になっているので、
苦しくなく、楽しく幸せにやれるからだ。
結局、結果、そのほうが、長続きするのだ!
そんで、こっちのブログ記事にも書いたけれど、
人は100%完全にコピーをすることができない。
つまり、どうあがいても、結局最後は、
繊細な部分において、「あなたらしさ」は
絶対に出てきてしまうのだ!
そうであるなら、最初から、
「ルールを破る方法」に意識を向けなくても、
「あ!これ面白いかも!」というシンプルな
自分の正直な気持ちのまま、
幸せのままあなたのしたいことをすれば、
おのずと「あなたらしさ」(自分流)が
できあがってくるのじゃ。