好きなことが見つからない理由(続編シリーズ5)

 

 

好きなことの見つけ方シリーズの続編的な位置づけの記事じゃ。

 

シリーズその5じゃ。

 

 

パート1

好きなことがわからない本当の理由

パート2

それでも好きなことが見つからない*あなたが変わる4つのゲーム

パート3

最後まで好きなことが見つからなかったあなた。ズバリ〇〇不足!

番外編

実はあなたはすでに好きなことをしている(Everybody love somebody)

パート4

「好きなことの見つけ方4「〇〇を辞める」」

 

 

耳の穴をかっぽじって、

よく読むのじゃ~!

 

 

 

 

ネッコ「耳はまったく関係ないね」

 

 

 

 

 

好きなことが見つからない理由

 

 

人は死を恐れる。

人類共通項目じゃ。

 

 

ブタちゃん「僕は食べもおしいくありませ~ん!」

ブタも死を恐れる

 

 

 

真っ白い世界。

 

 

それは何も描かれていないキャンバスのようなもの。

 

 

 

無。

虚無。

何もない。

何も起こらない。

何のストーリーもない。

始まりも終わりもない。

誰もいない。

NULL。

NOTHING。

真っ白な世界。

あるいは闇。

VOID。

深淵なるダークネスの世界。

 

 

 

何もない世界でたった一人。

ひとりぼっち。

ぼっち・・・

 

 

 

 

 

何もない世界。

それは、死の世界のようなもの。

そして人は、死を恐れる。

 

ゆえに人は、何もないを恐れる。

 

 

 

 

 

くりぼっち。

 

 

 

 

人は本能的に死を恐れ、避ける。

人は何もない状態を恐れ、避ける。

 

 

 

 

お肉になるのはイヤじゃあああ!!

末永くペットにしてくれえええ!!

 

 

 

 

『何もない世界』より『何かある世界』

 

 

人は「何もない」より「何かある」を選ぶ。

 

 

 

 

誰もいないの?

ワタシはここにいるよ。

ワタシを見つけてよ。

 

 

 

「何もない」は退屈。

ツマラナイ。

生きている意味がない。

 

 

 

だから、「何かある」がいい。

それが「苦悩」でも

それが「苦痛」でも

それが「不幸」でも

それが「ストレス」でも

それが「不満」でも

 

 

 

たとえそれらがイヤなものでも、

何もない真っ白な世界を生きるより、

あるだけマシだ!

 

 

 

家畜になるのは確実に「死」のコースですが、

動物園ならまだマシです!

檻の中でもいいっす!

そっち行きます!

 

 

何もない(死の世界)より、

たとえ苦痛でも何かあるを選ぶ。

 

 

 

 

うわっ・・・

 

 

 

「なにかある世界」を保つために、

一生をかけて「退屈しのぎ」

ができる何かを探し始める。

 

 

 

 

この世は「退屈しのぎ」で溢れかえっている

 

 

自分を楽しませてくれるもの

自分を喜ばせてくれるもの

自分を心地よくさせてくれるもの

おいしいもの。

 

 

あらゆるサービスも商品も、

 

生きていくための喜び、快適さ、楽しみへ

繋がっていく。

 

 

アイスもゲームも漫画も、

遊びも、旅行も

スポーツも、お酒も、

料理も、、、、

 

 

 

手に届く範囲の、

カンタンに実現可能なものから

順番に「退屈しのぎ」を始める。

 

 

 

「カンタンに手の届かない難しそうなもの」

を「夢」とか「本当にしたいすきなこと」

と呼ばれていることが多いんじゃないかな。

 

 

 

あるいは、

 

 

苦痛だけど我慢できること

ストレスだけれど我慢できること

苦悩だけれど我慢できること

やりたくないけれど我慢できること

 

 

こういうことも人は好んで選ぶ。

何もない真っ白な死の世界を生きるくらいなら、

例え嫌なものでも、我慢できるのなら、

そっちを選ぶ。

 

 

 

 

 

何もない死の世界より、

生きるための何かある世界。

 

 

人々はそっちを選ぶ。

 

 

人間が住むこの世界には、

「なにかある」で溢れかえっている。

 

 

 

 

 

死ぬくらいならどんなものでも「何かある」を選ぶ

 

 

 

 

「好きなこと」が見つからない・・・

 

 

 

「何もない真っ白な死の世界」が

怖くて、そっちにばかり意識がいっていると、

 

 

「たとえイヤなことでも、我慢できるならそっちを選ぼう」

 

って無意識にそっちを選んでしまう。

 

 

 

「死」の方を選ぶくらいなら、

我慢してでも嫌なことを選ぼう!

 

 

ほとんど無意識。

 

 

 

こうやって、我慢して嫌なことを続けてしまう。

 

 

 

根底にあるのは「恐怖心」

 

 

生活の心配

将来の心配

今の心配

過去の後悔

 

すべてが「恐怖」に繋がっている。

 

 

 

頭の中のOSが「恐怖心」ベースで動く。

 

 

そしたら、

死を避けるために、

嫌なことでもどんどん、

勝手に見つけて選んでしまう。

 

 

 

 

好きなことを探すのは、安心や好奇心

 

 

安心の世界は素晴らしい。

 

 

安心は余裕。

余裕は無駄なこと。

生きることに全く必要ない無駄なこと。

効率的でも効果的でも経済的でも目的的でもなく、

ただ、無駄なこと。

 

 

安心な環境では、

無駄をする余裕がある。

 

 

しかし、無駄の中に、

楽しさ、面白さ、好奇心、美しさ、センスの良さ、

美味しさ、ワクワクなどが詰まっている。

 

 

 

すべて五感に関すること。

 

 

 

安心や好奇心はどうすれば得られるの?

 

 

 

もうたくさんのブログ記事で書いてきたけどね、

結局、最後はここにたどり着く。

 

 

安心なのだ。

 

 

大丈夫という境地なのだ。

 

 

 

安心を得るには、お金や時間を得る方法もあるかもしれないけれど、

それはどっちかっていうと「外から鎧を身に着ける」ようなイメージ。

 

 

それはそれでそういう方法も確かに、効果的。

貯金があると安心するね。

仕事があると安心だね。

遊ぶ時間がたくさんあると安心だね。

(夏休みの初日の感覚と、夏休み最後の日の感覚はまるで違うでしょ?)

 

 

 

そうやって外から得る方法もある。

 

 

 

がしかし、このブログではそれとは真逆の

「内側から安心を見出していく」ということを

ひたすら書き続けている。

 

 

内側から、得るには「気づき」が必要じゃ。

そしてたとえ「気づいた」としても、

それが未来永劫、ずーっとその状態になるわけでもない。

 

 

今日はちょっと不安になっちゃうとか、

今はなんか不安な時期だ、とか

人の心は絶えず、良いほうへも悪い方へも揺れ動く。

 

 

 

それをいかに「安心」のところへ近づけていけるか、

ということが鍵じゃ。

 

 

この内容自体に興味を持つのか、

それとも別の退屈しのぎに時間を費やすことを選ぶのか、

その選択でもまた、分れていく。

 

 

 

「好きなことを見つける」ということに興味が出てきたときは、

またこのブログで書いている「安心」についての記事などを

探してみて、ときどき読んでみるといいかもね。

 

 

 

そんじゃ。