自分専門家と他人専門家。あなたはどっちタイプ?

 

 

 

 

あなたは「自分専門家」ですか?

それとも「他人専門家」ですか?

 

 

 

 

あなたはあなた自身について考ることが多いですか?

あなたは自分以外の外の世界について考えることが多いですか?

 

 

 

 

自分専門家

 

 

 

僕は自分専門家。

 

 

 

 

僕は英語が話せる(ネイティブほどじゃないけど)

僕はプログラミングができる。

僕はブログを書いている。

僕はピアノが弾ける。

僕は・・・

 

 

 

 

 

僕は〇〇資格とか興味ない。

僕は〇〇免許とか興味ない。

僕は〇〇賞とか興味ない。

僕はキャリアも興味ない。

僕はブランドとか興味ない。

 

 

 

 

 

 

僕は英語ができるけど、

英語の先生になりたいわけじゃない。

 

 

僕はプログラミングができるけど、

プログラマーの仕事をしたいわけじゃない。

 

 

僕はブログを書いてるけど、

別にブロガーとか意識したことない。

 

 

僕はピアノが弾けるけど、

ピアノの賞とか興味ない。

 

 

 

 

それから、

占星術とか、心理学とか、

物理学とか、生物学とか、

形而上学とか、

 

 

 

いろーんなものに

興味がって、

いろんなことを

いろいろ好奇心で学ぶのだけども、

 

 

 

 

別に〇〇の専門家に

なりたいわけじゃない。

それの資格が欲しいわけじゃない。

 

 

 

 

 

アレを学んだのも、

コレを研究するのも、

ソレに興味があるのも、

 

 

 

 

 

「どうすれば自分が幸せに生きていけるか」

という「究極の問い」

に今までやってきたことのすべてが集約されていく。

 

 

 

 

これが自分専門家。

これが自分専門家の生き方。

僕は自分専門家。

 

 

 

僕は何も知らない。

何も深く知らない。

僕は何も目指さない。

僕はどこへも行かない。

 

 

 

 

 

だからこそ僕は

自分自身のことについてだけは、

他の誰よりも研究熱心なのだ。

 

 

 

 

それこそが

自分専門家。

 

 

 

 

人生において、もし、急遽、

エスペラント語が必要になれば、

僕はそれを身に着けようとする。

 

 

 

 

だけど「別に要らない」

とわかれば、すぐに捨てる。

特別、それを探求しない。

 

 

 

 

「必要だ、興味ある、もっと知りたい」

という思いが強ければ強いほど、

ある対象に対する学びは深まる。

 

 

 

 

でも「それを完璧に網羅しよう」

とか「〇〇先生になるために勉強しよう」

とか1ミリも思わない。

 

 

 

「将来のために〇〇を学ぼう」とか

「仕事で〇〇が必要だから」とか、

そーゆー思考の順序で、

何かを始めないし、

「何か」という「枠」の中に

収まろうとしない。

 

 

 

 

「枠」におさまると

何かしらの専門家になれる。

 

 

だけど、今度は、

「自分専門家」でいられなくなる。

 

 

 

すると今度は

「〇〇専門家」としての

バイアスがかかる。

そこは盲点になる。

 

 

 

 

自分専門家は、観測者が観測できる範囲の宇宙(世界)だけに興味がある。観測外の世界に一切興味がない。

 

 

 

 

自分専門家は、ある意味、

テキトー。

 

 

自分専門家のモットーは、

必要なとき、必要な分だけ

 

 

 

 

「あと2点あれば、〇〇資格を取得できます」

とか

「あと3日通えば、〇〇免許を交付できます」

とか

「〇〇年勤めれば、△△をもらえます」

とか

 

 

 

 

そーゆー枠に収まることに

あまり興味がない。

 

 

 

 

「あ、もう、答えが見つかったんで、大丈夫っす」

っていって、必要なくなったものは、

すぐに捨てる。

 

 

 

オーダーメイドな生き方を好む。

 

 

 

「〇〇の中から、3つ選んでください。」

 

 

 

のような設計されたもの(仕組み・考えなど)

に、奇麗に沿って、その通り動く、

 

 

 

 

ということができない。

ルールをどうしても逸脱してしまう・・・

(無意識でそうなっちゃう・・・)

 

 

 

 

 

 

ヘンリーフォードへのあこがれ

 

 

僕は自動車王、ヘンリーフォードにあこがれる。

 

 

彼は学歴がない。

 

 

そして何も知らない。

 

 

 

 

彼は何も知らないけれど、

何でも知っている。

*彼はまるで巨大な台風の「目」のような存在だ!

 

 

 

彼の前には電話が一本だけある。

 

 

 

彼は必要な時に、必要な答えを

電話一本で聞き出せる。

 

 

 

彼のもとで働く優秀な社員たちに

電話で必要な答えを聞く。

そんだけ。

 

 

 

 

自分の人生において、

自分が知りたいことを知れるのであれば、

別に自分で学ぼうと思わない。

 

 

 

ただ、身近に情報があるし、

本があるし、ノウハウがあるし、

メソッドがあるし、

 

 

 

あれこれ、必要なものが

転がっているから、

自分でそれを選び、

好奇心のうちに学ぼうとするけども、

 

 

 

 

もし、ロボットがいて、

AIがいて、誰か答えを教えてくれる人がいて、

勝手に答えをくれるのであれば、

別に自分で学ぼうとか思わない。

 

 

 

 

それが自分専門家の頭の中。

 

 

 

だって、自分専門家は、

自分好みのオーダーメイドな人生を作ることに

忙しいから。

 

 

 

人生において、興味があるのは

ただそれだけだから。

それ以外、ありえないから。

 

 

 

 

つまり、言い換えると、

リソースを1点に集中するような生き方しかできない。

 

 

 

良く言うと、効率がいい。

悪く言うと、周りが見えない。

 

 

 

 

 

他人専門家

 

 

 

他人専門家は、

正確さと、完璧さが求められる。

 

 

 

他人専門家は、

大勢の人々に、正確に、

正しく、原則を、物事を、

法則を、メソッドを、ノウハウを、

正しく伝えなければならない。

 

 

 

 

そこに、偽り、不正確さ、間違い、

などがあってはならない。

 

 

 

 

なぜらなら、自分以外の複数の他人に対して、

「情報を均等に均一に並列化させる」ことが、

他人専門家の使命だから。

 

 

 

 

僕は「他人専門家」の人を

心から尊敬します。

 

 

 

 

なぜなら、僕には

がんばっても出来ない生き方だから。

 

 

 

 

「1つ道」(分野)を網羅し、

そこに精通する人になる。

 

 

 

それが他人専門家。

 

 

 

 

1つの道という枠の中に収まり、

その道への行き方を、

他の人々に正しく伝える「伝道者」

のような存在。

 

 

 

 

それが他人専門家。

 

 

 

 

自分専門家が

「あらゆる行動の動機」が「自分ありき」

で、開拓者的であるのに対し、

 

 

 

 

他人専門家は、

「あらゆる行動の動機」が「他人ありき」

で、伝道者的

 

 

 

 

 

どちらが良い、悪い、

優れている、劣っている、

という違いはない。

 

 

 

 

ただただ、生き方が違うだけ。

 

 

 

 

 

たとえば、

音楽が好きな自分専門家がいたとする。

 

 

 

でも彼にとっては、

ベートーベンの〇〇の曲と、

ビートルズの△△の曲だけが

たまたま好きだった。

 

 

 

 

しかもその動機が、

たまたま聞いたその2つの曲だけ、

「好きだから」「心動いたから」

という理由。

 

 

 

そんな彼は、

ベートーベンに詳しいのではなく、

ベートーベンの〇〇という曲だけ、

ビックリするくらい詳しい。

でも、その他のベートーベンの曲に、あまり興味がない。

 

 

 

 

 

でも、他人専門家で音楽が好きな人は、

ベートーベンの〇〇の曲も△△の曲も、

ビートルズの〇〇の曲も△△の曲も、

すべて網羅して万人にわかりやすい専門家になる。

 

 

 

 

ベートーベンの曲は〇〇だとか、

ビートルズの曲は△△だとか、

万人に伝えられる法則性や共通項を探し出す。

 

 

 

 

自分専門家はたまたまの偶然の世界に生き、

他人専門家は枠におさまるべく必然の世界に生きる。

 

 

 

 

自分専門家は、自分自身についてのヲタク。

他人専門家は、1つの分野に対するヲタク。

 

 

 

 

僕は自分自身について知りたい。

その思いだけ。

 

 

 

その思いでアレコレ動いていたら、

たまたま、いろいろなことを知っただけ。

しかも「自分にとって必要な分だけ」

 

 

 

別にすべてを網羅しようとか思わない。

完璧にしようとか思わない。

 

 

 

必要とあれば、更に深く学ぶし、

必要と感じなければ、そこで辞める。

そして別のことをやり始める。

 

 

 

 

そして自分を表現する媒体が、

たまたまブログだっただけ。

たまたまピアノだっただけ。

たまたま自分の身近にあったものを

使っただけ。

 

 

 

 

そーゆー思考。

そーゆー生き方。

 

 

 

 

逆に他人専門家は、

自分をその分野の世界の枠に

納めようとする。

 

 

 

 

自分専門家は、

自分の内側から発生した好奇心で

知識を習得したり、技を磨こうとするけど、

 

 

 

 

他人専門家は、

「決まった枠」がすでに存在していて、

そこに自分自身を近づけられるように、

知識を得たり、技を磨こうとする。

 

 

 

 

自分専門家は、

好奇心が自然発生的だから、

それが消えてしまえば、

今までやってきたことも放棄しちゃうけど、

 

 

 

 

他人専門家は、

「一つの枠」というゴールがある以上、

それに到達できるまでは、自分とは切り離して、

突き進められる。

 

 

 

 

 

なーんとなく、

わかってきたでしょうーか?

 

 

 

 

「自分専門家」と「他人専門家」の違い。

 

 

 

 

 

あなたはどっちタイプ?

 

 

 

 

そんで、これは別に

2つに白黒はっきりと分かれるわけではなくて、

ある部分では「自分専門家」だったり、

ある部分では「他人専門家」だったり、

一人の人間の中にアレコレ混ざっているかもしれない。

 

 

 

 

 

あなたは何に対して「自分専門家」の面が強い?

あなたは何に対して「他人専門家」の面が強い?

 

 

 

 

 

「自分の傾向」がわかると、

生きやすくなるかもね。

 

 

 

 

そんじゃ