競争せず成長できるけど恐怖は消えない

 

今回はこっちのブログの続き↓

「競争しないで成長し続ける方法」

 

 

 

【前回のおさらい】

競争の代わりに好奇心を使えば、

それだけでも成長できる

 

 

 

 

 

だけど、本当に

それだけで大丈夫なの?

そんなことは可能なの?

 

 

 

 

それは理想郷じゃないか?

そしてもし理想郷があるとしたら、

それは幻想じゃないの?

 

 

 

 

 

好奇心だけだと人は滅びる!?

 

 

 

前回の記事でも書いたけど、

純粋な好奇心だけあれば、

他人と比べないから競争は起こらない。

 

 

 

「こうしてみたらどうだろう?」

「ああしたらどうなるだろう?」

 

 

 

 

みたいな、ただ純粋な好奇心が

その人を突き動かす。

恐怖からうまれる競争じゃなくて

楽しさやワクワクがその人を突き動かし続け、

成長させる。

 

 

 

でももし、

「好奇心だけ」しか使えなかったら・・・?

 

 

 

 

行き過ぎる好奇心は人類を滅ぼす?

 

 

 

「人を傷付けてみたらどういう反応をするのだろう?」

「小型ブラックホールを作ってみたらどうなるだろう?」

「人体実験をしてみたらどうなるだろう?」

「核ミサイルを自作してみたらどうなるだろう?」

「銃で動物を撃ってみたらおもしろそう!」

「かーちゃんのバッグの中にカレーを流し込んだらどうなるだろう?」

 

これらは一例だけど、好奇心は純粋にどんな形であれ実現されてしまう↑

 

 

大きいものから小さいものまで、

個人の好奇心は、個人以外つまり、

社会全体に影響をおよぼす。

 

 

 

それが良い面と悪い面の両方をもつ

という現象が人々の間で起こる。

(もちろん「良い悪い」は「人の主観」が決めているということを忘れずに)

 

 

 

 

倫理という思考パターン

 

でも、実際に人類は滅びるどころか、

毎回、歳を重ねるごとに

形を変え生き延び続けている。

 

 

 

それができるのが「倫理」のおかげ。

 

 

倫理は例えていうなら、

「アンチウイルスソフト」のようなもの。

 

 

 

毎回、時代に合わせて

アップデートされていく。

 

 

 

小さいレベルのこと、例えば

マナー、作法、規範みたいなものは、

少しずつアップデートされる。

 

 

 

でも、もっと大きな根幹の部分

歴史を通して絶対に守られ続ける。

 

 

 

たとえば、

「人を殺してはいけない」

「モノを盗んではいけない」

など。

 

 

 

 

この根幹の部分は、

全世界共通のプログラムなのだ。

 

 

 

どの民族も、どの宗教も、

どの人種も、どの時代も、

絶対に共通して持っているのが

この倫理プログラム。

 

 

 

そんで、このプログラムは、

人類が歴史を通して、

失敗から学んだ「教訓プログラム」

でもある。

 

 

 

倫理が絶対守られる理由は、

その倫理プログラムの内容を1つ1つ

筋道を立てて展開していくと、

必ず最後には、

「それを守らないといつか人類が滅亡しちゃう」

という答えに行き着く。

 

 

 

「だからそうならないよう倫理は絶対守ろうね」

という人類共通の結論となる。

 

 

 

倫理は、

「1つの行動パターンの行き過ぎ」

を防ぐ「制御装置」の働きをする。

 

 

 

この倫理は、遺伝子を通して、

そして学びを通して、環境を通して、

人類みんな、生まれたときから、

常に発動し続ける

(ちなみにこれは、人間には自然にできて、AIにできない部分)

ひよこ「タピタピタイムでちょっと休憩」

 

 

 

 

 

倫理を作り書き換え続けるのは恐怖

 

 

人類が上手く生き続けるための倫理プログラムを

毎回良いものに書き換えてくれるのが、

実は「恐怖」

 

 

 

過去の失敗から、

辛いこと、悲しいこと、痛いことなど

嫌な体験をする。

 

 

 

それを避けようとして

教訓が生まれる。

 

 

 

それが洗練されて倫理プログラムに組み込まれる。

 

 

 

「もう辛いことを避けたい」

と人が思うところには、

「恐怖」が働いている。

 

 

 

恐怖を避けるべく、

倫理をアップデートしていく。

 

 

 

倫理は間をつかさどる?

 

 

好奇心(ワクワク、楽しい)の状態のとき、

同時に恐怖を感じられないし、

恐怖のとき、好奇心(ワクワク、楽しい)を

同時に感じられない。

 

 

 

好奇心と恐怖の間に倫理が挟まり、

上手くバランスを取り始める。

 

 

 

好奇心

倫理

恐怖

 

 

機械に例えていうなら、

OSとアプリをつなぐ

ミドルウェアのような機能を倫理が果たす。

 

 

 

 

倫理脳

「あ、バッグにカレー流し込んだら、かーちゃんにグーパンで殴られるのは必至」

 

 

 

 

前回の記事では、

「好奇心だけで成長は可能」

という結論になったけど、

 

 

今回の記事では、

好奇心だけの場合に起こる問題

「恐怖の役割」

について考えてみる。

 

 

 

すると、見えてくる。

 

 

 

好奇心と恐怖(つまり光と闇)

は、2つともバランスを取り合って、

共存している。

 

これに関しては、

「永遠の理想郷は存在しえない」ということ。

理想郷に近づくためには、均衡がカギとなる。

それについては、こっちの記事で書いた通り↓

「心の中に理想郷を作る方法」

 

 

 

より理想へ近づく社会へ

 

 

だからといって、

恐怖ベースの競争社会は、

問題を生み続けている。

 

 

 

なので、

新しい仕組みを考えることが必要。

 

 

 

ちなみに「競争を促す既存の仕組み」(資本主義)

の耐用年数があるんだよ、ということに

そろそろいろんな人が気づき始める時代に突入した。

(永遠に機能する仕組みではないのだ。作った人も最初からそれを知っていた)

 

 

とはいえ、

「まったく競争を生まない社会」(社会主義)

は人々の心からモチベーションを奪い、

失敗に終わったので新しい考え方が必要。

 

 

 

そんな中、

「好奇心ベース」の生き方

そういう生き方の人々が集まる社会は

新しい仕組みとしてはとても良き希望かも。

(新しい資本主義か、別の新しい何かが生まれるのか?)

(ただし、好奇心の行き過ぎによる人類滅亡を制御するための「倫理プログラム」は必要)

 

 

 

そして、その倫理を作り上げる「恐怖」の存在も無くしてはいけない。

かといって「恐怖」を利用して人を動かす社会は問題を生み続ける。

「恐怖」は「個人の生存戦略」ではなく「全体の生存戦略」のために使われるべきなのか?

 

 

 

*ここが一番の難しいところ

 

 

 

 

う~ん・・・

考えることがいっぱい

 

 

 

 

でもでも、

全体のうち、小さい部分を覗いてい見ると、

「競争しないモデル」はわりと

いろいろなところで見つかる。

 

 

 

長くなってきたから、

それについては、また続きで書こうかな

 

 

 

そんじゃ

 

 

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