「ワーイワーイ楽しいね♪」
競争しない生き方
競争しないで成長はできるの?
競争しなくても生きていけるの?
ノリひよこ「それは可能さ!ウェイウェイウェイ♪」
競争はなくならない?!
競争とは勝ち負けをハッキリ分ける行為
競争が行われると、結果として、
勝ったほうと負けたほうに必然的に分かれる。
優劣が付く。
上下がつく。
良い悪いが決まる。
2つに分断される
そして、2つの間に差が生じていく。
そして、時間が経過するとともに、
その差は大きくなっていく。
分断した2つはさらに距離を取り、
分離していく。
そしてこの生じてしまった「結果」は一生続く。
世代を超えて続く。
遺伝子を超えて続く。
環境を超えて続く。
時代を超えて続く。
一度発生してしまったこの波は
ずーっと続く。
競争の何が悪い?
分断した2つは対立する。
そこに争いと問題が発生する。
それはいろいろな形を変えて。
国だったり、社会だったり、グループだったり、
家族だったり、身近な人間関係だったり、
いろいろなレベルで、いろいろな場所で発生する。
つまり、競争の結果で生じた、
争いや問題解決のために、
結局、エネルギーも労力もコストも
費やし続けなければいけない、
という代償を必然的に追う。
(分断した2極は、また統合する方へ動きを変えていく)
健全な競争
競争が争いや問題を起こす理由は、
競争の後に設定する
「報酬」(ごほうび)にある。
それは評価だったり、
力だったり、
お金だったり、
優越感だったり、
承認欲求だったり・・・
じゃ、健全な競争とは?
健全な競争は、
最初から「ごほうび」が無い。
勝っても負けても、
どっちも何もない。
何も与えられないし、
何も起こらない。
ただ「競争すること」
それ自体が楽しいこと。
そう、ゲームみたいに。
勝敗で評価しないスポーツみたいに。
(つまり遊びみたいなレベル)
じゃ、なんでそんな意味のないことをするの?
それは「今この瞬間」を楽しむため。
今この瞬間が楽しくて、
それだけのために、
お互いが「競争」をして楽しんでいる。
競争の後の勝ち負けは関係ない。
ただ、競い合うゲームが楽しい。
それだけ。
報酬も賞罰も無いことが条件。
(オラ、ワクワクすっぞ、って言って、
趣味=戦うことの孫悟空のように)
競争は成長を促す?
「でもさぁ!競争は悪いことじゃないぜ!」
「良い面もあるぜ!」
それは一見すると正しい。
ように思える・・・
競争によって、戦争によって、
いろいろな発明ができた。
CDも電子レンジもコンピュータも・・・
数え上げたらきりがない。
競争して、がんばったから、
良い学校には入れた。
良い会社に就けた。
イノベーションが起こった。
良い製品ができた。
努力の賜物だ。
一見すると正しい感じする・・・
でもでも、
ほんとうに、
「競争だけ」が
世の中を変える動力源なのだろうか?
思考停止してないのか?
思い込みじゃないのか?
幻想じゃないのか?
他の道を模索せず、
安直に楽な道を選んでいないだろうか・・・
(歴史を通して、ずーっと競争し続けてきたからね)
孤立系の世界
AIを爆発的に成長させた
「敵対的生成ネットワーク」
という考え方。
AIとAIを戦わせ、競争させることで、
爆発的にAIの精度が上がっていく。
ものすごいスピードで成長していく。
という仕組み。
この仕組みを下支えするのは、
「ゼロサムゲーム」という思想。
セロサムゲームはさらに、
深堀していくと、
物理学のあるシステム(系)
のモデルに行き着く。
それは「孤立系」
(isolated system)
この世界は閉じていて、
(物理学では、孤立系と呼ぶ)
その閉じた世界、つまり枠の中だけの世界では、
「限られた資源」(エネルギー)しか存在しない。
言い換えると、
その世界は、それ以上、
外から資源(エネルギー)を取り入れることもできないし、
また外へ資源(エネルギー)を出すこともできない。
そして、ゼロサムゲームでは、
この孤立した世界において、
「限られた資源」を先に取った方の勝ち、
というゲームなのだ。
そこに競争の概念が生まれてしまうのだ。
そういう思想へと行き着いてしまう。
「じゃ、やっぱり、競争したほうが良いじゃん!」
そう思うだろうか?
(ちなみに、この世界が孤立系という証明はまだ誰もできていない)
がしかし現時点で、人類最先端の発明であるAIを
爆発的に成長させる
「敵対的生成ネットワーク」
は競争の原理がもとになっている。
AIの脳みそは、例えていうなら、
孤立系にソックリなのだ。
自分の枠を超えて、
枠の外を認識することができない。
枠の外を試行することができない。
(「フレームワーク問題」と呼ばれている)
それが現時点のAIの限界なのだ。
そして、ここにヒントがある。
枠を超えて思考ができる人間に託された可能性とは・・・
競争しない選択
AIが競争して成長しなければならないのは、
AIには「ある機能」が備わっていないから。
逆に言うと、
この機能を実装できないが故、
結果的に「競争せざるを得ない」
状況のもとで成長しようとしている。
その「ある機能」とは
好奇心のこと。
そう、人間なら誰でも持っている機能。
それが好奇心。
これがあれば、
競争しないで済むというのに・・・
競争しないで成長する方法
競争しないで成長する方法はある。
さっきも書いたように、
「報酬」(ごほうび)がない
「純粋な競争ゲーム」
あれの原動力は、
はまさに「好奇心」
勝つとか負けるとか、
勝った後のこととか、
負けた後のこととか、
未来に意識を向けているのではなく、
今この瞬間、
「相手と競い合うゲーム」をしているのが、
「楽しくて仕方がない」という状態。
そんで、実際に
競争の後には何も与えない世界。
「そうか!わかったよ!」
「そんじゃ、楽しく競争するよ!」
うんにゃ、それじゃダメだ!
それだけじゃ上手くいかない!
*いくら「競争が楽しくて仕方がない!」
と頭で言い聞かせたとしても、
もし「競争後の結果に分断を作る差」
つまり言い換えると「報酬」が用意されているのであれば、
そんな洗脳はほとんど意味をなさない。
なぜなら、あなたは「分断されたもう片方(きょうそう相手)」を
コントロールすることができないからだ。
つまり、負けたほう、あるいは勝ったほうの気持ちまで、
考慮しなければ、そんな言い聞かせは意味がないのだ。
(報酬がある限り、そこに必ず、意識が向く)
だから「競争の結果を何も用意しない」
ということが競争しない環境づくり
は絶対的な条件なのだ。
そしてそれは、現実世界で、
そんな現象を観察することができる。
それは実際に可能なのだ。
たとえば、ほら、
子どもをよく見ていれば、
子どもは純粋に勝ち負け関係なく、
今その瞬間をはしゃぎながら競う合っているときがある
(*もちろん、勝ち負けを教えられて、
好奇心を忘れて競争してしまう子どもも、
もちろん、いるけどね)
そんで、
これはほんの一例。
話をもっと続けます。
もっと広げていきます。
そんで、べつに競争などしなくても、
「好きなことをしている」
というときは、
それの原動力が好奇心だから、
勝ち負けの世界にいないのだ。
(相手と比較しない限りにおいてはね)
「これを試したらどうなるんだろう」
「こういう風にしてみたらどう変わるのだろう」
そーやって、
誰とも比べず、
自分の心の中の好奇心というコンパスが
指し示す方向へ、ただ動く。
その遊びの延長に、
偶然、新しい発見があったり、
偶然、良いものができたり、
そうやって成長していく。
そーなのだ!
そーやって、好奇心だけで
人は成長していけるのだ!!
「ああ、なんだ。
やっぱ、競争なんていらないじゃん!」
やっぱり、大人たちが言っていたことは、
間違いだったんだ!
成長したり、物事が解決するのは、
競争だけじゃない。
好奇心なんだ!
「あれ!待てよ!!」
競争が分断を生み、
分断が分離を促し、
2極が対立し、
問題が起こる
という仕組みがあるならば、
そもそも、
競争さえしなければ、
最初から「問題」
は発生しないじゃん!!!
好奇心の先に
作られるものは、最初から
問題解決のためじゃないのだ!
その延長にあるのは、
面白さやワクワクが
具現化した、実体化した何かなのだ。
(新しい考え方であったり、発明であったり)
それを
何世代も何世代も、
ずーっと歴史を通して
やっていけば、
問題はずーっと発生せず、
好奇心により具現化した社会が
構築されていく。
なーんだ、
なんて簡単なプロセスなのだろう。
とてもシンプルだ!
では、なぜ
実際、現実では
そんな簡単なことができないのだろう・・・
「競争せざるを得ないものの正体」
とはいったい、
なんなんだろう・・・