自分軸と他人軸の違い

 

 

自分の大好きなことやってるのに苦しいとき、

それは自分軸じゃなくて、

誰かを意識しちゃってる。

 

 

 

誰かに認められようとか、

誰かに褒められようとか、

誰かの期待に応えようとか。

 

 

 

それをやりつづけると、

自分の好きがやがて、

嫌いになってしまう。

 

 

 

 

自分が大好きな事やるからには、

何かを創造するからには、

産みの苦しみは仕方がない?

 

 

 

 

産みの苦しみ?

なんじゃそりゃ?

苦しいの?

 

 

 

 

それって既に

好きなことだけども、

好きじゃなくなってる。

 

 

 

 

好きなことって

スピリット100%。

はしゃいでるの。

夢中なの。

子どもなの。

頭ハッピーセットなの。

 

 

 

 

 

アイデアとか、

表現したいこととか、

言いたいこととか、

書きたいこととか、

作りたいこととか、

踊りたいこととか、

 

 

 

 

湯水のごとく

勝手に出てくるの。

 

 

 

 

出てこなければ出てこないで、

別に執着しないの。

やらない。やめる。

しばらく違うことする。

 

 

 

(出てこないのは、心カラダ整えてないから。抑圧してるから)

 

 

 

 

好きなことなのに

苦しんでるのは、

もはや好きなことじゃなくて、

苦しいことなの。

 

 

 

 

 

好きなことをしていても苦しいなら、

それは自分軸じゃなくて、

自分以外の誰かの意識を気にしているを

一回疑ってみて。

 

 

 

 

他人に貢献してると苦しい?

 

 

 

他人に貢献してるのに苦しいのは、

それは自発的じゃないから。

やらされてる感。

 

 

 

 

あるいは、やった方がメリットがある、

世間体が良い、

人とうまくやっていけるから、

などと思って、

自分の心の声じゃなくて、

誰かの考えに意識が向かってる。

 

 

 

あるいは、そもそも

自分自身を満たせてないのに、

他人に貢献してたら、

そりゃ疲弊しちゃう。

 

 

 

「他人に貢献してるとき、楽しくて仕方がない」

 

 

 

これ以外、正解はない。

この状態になってないなら、

そもそも何かが間違ってる。

 

 

 

 

楽しくないなら辞める。

そんで、楽しんで貢献できること探す。

あるいは満たされてない自分を先に満たす

(自分に貢献するのが先)

 

 

 

 

そんでもって、

本来「与えること」には、

見返りが無くてもいい、ということ。

そう思って、自発的に与えるということ。

 

 

 

 

見返りを求めているとき、

 

それは取引思考

取引思考は論理思考

論理思考の時、プロセス思考

プロセス思考の時、時間感覚の中

時間感覚の中の時、意識は今この瞬間にいない

今この瞬間にいなければ、瞬間を感じられない

瞬間を感じられなければ、今起こった「楽」は味わえない

今この瞬間の「楽」を味わえるのは他人の体ではなく、

自分自身の体だけ。

 

 

 

 

だからね、

自分の好きなことをしようと、

他人のために生きようと、

楽しければ自分軸だし、

そうでなければ、他人軸さ。

 

 

 

 

今この瞬間の「楽」を感じよう。

 

 

 

 

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そんじゃ

 

 

 

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