あなたは今、どちらかというと、
どっち側へ引っ張られていますか?
S極的な方ですか?
それとも
N極的な方ですか?
心配する人
心配する人はいつも、
引っ張られてしまう。
人間はみな、
自分の中に「軸」
のようなピンと張った、
揺るがない芯のようなものを持っている。
でもでも、
「心配な人」は
その軸のことをついつい、
忘れてしまう。
心配事で頭がいっぱいで、
そうなると、
軸の存在をだんだん
見失いがちになってしまう。
すると、心配しているあなたは
だんだん引っ張られていく。
あっちへこっちへ
引っ張られていく。
あっちの軸
こっちの軸
大きな軸
太い軸
立派な軸
キラキラした軸
信頼できそうな軸
どんどん他人の軸に
吸い寄せられていく。
本当は、自分の心の中に
大切な1本の軸があるのに、
「心配事」でその存在が
見えなくなる。
「心配事」を解消したくて、
外にある大きくて立派な「目立つ軸」
についつい目が行ってしまう。
「あ、あの軸にすがれば、安全そうだ!」
心配している人は、
とにかくすがりたい。
とにかく「今」を何かで解消したい。
「心配する人」は自分を見失い、
外にある軸にすがり始める。
外にある軸とは、他人の意識だったのだ。
あっちの意識
こっちの意識
あの人の意識
この人の意識
安心する人
安心する人は堂々としている。
「安心できる何か」を持っているから
安心しているのではなく、
いつどんな状況の時も
安心していられるからこそ、
常に安心を保って生きていられる。
安心している人は知っている。
自分の状況を知っている。
自分のタイミングをわかっている。
自分がやるべきことを知っている。
自分に自信と余裕があることを知っている。
必要な時に、必要な行動をとり、
他人の意識に動かされない。
必要と感じるときは、
外へ向かって出ていくし、
必要性を感じないときは、
常に内側にある自分の軸に従って、
安心して堂々と生きている。
なぜなら、安心してるとき、
自分の中にある軸が見つかるのだ。
軸のことを常に知っているのさ。
覚えているのさ。
一番大切なことを知っているのさ。
安心していると、
やがて周りに人が集まってくる。
あなたは岬で海の中を照らす灯台
のような存在だ。
あなたが自分軸を取り戻し、
安心して堂々としてれば、
やがて周りに人が集まる。
あなたはさらに安心になっていく。
頑固な人と自分軸で生きる人の違い
他人に流されず、
頑なに我を貫き通し、
自分を誇張し続ける頑固な人。
そんな人もいるけれど、
自分軸で生きている人と似ているようで
似ていない。
頑固な人は、
ふるまいは頑なに見えて、
心の中は「安心」しているとは限らないのだ。
むしろ、「動くまい」と
反抗している状態なのかもしれない。
自分の本心を殺し、他人と比較しながら、
「ずっと頑なになり続けられる自分の方が上だ!」
という我慢比べにも似ている。
頑固な人は「自分を正当化する」がもっとも重要なことなのだ。
「自分が正しい」という基準がこの世で一番大切なのだ。
つまり、常に自分と比較するための「相手」を意識している。
それとは反対に、
自分軸を持っている人は、
動くときは「動きたい」という内側の欲求に従って、
自然のまま動く。
つまり判断、行動のすべてが
「自分の内側の欲求」が基準。
自分のことを信じているから、
自分の行動に自信を持てるし、
謝る時は素直に謝れるし、
自分の非を認めることだってできる。
もちろん、
自分の考えを怖がらずに主張することも出来る。
心配する人安心する人
自分軸の基準を作っているのが
「安心」
なのだ
安心しているとき、
「あ、これしたい!」
「あ、あれしたい!」
が出てくる。
それに従う。
心配しているとき、
「あ、あれをしなきゃ!」
「あ、これもしなきゃ!」
が出てくる。
これは、外の影響を受けた結果、
出てきたもの。
心配しているとき、
外にある「恐怖要素」を
自分で勝手に無意識に集めてくる。
それをみて、
「動かなきゃ!」ってなってる。
自分軸を見失い、
外の軸に引っ張られる。
安心しよう
安心しよう。
大丈夫って思おう。
何とかなるさ!
ケセラセラ!
Everything will be Alright!
大丈夫だよ
心配しないでね
安心しようね
安心したら、今度は脳みそが勝ってに
「安心要素」を見つけに動き出す。
だいじょーぶ、だいじょーぶ!
だいじょーぶだ~!