楽しいしか勝たん
気持ちいいしか勝たん
心地よいしか勝たん
それがセンター
それが自分軸
それが内側と繋がる
それが宇宙と繋がる
それが真我と繋がる
それが神様と繋がる
それが意識を超えた先と繋がる
中心は内側。
中心は感情。
夢・目標は概念。
概念は思考。
それは情報の塊。
それは自分の外側。
夢・目標は指標。
指標をわかりやすいように、
概念としてとらえやすい様に、
指標化された幻想。
それも自分の外側。
お金は手段。
お金はツール。
お金は発せられたエネルギー。
手段はゴールに慣れない。
ツールは最後には必要が無くなるもの。
発せられたエネルギーは、
エントロピー最大化と共に縮小していき、
やがて死に絶えるもの。
それは自分の外側に存在するもの。
エネルギーは物理空間において、
0ポイントフィールド、すなわち
真空から、まるで泡のように無限に沸き起こる。
マイナス1とプラス1の2極に分かれ、
それが波となる。
(ちなみに、0=無ではありません)
*0はいろいろ詰まってる。0は有りまくる。
真我と繋がるとき、
宇宙と繋がるとき、
自分は器となる。
器となるとき、
自分の我を手放し、
0ポイントフィールドからの
無限のエネルギーをただ
「経由するもの」としての
器(ミーディアム)となる。
生きたエネルギーは、
ここからしか生まれない。
不可逆的に、一方通行に、
真我から外側の世界へ向けて、
エネルギーが発せられる。
ワタシという個人は、
それをただ受け取る器になること。
これ以外は永遠に幻想を
追い求め続けるような行為。
になってしまう。
であるならば、
夢・目標・お金、手段、
あらゆるこれらは真我とは別物。
真我の外側。
夢・目標・お金・手段などが、
神さまの「天命」とズレたとき、
宇宙の波とずれたとき、
本来の流れとズレたとき、
こうやって、どんどん、
自分の内側の中心(天命)と外側のゴールが
かけ離れていく。
だけども、
本当のゴールは、
言葉にできない。
言語化できない。
指標化できない。
数値化できない。
デジタル化できない。
よって他の大多数と共有化できない。
言い換えると「知識」になり得ない。
よって勉学では得られない。
(神秘の力は、観測点と観測点の間に逃げる)
台風の目のように、
中心はとらえることができない。
存在を確認することも難しい。
あやうい。
それが道。
しかし、外側の「天命じゃないもの」
を見続け、中心に近づいていくことはできる。
存在しない中央
言葉で語れず、
目で捕えることも出来ず、
論理で落とし込むことも出来ない、
この中央を導き出すことは、
結局、逆算して、
要らない要素全てを
消去法で導き出すしかほかない。
それはまるで一本の丸太の木から、
丁寧に木を削り、
お釈迦様の像を彫りだしていくような
作業に似ているのかもしれない。
そして削り出していくうち、
要らない要素がどんどん出てくる。
そして見えてくる。
その要らないものすべてに
たった1つ、共通する項目があった。
それが「恐怖」
捨てれば捨てるほどに、
今度はその中央の奥行きの世界に隠されている
「その捉えられない何か」が
少しずつ浮き彫りになっていく。
どんどん要らないものをそぎ落とし、
「残っていったものの正体」が、
少しずつ、少しずつ、
浮き彫りになっていく。
心地よさしか勝たん
楽しさしか勝たん
かわゆさは猫しか勝たん
(異論は認める)
ま、もちろん、
勝ち負けの世界じゃないけどね。
仮に自分の内側の円と
自分の外側の世界の円が
重なり合って、
アレコレがうまくいったとしても、
それは一時。
なぜならば、外側の世界は諸行無常。
物理空間上では「カオス理論」が働き、
外側の世界は常に
変化を起こす。
だから、つねに
自分の内側の円を、
自分の外側の世界の円のターゲットに
合わせ続けるような生き方をしていれば、
いつか、やがて副作用が起こりだす。
不健康になったり、
人間関係に問題がおこったり、
心が疲れてきたり、
そして自分の内側の円と
自分の外側の世界の円が
どんどんブレ始めたとき、
結果もどんどん悪くなってしまう
で、そうならたいために、
がんばる。
つまり、心を置き去りにして、
無理やりにでも、外側の世界の円の中心へ
合わせようとしながら生きる。
それは苦しい。流れの逆。
であるならば、
本来、中心に置くべきは、
自分の内側の円の中心。
すなわち、自分の本心。
自分の心の奥深くに隠されている
「真我」の部分。
魂の声。
あるいは、その自分の意識を超えた
さらに先の奥行にある「宇宙とつながる」
ということ。
だから、自分の外側の世界の円である、
夢・目標・ゴール・成果物・お金、結果などなど、
それらはすべて、付属物。おまけ。
気がついたら、
一緒にくっついてきた、
程度のもの。
それなのに、ワタシはときどき、
幻想である、そちらを「本物」だと思い込み、
がんばってそれらを得ようともがいてしまうのは、
それは本心(真我から沸き起こる)からではなく、
恐怖によって無意識のうちに動かされてしまうから。
*オートマトン(自動人形化)するということ。
であるならば・・・
それよりも、
ワクワクしたい。
楽しみたい。
遊びたい。
(動)
そんでもって、
そのあと、
心地よくリラックスして、
休む。
(静)
この2極の波のあとに、
脳みその奥行の世界では、
神の技が湧き起こる。
このシンプルな
サイクルの継続。
これしか、勝たん。
ライフイズシンプル。
ブラックボックス(潜在意識)の中で
無数の小さな優秀な妖精さん(オートマトン)たちが、
ワタシの頭(顕在意識)ではとうてい
思いつかないような、追いつかないような、
処理できないような、ものすごい作業を
行ってくれる。
これがある1つの
の例。(他にもある)
食材だけを謎のお鍋の中に、ポン。
あとは、なんか知らんけど、
「こんなんできましたー!」
的な超おまかせの世界。
生物界における「自己組織化」は、
高次元な人間社会、はては、
その先のもっと抽象度の高い世界にまで、
まるでフラクタル構造のように、同じ作用で
繰り広げられているかのように、この世界は振る舞うのだ
この隠された機能を使うには、
あることだけをすればいい。
それについてはこっちに書いた。
そんじゃ