最近、自分も人もより好きなる
そんなステキな考え方が
少しずつ身についてきた気がする
その理由がこの
「運命論」
的な考え方。
めっちゃおもしろい!
めっちゃハマった!
めっちゃ自分の枠が広がった!
かくいう昔のワタシといえば実は、
「運命」とか、
「必然」とか、
そーゆーものの考え方が
大嫌い!
だった
それから、
「血統」とか
「血筋」とか
「遺伝」とか
そーゆー類の言葉も
大嫌いだった!
なぜかって、そりゃ、
最初から人々の人生に
なんか勝手に初期設定が付いてしまってるし、
強制的な優劣がついてしまっている感じがするから!
そんな印象を含んでいるような
「残酷な世界観の言葉」だなぁ、
って感じたのだ。
「Aさんは、もともと運動の才能がある家系」
とか
「Bさんは、優秀な血統の家柄」
とか
「Cさんは、モテない星に生れたの」
とか
あんだこのやろう!
勝手に決めんじゃねぇ!
なんだその上から目線は!
何の根拠があるんじゃコルァ!
って感じで、
昔のワタシは、そーゆー世界観が
大嫌いだった。
もしそんなもんが存在るするのだとしたら、
なぜ神様は、みんなそれぞれに
不公平なスタートラインを与えるだ!?
と、言う感じで、
納得のいかない、
モヤモヤッとした感じを
小さいころからずっと抱いていた。
だから、ワタシ的には、
遺伝より環境!
運命より選択!
必然より偶然!
減点法式より加点方式!
閉じた世界(系)より開いた世界(系)!
と言う感じで、
まっこうから「この残酷な世界観」
に対して反抗した。
それとは180度、真逆の世界観を求めた。
がしかし、時が経ち、ある時、
心理学とか心のことを学び始め、
運命的な考えなど、すーっかり忘れていた頃、
忘れたころにこの
「運命論」的な考え方に
辿り着いた。
なぜ?
それはね。
ワタシ的に、
自分の心のことや
自分自身について、
もっと詳しくなりたい!
もっと深く知りたい!
って思いがあったの。
そんで、心を学んでいくうちに、
「自分の主観」を捨てて、
「自分以外の様々な人々の考え方もフラットで見る」
というような考え方を取り入れていくのだけれども、
それって言葉にするのは
めっちゃカンタンなのに、
実行するのはめっちゃ難しいの!
自分の勝手な物差しを捨てて、
他人を優劣付けずに、
ジャッジせずに、
平等に見ていく。
言葉で言うのは簡単。
でもこれを実際に
行動で示せるようになるのは、
けっこう難しいのよ。
でもね!
「運命論」的なモノの考え方を
受け入れて、知ったとたんに、
自分の中のイメージがね、
ぐわぁ!
って、めっちゃ広がったの
すっごい頭パッカーンした!
どうしても、自分の心のことだけの視点だと、
自分を客観視するのが難しかった。
(あくまで自分の場合は)
でも、自分の心も他人の心も、大きな運命論的な枠の見方をしたら、
自分自身もみんなと同じ、
「自然のパーツの一部」
みたいな感じに見えてきて、
いっきに視野が広がった感じがした。
そしてものすごく、
人間のことが、
より一層、
好きになった感じがする!
だってさ!
マジで、当てはまるから怖い!
自分自身も、自分以外の他人も、
あらゆるすべての場所にいる人々も、
あらゆる時代を生きた人々も、
ぜーんぶひっくるめて、
みんな「運命論の枠」の中に
ひっくるめられている
その膨大な統計学のデータの中に、
ワタシもあなたも、海外のYOUも、
ご先祖様の拙者も、
みんなの行動パターンが
予め既に、設計図のように書かれているの。
まるでワタシたち人間は、
自然の枠組みの中で動く機械のように
(自由意志がないオートマトン(自動人形)のようだ。
まるで人間には、
最初から行動パターンが決まっていたり、
最初から取扱説明書のような仕様があったり、
最初から○○タイプとか△△タイプとか、
人間はある程度のパターンにカテゴライズできたり。
そんでそんな膨大なデータが
太古の昔からずーっと受け継がれている!
そしてワタシたちは、
その巨大なマトリックスの中にいて、
枠の中であらかじめ予定されているように行動をしている、
という面白い傾向。
めっちゃ頭がパッカーンした!
そもそもなんでそんな訳の分からんものに
興味を持つようになったかと言うと、
最初は、自分の心のこととか、
潜在意識について、
もっともっと知りたかったのだけども、
そしてもちろん、瞑想とかを深く深く継続すれば、
心のことを自分で探ることも可能だけれども、
それを補強するかのように、運命論的な考えていえば、
まるで最初から言い当てられるかのように、
自分自身の「潜在意識の属性」的なものが
すでに備わっている、ということ。
(めーっちゃ当てはまってるんだよ、コレが!)
そーゆーのは、
なんだかよくわからん不思議な力で
言い当てるのではなくて、
最初から(何千年も前から)
巨大なデータベース(統計学)
の中に既に書かれている、ということ。
めっちゃおもろい!
それでも運命に抗う
そんでね、ワタシ、
もう運命論的な考え方について、
「好き・嫌い」という感情は
もう完全に無くなってしまったよ。
それどころか、
自分は特別じゃないし、
みんなと同じだし、
それでいてみんなと違うし、
みんなそれぞれ、
パターンがあるし、
めっちゃおもろい!
そんな風に、すっげー大きな視点で
見えるようになったら、
急に人間全体が、めっちゃ好きになりそうw
(人に対する興味がめっちゃ出てくるw)
そしてね、それでもね、
その上でね、
ワタシは選ぶ!
それでもワタシ、
運命に抗う派の人間になるってねw
やっぱりこの世には、
運命の言いなりになる人と、
運命を切り開いていく人の
2タイプいる。
「地球は平たくねぇよ、丸いに違げねェ!」
つっていきなり、見知らぬ大海原に船を出すとか、
「人類はテラフォーミングして、いつか火星に行ってそこで住むんじゃい!」
とか、
「人類は、DNAとかハックして、寿命とか超越するんじゃい!」
とか、
わりと、一神教の人たちとか、
あのとんでもないバカでかいスケールの挑戦とか、
何の根拠もないのに、無理やり枠をこじ開けちゃうくらいの大胆さ!
ワタシ的には、そっちの世界観にワクワクしちゃうタイプw
(そして、人類は、いつも最新記録を更新し続けている!)
運命を別の言葉に置き換えるなら、
「人間の行動範囲を制約する枠」
そして人類は、
歴史を通して見れば、
常にこの「枠」を壊し、
更新し続けている。
この世界は本当に枠
(閉じた世界)でできているのだろうか。
*つまり言い換えると必然の世界(人間は自然環境によって動かされる機械である説)
それともこの世界は、
開いた世界になっているのだろうか。
*つまり言い換えると、人間には自由意志があって、自然を超える。
それは歴史上誰一人として、
証明できた人はいない。
まるでいたちごっこのようだ。
あるとき、人間は枠にとらわれ、
また別のあるとき、枠をブレークスルーし、
そしてその先にまた大きな枠が待ち構えている。
しかしそれでも、やがてまた、やはり人間は、
その枠をぶち壊していくのだ。
運命論は役立つツール
そんでね、運命論は
役立つツールなんだ。
なぜなら、
自分の心がわかるだけじゃなくて、
その属性やら、傾向やら、あるいは、
自分以外の他人のそれらとか、
スケールを拡大して、
ある程度、その人間のデフォルト設定を
把握することができる。
それを把握していれば、
問題や課題にどう対応していいかが、
よりわかりやすくなる!
だから「運命とか嫌いじゃい!」
つって嘆くよりも、
「運命のやろうを利用して、自分の選択後の世界を切り開いてやる!」
という態度の方が、より建設的だなぁって思った。
自分の心について、
一回りデカいスケールで、
把握できるようになって、
意識がぐーっと広がった感じがした!
めっちゃおもろい!
より人間が好きになる!
そんじゃ