最近、ちょっと自分の中の
バイアス(盲点)に
気づいたことがあった
それは名付けて
「」
「好きなことする」
をしていくと、やがてそれは
自然発生的なアナログなフロー(流れ)の状態から、
いつのまにやら、
形式的なデジタルなサイクル習慣へと
陥るという罠に気づいた
自然発生的な方は、今この瞬間の輝き。
形式的な方は、プログラム化されたサイクル。
習慣化は別に悪いことじゃない。
繰り返しは良い結果も生む。
繰り返しの練習も学習も、
生活習慣も、やるほどにそれは、
やがて潜在意識へ刷り込まれていく。
がしかし変化のないサイクルは
閉鎖系。
閉じた系。
それはやがて淀む。
水は腐る。
ときおり、この習慣というサイクルに
変化(ゆらぎパターン)を取り入れないと、
やがてそれはエントロピー最大化。
死んでいく。
好きなことの罠
そして最近「それの大きいバージョン」
が生み出す罠に
少し気づいた気がする。
それがこの、
「好きなことを選択した代償」
これを言い換えると、
「好きなことしたから、その代わりに我慢したもの」
たとえば、
好きな焼きそばを食べた代わりに、
その他の好きな焼うどんは我慢しないといけない。
(一度に食べられる量は決まっているパターン)
たとえば、
大好きな高級ステーキランチを食べたから、
夜は少し質素なお茶づけで我慢する。
(一度に使えるお金の量が決まっているパターン)
好きなAちゃんと一緒の時間を過ごすから、
その時間は、好きなBちゃんと過ごすことを諦める。
(一度の選択が決まっているパターン)
そんで、好きなことが見つかって、
好きなことやっているときは
それはそれで良いことなのだけれも。。。。
がしかし、もしそれが
無意識のうちに「好きなこと」が
ある日「しなければならないこと」
に変化してしまったら、
それは流れが変わる。
(自由意志からオートマトン(自動人形)に切り替わる瞬間)
大好きなテニスをしているのに、
いつの間にか、
「テニスの練習を毎日2時間やらなくては!」
という方へ意識が向いてしまったとしたら、
「テニスが楽しい」の意識より、
「練習しなくては」の意識の方が
強くなってしまう。
すると「楽しい」の状態から、
「不安・焦り・義務感」などの状態へ
心が切り替わってしまう。
これは
好きなことしている人
が陥りやすい罠
そんでもって、
気づきにくい・・・
そして実は、
コレ、先月、
うっすら気づき始めたのだけども、
なんかその直後に、
好きなことしてた先に
新しい展開が来そうだったから、
とりあえず、
無視した。
もし今後、
なんか好きなことが
楽しい状態の増幅として、
もっと良いことに発展したならば、
それでいい。
でももし、今後、
なんか好きなことが、
不安・焦燥感の状態の増幅として、
あんまり発展性のない繰り返しパターンに
陥っていたとしたら、
それはパターンから抜け出す時期。
とりあえず、
この罠に気づいたけど、
もうちょっとだけ様子を見て見る。
なんか
「遊んでていいのかなぁ・・・」
という罪悪感を手放したい。
「これだけはやっておきたい」
がどうしても先に優先してしまう。
(もちろん、それも好きなことの範囲の事柄)
そしてこの
「これだけはやっておきたい」も
結構好きだったりするんだけども、
「これだけはやっておきたい」
の100%中、どれくらいの割合で、
次第に「もっと精度を上げないと」とか
「もっとクオリティを上げないと」とか
そーゆー「しなければ」(不安・焦燥感)の割合が、
増してきたかによって、
その後の結果が変わってしまう。
だから、日々、自分の心の状態を
チェックしているのだけども、
なんか難しいよね
楽しいのと
罪悪感と、
どっちもいい感じの割合で混ざって、
でもここまできたらもう、
「仕上げないと」感
まで出てくると、
いよいよ罪悪感が勝ってくるw
それに後付けで
「もったいない」感まででてしまうと、
それはもう、イカンw
勇気を出して捨てる。
いかに、今やってることをやめて、
遊べるか、
別のことしちゃえるか、
そこにかかっている