前回のブログ記事
の続き(Alternative Version)
前回の記事の内容の大前提が、
「この地球はブラックボックスのように仕組みの
内部の動きまでは分からないのだけれど、
何かしらの秩序があって、結果、何かしらの豊かさが生まれる」
そんで、僕らはそのブラックボックスの中で動く
オートマトン(自動人形)のような存在なのだ。
とゆー感じのことを書いた。
そんで、今日の記事は、
更に深堀して、、、
1.ブラックボックス地球に手を加えず、
ほったらかしのまま作動し続けていても
実は大丈夫だった説。
2.人間が恐怖心を持ったままブラックボックス地球を
操作し続けていくと、豊かさを生み出す機械(ブラックボックス地球)
そのものがぶっ壊れるかもしれん説。
の2本立てでお届けじゃ
何もしない方が豊??
「何もしない方が実は豊か?」
だとしたら。。。。
こんな風に、まず絶対にありえなさそうな、
だからこそ、絶対に思いつきそうもないことを、
とうとう意識するようになった今日この頃。
絶対にありえないかもしれないけど、
トチ狂ってる感じがするけれど、
そんなの馬鹿げていると思うかもしれないけど、
もし、もし、もし、
万が一・・・!!
何もしない方が、
実は、嘘みたいだけど、
本当のところは、
「豊かだった」のでは???
とゆーハチャメチャな疑問を持つこと。
だからこそ!
今まで小さな自分では認識できなかった
新しい世界が見え始めたりする。
そーいえば、僕はよくいろいろな人から
ご飯とかをごちそうになるときがあるんだけれども、
昔の自分でまるでそんな感じじゃなかった。
でも僕がジェダイの教えに出会い、いろいろ学んで以来、
自分の表面的な性格っぽい部分はもちろんのこと、
もっと深い部分の「在り方」まで、少しずつ変わっていき、
そしたら、なんか知らんけど、昔よりも豊かさを受け取ることが
上手になってきた気がするの
少しずつ肌で感じてわかってきたのは、
豊かさって「がんばって得る」のではなくて、
僕が誰かと一緒にいてその人がうれしい気持ちになったり、
楽しい気分になったら、何もしていないのに
向こうから豊かさをくれたりするんだ、ってこと
でもこれだけだと、やはり
「与えたい人」と「受け取る人」の2つに
世界が分断されているままなんだ。
ってことに気づいた。
でもでも、もし、
僕ら人間が全員で「オートマトン」であることを辞め、
すなわち言い換えると「恐怖によってアルゴリズム空間にとらわれる」
ということをすべて放棄したとき、
実は実は、太古の昔より、
人間以外の太陽、風、動植物、虫、水、
あらゆるすべての自然たちが、
オートマトンとして働き、
「勝手に豊かさを与えてくれていたのではないか?」
と感じるのだ。
*ちなみに、オートマトンとアルゴリズムについては、
何度もブログ記事で書いてきたけど、
解説が長くなるので、詳細についてはそれぞれ
こちらの記事(オートマトンについて)と
こちらの記事(アルゴリズムについて)を参照くだされ
「全員でオートマトンを辞める」とうこと、
つまりもっとかみ砕いて言うと「全員で行う(あるいは、信じる)」の部分がミソで、
これはつまり、「与える側、もらう側」という2層構造が消えるということ。
二元論的な構造が消えるということ。
すなわち「差」が生まれなくなるということ。
え、つまりみんなで働かないで
何もしないで、
ただ息を吸って
ぼーっと生きるとでもいうの?
そんなんじゃ、人類全体が
滅びじゃうじゃん!?
というその
トンデモな部分に対する
疑問を投げかけてみるのだよ。
その絶対に思考することさえしなかった部分に対して、
絶対に開拓されることがなかったその未開の領域に対して、
人類が割とガチ目に真剣に考えてみるのだ。
(たぶん、歴史の超スゴイ偉人とかは、きっと既にやっていただろうと思います)
「がんばらないと豊かになれない」
が本当は幻想で、
それを信じている層が
全人類の99.999%以上で、
でもでも、実は実は、
本当のところは、
最初から何もしないでも
ブラックボックス地球は、
何もしない僕たちに、何かしらの豊かさを
産み出してくれているのだとしたら??
なんか知らないけど、
山の水はうまいし、
なんか知らんけど、
真冬に咲く花とかあるし、
なんか知らんけど、
暖かいところで野生のバナナとか
勝手に実になるし、
なんか知らんけど、
勝手に温泉湧き出てるし、
的な。
「このなんか知らんけど豊か」
の部分が、太古の昔には
きっとたくさんあった。
そんでその豊かさの恩恵を
人類は、ただ受け取るだけだった。
最初、人類は、それらをありがたがった。
毎年毎年、季節ごとに変わるこの「豊かさ」
を喜んで受け取っていた。
もしかしたら、
今とは比べ物にならないほど、
豊かだったんじゃないだろか。
だがしかし、
それが何年も続き、
それがまるで空気のように
「あたりまえな存在」になり、
やがて人は感謝をしなくなった。
ありがたみを忘れていった。
そして人々は、渇望し始めた。
もっと欲しい、
もっともっと欲しい
もっと違う豊かなものが欲しい
そうして、人類は、
ブラックボックス地球の自動プログラムをハックし、
内部から操作し始めた。
ブラックボックス地球のこの部分を操作すれば、
「畑」というシステムが作れるらしい。
ブラックボックス地球のこの部分を操作すれば、
「工場」というシステムが作れるらしい。
ブラックボックス地球のこの部分を操作すれば、
「ネット」というシステムが作れるらしい。
アレコレ手を加えていき、
人類は「人工の豊かさ」を享受した。
人類は益々、豊かになっていった。
ただし、この「人工の豊かさ」には
条件があった。
この人口の豊かさを生み出すためには、
人類の中で「2層構造」を作り出さないといけない、
ということ。
これはすべてに当てはまった。
仕事を与える人、
仕事を行う人、
富を生むシステムを作る人、
富を生むシステムを動かす人、
豊かさを受ける人、
豊かさを与える人、
などなど、こんな感じで、
他にもあげたら
沢山の事例が出てくると思うけれども、
ほぼほぼこの2層構造によって
豊かさエンジンがグルグルと周り出し、
動き続けている。
人類対自然の2層構造
人類が生み出す「人工の豊かさ」は
人類の枠組みの中で
「2層構造を作ること」が条件だったけれども、
実は、これはもう1つ大きな枠組みから
眺めてみると、「全人類」対「自然」
というもっと大きな視野の「2層構造」が見えてくる。
ブラックボックス地球という
「豊かさ発生マシン」をハッキングして、
自分たちの理想の「人工の豊かさ」
を生み始めた人類は、
始めの頃は、自分たち人類の英知を喜んだ。
自分たちの手によって生まれた豊かさの成果に
自信を持ち始めた。
やがて時が経ち、
人類はまるで自分たちが神であるかのように、
すべてをコントロールできると
思い始めた。
だがしかし、
そんな中、ごく少数の人々が
気づき始めた。
「あれ、地球って2層構造になってね?」
ブラックボックス地球のエンジン内部も、
人類たちが頑張って動かしている「人工の豊かさ」を得る仕組みと同じように、
2層構造になっているのではないか、
という風に疑問を抱くようになった。
そこで人類は、
エンジンルームに入り、調べてみた。
エンジンルームの中で作動している
ブラックボックス地球のエンジンは
2つの層で出来ていた。
それぞれの層にはラベルが貼られていた。
~ラベル~
「人類側」
「自然側」
~~~~
「なんとぉ!ブラックボックス地球のエンジンは、
2層構造で成り立っており、ワシら人類は、
片側しか動かしていなかった件」
そこでエンジンルームを覗いた人は
こう思った。
「人工の豊かさ」を回し続けていくと、
太古よりあった本来の「自然の豊かさ」
が減っていくんじゃね?
例えば、
自然の資源を使いまくって、
その資源で人口の豊かさを生み出すとき、
自然の豊かさの量は減る。
木を使って、木の製品を作り「人工の豊かさ」
を得られるけれども、
地球上から木が1本、2本と減り、よって
「自然の豊かさ」が消えていく。
それはつまり、言い換えると、
「自然の豊かさ」を生み出してくれる
エンジンの片方に負荷が掛かる、ということ。
だから
「がんばって生み出した豊かさの総量」
が増えたとき、
「何もしないで生まれる豊かさ」の総量」
が減る。
「がんばって生み出した豊かさ」
=
「人工の豊かさ」
「何もしないで生まれる豊かさ」
=
「自然の豊かさ」
こういう方程式が成り立っているということに気が付く。
前回の記事の内容では、
オートマトンであることを手放し、
自分以外の誰かにお願いをすることについて書いたのだけれども、
今回の記事の内容では、
オートマトンであることを全人類が手放し、
自然にお願いをすること、について書きたかったの
自然が力を取り戻したとき、
自然の豊かさが、人工の豊かさに
やがて追いつくんじゃないか、という。
逆に、人工の豊かさにバランスを置きすぎると、
自然の豊かさがどんどん損なわれてしまう。
よってブラックボックス地球が最終的には、
機能しなくなってしまう。
だから
「何もしない方が豊かなのかも」
というこのありえない、
トンでもない、
非常識すぎる問いというのは、
逆に言うと、
あり得ないほどに
トンデモない
「すっげー答え」を
返してくれることもあるってことさね
だから問うてみる価値、
大いにありなのだね。
そんじゃ