好きなこと見つからないのは、
好きなことあるのにわざと見つからないように仕向けている自分がいること。
好きなことあるのに、怖くてできないのは、
好きなことしたら恐ろしいことが待っているという思い込みをたくさん植え付けられていること。
自分らしくありたいのに人の目ばかり気にして生きてしまうのは、
自分の中にあるものから目をそらすための暗示がかけられていること。
あなたの中にすでに出来上がっている
「呪いのプログラム」
これを忠実に実行し続けていて、
これから逸脱すると、怖いことが起きたり、
痛い目に会ったり、
大変なことが起こる、と信じ込んでいる。
好きなことが見つからないのも、
好きなことができないのも、
自分らしく振る舞えないのも、
すべては、この「呪いのプログラム」
によって心が支配されているから。
これに尽きる。
そしてこのプログラムは、
どんなにすごい人でも、
どんなに自由な人でも、
多かれ少なかれ、誰しもが、
みんな個人個人のレベルで持っていたりする。
だから、べつに
それはそれで普通なこと。
それ自体を恥ずべきことでもない。
そして、誰しもがみんな、
「呪いのプログラム」を
「キラキラ★ステキプログラム」に書き換えたい!
と思うのは自然なことなのだ。
あれもできるようになりたいし、
これもできるようになりたい。
あんなことも堂々と言えるようになりたいし、
こんなことも堂々と言えるようになりたい。
あんな風に振る舞いたいし、
こんな風に振る舞いたい。
呪いのプログラムを書き換える
呪いのプログラム言語で使わる定数を減らしていこう
「呪いの部品」に気づく
まずは、プログラミングを設計するために
使われている各部品がるのだけれどもね、
呪いのプログラムには「呪いの部品」が
実にたくさん使われていることがあるのだ。
だからね、まずはじめに、
その存在について、知っていこう。
たとえばね、
「~するべき」という部品。
これをあらゆる価値観にくっつけてしまうと、
行動が狭まってしまうね
「~しなければならない」もそうだね。
*たとえば「真面目にコツコツ勉強しなければならない。」とかね。
あとね、
「〇〇したら△△になる」
っていう方程式もそのようになりうる。
この方程式は、良い世界を構築する際にも、
使えるのだけれども、
実際には悪い世界を作る部品として、
実社会ではものすごくたくさん使われてしまう。
たとえば、
「テストで100点とったらおもちゃ買ってあげる」
とかね。
つまり、取引思考ってやつなのだ。
もちろん、良い世界を作る際にも使えるときがあるよ。
例えばね、
「ステキな言葉を相手に言い続ければ、相手があなたの前でステキに変わっていく」
とかね、良い方にも使える。
だけどね、
「〇〇しないと悪」
「〇〇じゃないと怖いこと起こる」
「〇〇でなければ損する」
「〇〇でないと良くない」
とかね、恐怖に結び付けて、
あらゆる価値観や行動パターンに結び付けてしまうと、
やがてそれはあなたの思考を支配する呪いのプログラムとなってしまう。
だからね、こーゆー「呪いの部品」の存在に気づいていこうね。
どうやって気づくのかって?
それはね、この記事では長くなるから簡潔に言うけれども、
考えるのではなくて、「心が感じた」ときに、
サインが出てくるのだね。
それについては、別の記事とかも読んでみてね。
そんじゃ、話を続けるよ。
次はね・・・
良い世界を構築する部品を投入する
呪いの部品にきづけたらね、
今度は逆にステキな世界を構築するための、
「ステキな部品」にどんどん置き換えていこうね。
もし、あなたが、
やさしい人間になりたい、と思った時は、
「私はやさしい」という言葉を最初に持つのだ。
それをあなたの脳内プログラムの中にその文ごと
丸々入れるのだ。
でもね、一度、その「ステキなプログラミング文」を、
呪いのプログラムの中にそれを入れても、
すぐに吐き出されちゃうんだ。
なんつったって、呪いのプログラムだからね。
呪いのプログラム
「うわ、なにこれ!自分と真逆!全然合わない!」
つって「ぺっ」って吐き出しちゃうんだ。
それでもね、
繰り返し、繰り返し、何度も何度も、
自分に優しく言い聞かせていくのだ。
するとやがてね、
「呪い要素」が薄まっていって、
だんだんと「やさしさ要素」が勝ってくる。
でもね、
「呪いの部品」を先に取り出すほうが大切だね。
普段から「呪いの思考・言葉」を持ち続けてしまうその原因に、
呪いの部品が関連しているのだ。
だから最初にそれに気づくことが大切なのだ。
「ああ、自分、結構、こんな価値観ばかり持ってたんだ!」
って気づくのだ。
気づかないまま、無理やり
「私はやさしい!」ってキラキラ文を言い続けるのは、
結構きついのだ。
苦しいのだ。
自分らしくなくて無理なのだ。
それは例えるなら、
穴の開いたバケツに水を入れ続けるような行為。
穴をふさぐために、まずは呪いの部品をどんどん減らしていくのだ。
そんじゃ、次ね・・・
ステキプログラムな人たち
そもそも最初から、
呪いのプログラムに1ミリも毒されていないような、
罪悪感を持たず、キラキラとステキな、そんな人たちがいる。
そんな人たちは自由だ。
何をしてても自由だ。
自由に振る舞える。
それに罪悪感を持たず、それがあたりまえだと思っている
そーゆーひとの存在をまずは認識してみるのだ。
そーゆー人たちと一緒にいると、
光速で変われたりするのだ。
といっても、
実は「呪いのプログラム」を持っている場合、
実はそーゆー人たちを見つけることは至難の業なのだ。
「呪いのプログラム」があなたにキラキラな人たちを見せないよう、
意図的に隠してしまうのだ。
あるいは、仮に見つかったとしても、
あなたにとってそーゆー人たちはキラキラに見えないのだ。
キラキラどころか「ドロドロ」に見えちゃうのだ。
あんな連中「ありえない!」という
真逆の対象ですらあるのだ。
「けしからん奴らだ!」
と怒りすら覚えてしまうのだ。
だから、呪いのプログラムで呪われている以上、
そーゆーキラキラな人たちは、一生見つからないし、
見つけたとしても、出会えないし。
そーゆーものなのだ。
でも不可能じゃないのだ。
だからね、
まずは呪いの部品に気づいていくのだ。
少しずつ書き換えていくのだ。
時が経つと、人の心は変化する。
考え方もやがて変わってくる。
あるとき、
「あ、べつにありえなくないかも」
という感じで、
見え方が変わってくる。
世界観が広がってくる。
そんなときって割と、あるあるだよね?
子どものころ、ありえない!
と思っていたものが、
大人になって、好き!
と思えるとか、
あのときは「マジで無理!」と思えたたものが、
今になると「わりといいかも」って思えたり、
結構あるのだ。
人の心は変化しやすい」とは、良く言われるものの、
それってつまり、逆の言い方をすれば、
心はあなたがあなた自身で変えたい方向へ変えていくことも可能、
ということなのだ。
だから、不可能じゃないのだ。
少しずつ、やっていこ
そんじゃ