ブログを書くのがチョロくなる魔法
シリーズもの第4弾目!
毎日毎日、
ブログを書き書きしております。
書き書きしているうちに、
書くことが当たり前になってきて、
書くことは、食べること、と同じくらい、
習慣となってしまいました。
毎日、何かしら書きたいことは自然と
出てくるものだし、
頭の整理にもなって良いことなのであります。
そんで、ブログを書く習慣というか、
どうやって書き続けることができるのか、
ということを考えてみたら、
新たな魔法が発動していたことに気づいた。
それが今回の第4弾目!
ブログマジックNo4!
好きの力
今回のは、ノウハウというより、
完全に「あり方」です。
なのでこの記事を読んだとしても、
「なんだ、それ、参考にならん・・・」
と思われるかもだけれども、
でも、と~~~っても大切な部分
でもあるので、
淡々と書いていきまっす。
ブログを書くことの魔法第4弾とは、
それはまず、
「書くのが好き」ということ。
なんだぁ~
ツマンネ。
ほら、やっぱり、
それ言うと思った!
だけどもね、
もっと次の展開を言わせておくれ。。。
「書くのが好き」
ってことはさ、
これを言い換えると、
「表現することが好き」
(アウトプットが好き)
ってこと。
そんで
「表現することが好き」
ってことはさ、
「自分と世界が好き」
ってことにつながる
つまりは「好き」
っていう感情を
表現しているだけのことなのだった。
「自分で自分のことが好き」の状態になれば、
自分のことを自然に表現したくなる、
という欲求が出てくるものだし、
「自分で世界のこと好き」って思っていれば、
自分で見て知って体験した世界を
自然に表現したくなるという欲求も出てくる
(↑これについては第3弾でも深く触れた)
そんで、今回の記事でもそうだし、
今まで書いてきた記事でもそうだけれども、
このブログでは「内側から出てくる自然な欲求」
言い換えれば、「内側からアウトプットすること」
を中心に書いてきているのさ。
それに対して、
「外側からのアウトプット」とは、
情報を取り入れたり、書き方を勉強したり、
アイデア創出のための論理的アプローチ(テクニック)を使ったり、
ということに繋がる。
そんで、どちらも大切だと思うし、
どっちを選んでもいいし、
どちらも混ぜてもいいし、
好きなようにすればいいのだけれども、
この「好き」の気持ちは
とても大切な原動力だよね!
つーことを、今回の記事では、
原点回帰みたいな感じで、
初心に戻るみたいな感じで、
語っているわけでございますです。
そんで「世界を好きになる」ということも、
結局は「自分を好きになる」ということなのです。
だってそれは第三弾を読めばわかるはず。
自然(世界)は外部情報なのだけれども、
「自然(世界)の観察とそれを自分で感じ取る」
という行為は、紛れもないあなただけのオリジナル
(一次情報とも呼べる)になるから。
↑
詳しくは第三弾を読んでくだされ。
つまりは、自分で自分を好きになれば、
世界を見るフィルター(あなたの主観)
に磨きがかかるのだ。
もちろん嫌いになっても同様に、
やはりフィルターには磨きがかかる。
「好き」も「嫌い」もどちらもエネルギーを持っている。
けれども自分は「好き」の気持ちの方を選んで、
それを育てているだけ。
そこから出てくるエネルギーが、
結局のところ「何かしらの表現」
という形に変換され、それが
自分以外(世界)に向けて形となって現れる。
それがたまたま「文章」であったり
「音」であったり、
「映像」だったり、
あるいは別の何かだったりする。
(ブログだけににかかわらずね、すべてに当てはまってくる)
「好き」でも「嫌い」でもどちらでも
エネルギーに変換される
(そして自分は「好き」の方が好きだから、
そっちを選ぶ)
【今回書いたことのまとめ】
★今度は逆の手順で考えてみる↓
「自分で自分を好きになる」
↓
「自分のフィルターを通して見た世界も好きになる」
↓
「自分を語る」
(↑これは第2弾の記事で書いた)
「世界を語る」
(↑これは第3弾の記事で書いた)
↓
「その表現方法が、たまたまブログだった」
(ブログ以外でもあなたの好きな表現方法が何かしらある)
とゆーことなんだわ。
つまりは、
このブログのタイトル
「好きなことして生きる」にも
繋がっていく「あり方」なのだ。
画期的なノウハウでもないし、
使えるテクニックでもないから、
ツマランかもしれんけど、
結局はそーゆーことなのだ。
「在り方」が大切なのだ。
そんでこの「好きの気持ち」
に気づき、育てていくことについて、
あの手この手でいろいろ書いてきたけども、
まだ書けていなこともあるかもだけども、
また思いついた限り、
何かしらの方法で、
表現していくのだと思う。
とゆーことで、
このブログをいつも読んでくれて、
ありがとなのだ。
そんじゃ・