敵を知り己を知れば100戦危うからず
という有名なことわざがあるけれども、
これを意訳すると、
「相手のことと自分のことを両方知れば、いろいろとうまくいくよね」
っつー感じになると思うゾ、現代的に言えばね。
つまり現代的に言えば、
別に誰とも物理的に戦わないし、戦争だってしないのだが、
言い換えれば、相手との関係性を保ち、その中で
自分自身の社会的なポジション(居場所)を確立していく、
という本質については、大昔から何一つ変わっていない部分だと思うのよ。
そんで僕的にいえば、
誰とも競争しないし、
奪い合って先良いポジションを取ろう、
という思いもない。
僕的にはそーゆーのが苦しくて、嫌で、
だからこそ、ずーっとお花畑な理想論的な事ばかりを、
これまでにも延々とブログに書き続けてきたのだった。
「どうすれば誰とも競争しないで、
「自分の好きな事で生きていけるか」
というテーマが個人的には、
すごく大切なことなのだ。
昔書いたこの「不戦の誓い」ってやつがキーなのだ。
そんで、僕らはけっこう「敵を知り」
ってやつを先にやってしまう。
ずーっとこればかりやってしまう傾向がある。
(と勝手に僕の主観で話す)
「敵を知る」とは、
相手を攻略したり、
ノウハウ・テクニックを身に着ける、
ということが当てはまるだろうし、
もっと抽象度を上げていくと、やがては、
「自分の外の世界をどうやって攻略していくか」
という本質に近い部分に行き着く。
がしかし、それとに反して、僕らは概して、
「己を知る」という行為をあまりやりたがらない。
そもそもそんなことを認識するに至らない場合もある。
(と、勝手に僕の主観を話してみる)
大人になればなるほど、
経験を積めば積むほど、
失敗をすればするほど、
僕らはやがて、自分の外の世界に目を向けることを辞め、
自分自身について、自分の内側に目を向け、
「もしかしたら自分に何か原因があるのではないか」
とだんだんメタ認知が育つようになっていく。
自分を知る方法
そんで、このブログでは
「自分を知る方法」を今までたくさん書いてきたのだけども、
どんどん突き詰めていって、最近になって僕が行き着いたのは、
「運命論」という考え方だった。
もちろん、自分を知る方法は他にもある。
たとえば、瞑想したり、
人に自分自身のことを聞いてみたり、
心理学的なことをまなんだり。
どれも素晴らしいアプローチ。
その上で、僕が自分自身を
どんどん知っていく中で、
1つの気づきを得る
自分自身の中の持って生まれた
「変えられない部分」
自分自身で切り開いていく
「変えられる部分」
この2つが存在するということ。
そして今回の記事は、
運命論的なこの「変えられない部分」
について、書いていこうと思った。
この世界が始まって以来の
巨大な歴史の中で生まれる
巨大なデータの統計学があって、
その中に自分自身という人間の
持って生まれた属性やタイプ
が既に決められている。
それは例えていうなら、
たまたま「背が高く生まれた」とか
たまたま「アメリカで生まれた」とか
最初から与えられていて、
決して変えられない部分。
それが「見た目」や物質や肉体
というわかりやすい部分だけでなく、
僕らの心の深い部分にある
「器のカタチ」まで
予め決められているということ。
「え~そ~いうの信じな~い!」
「あやし~い!」
っていう人もいるかもしれないし、
僕もただ盲目的にお花畑になることが
あんまし好きじゃないから、
あえて表現を変えていくと、
「遺伝子の情報」
と言い換えていいかもしれない。
もちろん、これは
何千年も昔から受け継がれている巨大なデータベースを
読み解く人たちからすれば、
このような表現は、かなり大胆で大雑把でいい加減なこと、
と思われるかもしれないけれども、
「遺伝子的な表現」の方が、
現代人にはしっくりくるのだ、個人的にね。
(そして、誤解が無いように言うと、本物の運命論ってやつは、
個人の遺伝情報なんてレベルは軽く超越して、
もっと巨大で広大な宇宙の起源まで行きわたる)
でもね、僕は思うよ。
近い将来、人のゲノム情報を99%解析できれば、
「運命論」(全体の中の浅い部分)はもっと具体的な方法で導き出せそうな、
そんな気がするのだね。(ワシの妄想だと思ってね)
面白いほど当てはまる自分の運命
でもね、僕は、この運命論的な考え方が、
面白くて面白くて、
めっちゃハマってしまったのだよ!
だってね、今までなかなか言語化できなかった
自分の中のモヤモヤ感を、
あ!そうそう!
それそれ!
なんでわかるの!?
っていうくらい、
バッチリと説明してくれるのだ。
まるで僕の毛穴の隅々まで
見通しているかのように、
宇宙という巨大なデータベースの中に、
最初から「僕の設計図」が用意されている、
かのように思えるほど、
僕が僕について知ろうとするより、
巨大な歴史の統計学の方が、
「僕という人間」を事細かく、
説明することができるという不思議。
もうね、これがね、
あまりに面白くてね!
ある程度までなら、
この巨大な歴史のデータベース(統計学)を
自分自身でも読めるくらいになってしまった
(もちろん、素人レベルだけどね)
そして同時に落胆もした。
ああ、やっぱり僕ら人間は、
この自然システム(宇宙)の中の、
機械の一部なんだ。
僕らは、あらかじめ決められた
シナリオ(アルゴリズム空間)の中を、
自由意志を持たずにただ動き続ける
オートマトン(自動人形)なのかも知れない、
という信念を強化せてしまうほど、
この運命論的な考え方は、
無慈悲で残酷的なものにも思えた
心理学的なことを学んでいるときは、
心の中の「変えられる部分」について、
フォーカスできたから、心が明るかったのだけどもね、
この運命論的な事を知ってからは、
心の中の「変えられない部分」について、
認識するようになって、少し心が暗くなることもあったよ。
(*↑でもね、最後まで読んでね。
僕ら人間には、希望が残されているから)
そんで、最終的には、
僕はこの運命論的な考え方が
めっちゃ好きになれたよ!
だってね、自分自身のこと(自分の設計図)が手に入って、
「これからどう生きればよいか」ということがわかって、
だからこそ、自分のことがめーっちゃ好きになったし、
更に更に!自分以外の人間のことも
今まで以上に好きになれたのだよ!
なんか自分の中の世界が、
ぶぁ~
って大きく広がった感じがした。
自分を知ると自分軸が強化される
自分自身を知れば知るほど、
自分軸がどんどん強化されていく。
ワラのような細い軸から、
木の枝に育ち、やがて、
鉄パイプぐらい硬くなり、
ハチャメチャに硬くなっていく。
「鋼のちくわぶ☆」(ちくわぶって何?)
運命論的なことを知って、
自分自身のことを知るとね、
得体の知れない
「しっくり感」
が心の底からじわじわ~って
沸いてくるるの
これがね、かなり安定しててね、
盤石な感じでね、
揺るがない「安心感」みたいなもの
だったりする。
自分自身の中で
「しっくり感」が出てくると、
例えばね、
自分に合う髪型はコレ!
自分に似合う洋服はコレ!
自分の話し方はコレ!
自分の表現の仕方はコレ!
などなどね、自分の中の、
ありとあらゆる軸がね、
ワラから鉄パイプぐらいに
ぐっと硬くなってく。
自分はコレ!
心の中心に育つ、揺るがない安定感。
心の中の色が、清らかになり、迷いが減る。
他人や外の世界に踊らされにくくなる。
自分を知ったその後は・・・
そんでね、僕の自分自身を探る1つの旅はこれで終わり。
僕はね、別に運命論の専門家になりたいわけでもないし、
瞑想の指導者になりたいわけでもないし、
心理学の先生になりたいわけでもない。
ただ、僕は自分のことが
知りたくて知りたくて仕方が無かった。
心理学では
「変えられる部分」について知ることができたし、
運命論的な部分では
「変えられない部分」について知ることができた。
(そしてどちらも、まだまだ、磨きの段階ですが)
そして瞑想では、どちらもアクセスできるようになる。
(*今の僕の瞑想レベルではまだ、アクセス出来ても
せいぜい「変えられる部分」くらいなものです(それすらも難しいこと)
それより更に深い部分へのアクセスは、かなりの深い瞑想が必要かと思われます
でね、僕の中で1つの旅が終わった。
僕は方向を転換して、
「新たな自分を知る旅」
をすることになる。
それは人間関係。
自分を知るもう1つの方法とは、
自分以外の人間たちとの関係性を
深めていくこと。
なぜなら、台風の目は空っぽだから、
台風の目を「存在させてあげる」ためには、
台風の目の周りを取り囲む「台風」が必要なんだ。
なぜなら「勇者」がたった一人だけの世界では、
物語は何1つ始まらないのだから「勇者」を取り囲む
村人もモンスターもラスボスもお姫様も、
みんながセットで必要なんだ。
なぜなら、自分自身の目では自分自身の姿を
見ることはできないのだから、
自分以外の誰かに自分自身を見てもらう必要があるんだ。
それがもう1つの「自分自身を知る方法」
僕は今まで進んできた道を180度
方向転換をして、
今度は逆側に向かって進んでいく。
それが新たな旅のルート。
とは言っても・・・
そもそも、こんなことを始めたのは
コロナの影響があったからなんだよね。
コロナの影響のために、
僕は人との関わりがアレコレと、
絶たれてしまった・・・
(全部じゃないけどね)
それで仕方がなく、
「今できることは何かなぁ」と考えいるうちに、
この運命論的な方法なものに興味を持って、
遊び半分でいろいろ調べてみたんだよね
でもね、
そろそろ人恋しくなってきたよね・・・
そろそろお外出たいよね・・・
誰かと交流したいよね・・・
う~ん、このコロナの中、どうやって
自分の好きなことを通して、
人間関係を深めていけばいいだろうか・・・
と日々考える中、オンラインで
アレコレ、試したいことが出てきたので、
ちょっとやってみようとしてるのね。
つーことでね、
自分自身を知ることはね、
めちゃんこ面白いゾ!
コロナの影響でね、
今はいろいろな自由が制限されてしまってるけどもね、
でもねいくら小さなコロナでも、
「僕らの心の中」までは支配できないだ。
その領域はいつまで自由なんだ。
あなたは自由に心の世界で遊べるのだ!
このコロナの機会はね、
自分軸を強める良い機会だと
逆に思えたよ。
そんじゃ。
あとがき
この世界はまるで光と影のように
「50/50 の原則」
が成り立っているかのように、
作用しています。
つまり「遺伝的要素」とは結局のところ、
あなたの人生を司る全体のうちの
50%でしかなく、
残り半分の50%は「環境」によって
いかようにも変化させることが可能、
ということです。
「遺伝的要素」を
「運命」と言ってもいいし、
「決定論」と呼んでもいいし、
「必然」と捉えてもいいです。
あなたにとってしっくりくる表現で
ぜひ捉えてみてください。
そんで、その要素は全体のうちの
「半分だけ」ということ。
「半分も!?嫌だなあ」とネガティブに思うのか、
「な~んだ、半分だけか」とポジティブにとらえるのも、
やはり自分次第なのです。
そして現実的な見方をすれば、
「自分自身の設計図」がわかれば、
自分の潜在意識の癖などがあらかじめわかるので、
だからこそ、運命論的な考えを身に着ければ、
残り半分の世界(環境)を攻略していく上で、
自分の心の癖によって生じてしまうあらゆる
困難なパターンを最初から回避できる、
というチートモードで生きらるようなります。
だからこその「運命論」なのです。
運命に嘆いて生きるのではなくて、
残り半分の「環境」を自分好みに作り上げ、
喜びの人生を味わうための運命論なのです。
そういう意識を持って行動するとき、
僕らは自由意志を失った「オートマトン」(自動人形)
であるという「とらわれ」(アルゴリズム空間)から脱却し、
自分の世界を広げていくことができるのです。
だから「未来は誰にも分らない」
という概念が、これまでの歴史上、
たったの1度も、誰にも覆されることが無いのです。
「運命による決定事項」はある程度の範囲。
その収束パターンを超えるのは「自由意志」。
つまり、
何もしなければ運命の通り。
何かすれば乗り越えられる。
ということはやはり、
運命(変えられない部分)50%
環境(変えられる部分)50%
の相反する2つは同時に重ね合わせの状態で
もつれ合って存在しうるのです。
そうであるなら、
どっちを取るかを選択できるのだから、
結局「変えられる方」に意識を向けていくことが
とても大切です。
どんな状況であれ、
困難な時であれ、
僕は選びたい未来を選んでいきたい
と思いました。
そんじゃ