この競争に勝って一番になる方法の記事を
ちょっと読んで「くだらない」と2秒で一蹴した者は
この記事に書かれている大いなる恩恵を得る権利を放棄したことになるだろう。
もう少し読み進めて、このブログの内容が
少しわかり始めたとき、賢い者は、
それを「自分が今していること」の中で、
応用できる範囲で小さく初めて、
徐々にあらゆることに上手く適用させていくだろう。
だが、もし最後まで読み進めた者は、
そもそもこの記事の内容が、
今までとは真逆のOSのようなふるまい方だと知る。
この「なんもしない教の神秘」に触れた者は、
もう後戻りはできない。
この神秘の影響力が、今後の実生活においても、
ときにひょこっと顔を出し、今までの自分の思考パターンとの矛盾を
見せつけるような場面に悩まされるときがくるかもしれないし、
いづれにせよ、その真実に目を背けたり、
自分自身に嘘を付けない人にとっては、もう後戻りはできなくなるのだ。
あなたのあらゆる思考、決断、選択の、
その動機が実は「恐怖」に基づくものである場合、
その後の結果は、すべてシナリオ通りに働く。
(これはアルゴリズムによってコントロールされる仕組みに属することを意味する)
それは言い換えると、あなたの自由意志(だと思い込んでいるもの)は、
「競争の原理」が渦巻く最中へ飲み込まれたとき、それはまるであたかも、
始めからシナリオが用意されていたかのごとく振る舞い始めるということ。
その結果である「世界線」は既に「決まった運命」に収束していたことを意味する。
(あなたの自由意志はもとよりなかった。すべて最初から、そうなるように仕組まれていた、という世界観)
だがしかし、
99.9999999999%以上の確率で収束されていくあらゆるシナリオ
(世界線)の収束範囲(アトラクタフィールド)から抜け出し、
競争の原理(恐怖の動機によるもの)が及ばないダイバージェンス1%を超える先にある
奇跡の「パクス・アミニ世界線」(Pax Amini) が存在する。
すなわち、この奇跡の綱渡りのような1点に到達する
「なんもしない教」の神秘について書いていく。
心して読むがいい
そんじゃれっつごー
競争に勝ちたければ、
競争で負けないことだYO!
競争で100%負けなくなるためには、
たったの一度も競争をしないことだYO!
つまり、最初から誰とも戦わないことだYO!
「なんだそりゃ、くだらん!」
はい、ばいちゃ!
続けるでおじゃる
「最初から競争しない」ということは、
トレンドを読まないってことだYO!
時代の流れに(意識して)乗らないってことだYO!
市場を気にしないってことだYO!
マーケティングを充てにしない世界観だYO!
他人と比べないってことだYO!
点数や評価やイイね数やフォロワー数や金額で競わないってことだYO!
愛されてる、理解されてるっていう物差しで測らないことだYO!
狩りに出て獲物を追いかけない生き方だYO!
「なんだそりゃ、理想論過ぎる!」
「そんなんじゃ、生きていかれない!」
「むしろ生きるな!って言ってるようなもんだろ!?」
「がしかし、全部が全部、
ハチャメチャなことを言っているわけでは
なさそうだな」
「たしかに他人と比べ続ける人生は不毛だし、疲弊する。」
「それに常にマーケット(狩場、市場、オーシャン)を求めて
彷徨い歩く(トレンドを追い続ける)ということも
それだけでエネルギーを消耗する」
「その部分に労力(コスト)を
始めから掛けない、ということは
生存戦略の一環としては一理ある」
「すべてがすべて賛同できるわけではないけれど、
自分の生活の中において、使えそうな部分、
応用できそうな部分もありそうだ」
続けるでおじゃる
それから夢目標ゴールなどなどいらないYO!
それも言い換えれば、
トレンドだYO!
夢目標ゴールは、今この瞬間存在しないけれど、
それらは「未来に対する期待値」だYO!
夢目標ゴールを設けることはYO、
自分の想像の世界において、
この世にまだ存在していない理想のトレンド
つまり未来への期待値を描いちゃってるYO!
疲れちゃうからそれらも追い求めないYO!
(*もちろん、やりたい人、そういうやり方で
やる気が出る人は、それはそれでOKと思います)
でもね、もう一回いうYO!
「競争に勝つ」ために「競争しない」ってことだYO!
だが夢目標ゴール、それらを追うことも競争なのだYO!
他人との比較が無くなった世界においても、
今度は自分自身との競争が始まっているんだYO!
「昨日の自分より今日の方が成長しなくてはならない」
「3年後はもっとすごい自分になっていないといけない」
みたいな感じで、夢目標ゴールはトレンドに生きる者の中に、
必然的に仕組まれていく思考パターンだYO!
「期待値」が高まれば高まるほど、
「理想郷までの距離」が今の地点から
どんどん遠く離れていくYO!
「期待値」が高まるほど、
トレンドの波は高くなっていくYO!
「競争に勝つ」とは「最初から競争しないこと」
「競争しないこと」とは
「トレンドとは関係のない世界」だYO!
(忘れた人はもう一回、上から順に読み直すYO!)
「競争に勝つ」とは「競争しないこと」
「競争しないこと」とは、「戦わないこと」
「戦わない」こととは「誰も攻撃しないこと」
「過去や今の自分自身とも戦わない、傷つけない」
不戦の誓いなんだYO!
平和なんだYO!
心の平穏なんだYO!
安心の境地なんだYO!
それでも
シンプルに競争に勝って一番になりたい
っていう欲深い人はYO!
さあ、先を読み続けるがいいYO!
自分だけを見つめるんだYO!
自分のやりたいことだけやるんだYO!
自分の畑を耕す(やりたいことの世界を作る)んだYO!
毎日毎日、自分の畑を耕すんだYO!
丁寧に耕して、1つ1つ種まきするんだYO!
種まきして、毎日、きちんとお水をかけるんだYO!
「芽が出ます様に」って毎日、心を込めてお祈りするんだYO!
ある日、幸運にも、蒔いた種のうち、
どれか1つくらいは芽が出るんだYO!
だけどYO!
たまたまのこの幸運(自分の実力なんて本当は何一つない)
に対して、
「この畑を大きくしてやろ!」とか
「大農園にして、プランテーション化」して、
「仕組み化して、自動操縦化して、世界ブランド」にして、
とか夢目標ゴールを立てないことだYO!
そんなことしたら、また
競争の世界へ逆戻りだYO!
感謝だYO!
あらゆるすべてが感謝だYO!
畑を耕せる立派な健康な体に感謝だYO!
この体をくれた親、ご先祖、みんなに感謝だYO!
畑に芽が出た幸運に感謝だYO!
畑を耕せる平和で安全な社会に感謝だYO!
毎日、自分のしたいことできるあらゆるすべての状況に感謝だYO!
なぜ「自分の畑を耕す=競争で一番」かと言うと・・・
トレンドもYO!
畑もYO!
波もYO!
世界観もYO!
市場もYO!
狩場もYO!
たった1つ、自分のソレを作っちまったらYO!
それって誰もマネできなんだYO!
誰からも真似されにくいんだYO!
(市場という海で魚を探す行為とは真逆なのだYO。畑を耕す=魚が住める池そのものを作ることなんだYO。)
もちろん、100%完璧にマネはできなくても、
部分的にマネされる部分もあるかもしれないけどYO!
ここで一番いいたいことはYO!
再現性のないこと、
再現できない人生、
自分だけのオリジナルの人生、
生き方、考え方、やり方。
わかるかYO!?
これらが「競争の原理」から外れているってことなんだYO!
(誰もマネできなくなるから)
だからYO!
不戦の誓いを立てたとしてもYO!?
必然的に、競争で一番なんだYO!
それはつまり、
競争相手は最初から誰もいない世界。
誰とも戦わなくていい世界。
誰も真似できない世界。
だけどそのフィールド(畑)にいるのは、
最初から最後まで、あなたたった一人。
最初から、一番!
最初からトップ!
最初からその畑の王様なんだYO!
そしてあらゆる「再現性」(コピー、マネ、パクリ)
ができること、すべてを全部無視すればするほど、
あなたの畑は「再現不可能」に近づくんだYO!
(つまり、誰からも真似されにくくなる、つまりニッチになっていくんだYO)
だから、自分のフィールド(畑)の中において、
あなたは最初から一番だし、最後まで一番なんだYO!
もしあなたが安易に再現性(真似コピーパクリ)
をし始めたとき、また競争の原理があなたのフィールドに入ってくる。
そのとき、あなたの畑はまたアルゴリズムの中へ戻されていく。
すると今度は、それは自然界の淘汰システム(競争の原理)によって、
少しずつその世界は解体されていく(←トレンドの成熟期の後に起こる現象のこと言う)
(畑に雑草が生え始め、虫やサルやイノシシ、盗人までもがのさばり始める)
だからYO!
競争に勝つってことはYO!
不戦の誓いを守り抜くことだYO!
そんで自分の手にしているもの(今のままの畑)を
あるがままに受け入れることだYO!
畑に何か足そうとか考えるなYO!
畑を大きくしてやろうとか思うなYO!
今目の前にいる自分だけを喜ばせようYO!
畑仕事に熱中没頭しようYO!
自分の畑を耕しているとき、
外の世界の雑音、情報はもう不要だYO!
今、収穫できるその小さな成果だけで、
もう十分だYO!
まずはそれを喜べYO!
まずはそれを感謝だYO!
高みを目指すな、意識高くするな、理想を追い求めるなYO!
手元にあるその小さな畑を
全力で守れYO!
あなたの大切な大切な畑だYO!
外のことはどうでもいいYO!
これが「なんもしない教」の神秘だYO!
99.99999%以上の確率で予定されている
アトラクタフィールドの収束から逃れ、
ダイバージェンス1%以上の先にある世界線。
不戦の誓いを立てた者が到達する、
パクス・アミニ世界線(Pax Amini)だYO!
だが、到達は可能だYO!
それは、最初の初動における、
「畑の面積」を小さくすればするほど、
この確率は上がっていくんだYO!
つまり言い換えると、
小さく始めるんだYO!
大志を抱くなYO!
デカい夢目標ゴールじゃなくてYO!
今できるレベルから始めるんだYO!
それをもっともっと
かみ砕いていくとYO、
「小さいことから始められる」ことそのものが奇跡なんだYO!
それを可能にしてくれている、あらゆる日常の些細なことに感謝だYO!
生きているレベルで奇跡なんだYO!
その軌跡の上に「自分のやりたいことができる」
という更なる奇跡が乗っていて、
もうこの世界は奇跡の連続でしかないんだYO!
だから、もう、
感謝しかないんだYO!
それだけだYO!
それができるようになったら、
もう外の世界を見ることは無くなっていくYO!
目の前の畑を耕せる喜びだけが心の中に残るんだYO!
夢目標ゴール結果成果など、
あらゆる収穫物はYO。
とりあえず、気にすんなYO!
そんなもんのことばかりを考えて、
焦ったり苦しんだり、周りが見えなくなったり、
我が強くなったり、孤独になるよりYO、
毎日、畑を丁寧に耕して、自分の身近な人を大切にしろYO!
そうやって楽しく幸せに暮らしているうちに、ある日、
畑から何かしらの収穫物が「ひょこっ」と出来ているYO!
それをありがたく受け取れYO!
それが最初から最後まで、競争で一番になってる状態だYO!
競争したいと思わない者、
競争に勝って1番になりたいなんて思わない者だけが行ける、
不戦の誓いを立てた者だけが行ける境地だYO!
恐怖が心の奥にあると、自分の自由意志が削ぎ取られ、
競争が存在する環境(アルゴリズム空間)にとらわれ始めるYO!
その枠の中の結果は多かれ少なかれ、
あらかじめその環境の設計者(アーキテクト)によって決められているんだYO!
その範囲をアトラクタフィールドの収束(結果が決まっている運命)とここでは言うYO!
だからこそ、その世界線から抜け出すんだ!
そして恐怖や競争にとらわれない自由意志を持つ者
(古今東西、物語で言うところの「勇者」と呼ばれる属性の者だけ)が到達する世界線がある。
すなわちダイバージェンス1%を超えた先の
「競争の原理」から完全に抜け切れた奇跡の
「パクス・アミニ世界線」(Pax Amini)へ向かうんだYO!
これが「何もしない教」が教えてくれる
ある1つの真実だYO!
ここに到達するのに必要なのは、
能力ではなく「安心感と勇気」だけだYO!
*ちなみに「何もしない教」の教えはこれ1つだけじゃない。
そもそも「畑すら耕さない」という世界観もあるが、それはまた別の機会に・・・yo yo yo
あとがき
とはいえ、僕らは、どんなに
自分の心を律したとしても、
完璧な人間などにはなれません。
人間ですから、誰しも怖がるし、
怖がるとそれから避けるようにできている、
そんな性質を人間は誰しも持っています。
だから、僕自身も完璧ではありません。
「なんもしない教」の理想の世界は
頭ではわかっていつつも、
現実世界では、やはり、人は人と比べてしまう。
それは恐怖からくるものであります。
そして「自分の畑を耕すこと」を
忘れて、また外に向かって走り始めてしまうのです。
そんなときのために、
そんな自分に戻ってしまう時のために、
また大切なことを思い出すために、
こうしてブログ記事として残しておくことにしました。
そして、完璧な安心の境地
(ここでは、おもしろおかしく
「パクス・アミニ世界線」なんて言葉で語っていますが)
へ行くことは、大変難しいことだとは思いますが、
それでも自分自身だけを見続け、
怖いけれども、外は見ず、
勇気をもって、自分の道だけを進むこと。
それは言い換えれば、愚直に自分の畑を耕し続けていくことが、
「競争の原理」から限りなく離れられる、
ということは、実体験を通して、
少しずつ分かってきました。
本来、不戦の誓いを立てること自体、
勇気がいることです。
もちろん、「戦い」と言っても、現代社会において、
直接的に誰とも物理的に戦わないし、
攻撃もしないけれども、
実は間接的に私達は社会において、
「何かしらの競争に加担」しています。
(気づかないところで、でも、実は、
もっと視野を広げていくと、すべては繋がっている、
ということに気づきます)
もちろん「加担」していると言うのは、
ちょっといじわるな書き方かもしれません。
僕らはみんな資本主義の世界に生きていて、
その中で様々な商品やサービスの恩恵を受けているし、
自らもまた社会を豊かにすべく、
みんな一生懸命、がんばって働いていることは、
十分承知ですし、そういう側面をとても美しいことだと思います。
がしかし、それを承知の上で、それでもその良い面の反対側に、
確かに存在する「無視できない恐怖」の部分について、
書いておきたいという思いがあります。
商売について詳しかったり、心理学や社会学など
熟知している人ならわかるかと思いますが、
この恐怖の部分を使って人々を動かすことができるという側面も、
実際にあります。そしてこの動機によって動かされている
僕たちは、自分たちが動かされている、なんて
1ミリも疑問を持ちたがりません。
実は裏側には、設計者(国家、指導者、ルール、法律、プラットフォーマーやマーケッターなど)
のシナリオが用意され、その枠の中で、
僕らは与えられた選択をして生きているだけです。
それを自由意志だと勘違いしてしまいますが、それらはすべて
用意されたプログラミングに合わせて行動しているという側面があることも、
これまた事実です。
そのうえで、そこの気づき、
勇気を出して、プログラムから外れる生き方を選ぶ。
与えられた枠に沿って盲目的に競争しないことを意味します。
それこそが不戦の誓いです。
この「不戦の誓い」を立てることは、一見すると
「生きるためのあらゆる手段を手放す」
という感じに見えてしまいますので、
これはとても勇気のいることです。
でも戦わないことで新たな道が見えてくることもあります。
森に入って獲物を追いかけて狩りをしない代わりに、
1本の木を見続けていたら、たまたま、
その木からリンゴの実が、ポトッと落ちてきた。
そんな豊かさが手に入ったりするんです。
そーゆー世界観がとても大切に感じます。
何もしないことで、実は、
何かしている人より疲弊せず、
豊かで、それでいて、心が安心。
そういう世界も確かに現実社会に存在しています。
平和を愛して、ただありのままに見続ける
そんな存在。
現代社会において、いきなりすべてを
その世界観で生きろ、といってもそれは
無理があるのは承知です。(僕だって難しいこと)
でも、やはり、小さいながらも、
こういう体験を実際にしてきたから、
やはり感じるんです。
何もしないことの大きな力、豊かさ、
自然の力、自力では及ばない、
他力のすごい影響力。
競争の世界に入れば入るほど、
逆にこの神秘に気づく機会が
どんどん減っていくでしょう。
だからこそ、こんなにも大切なことを忘れ、
いつも心をあっちこっちに揺れ動かしてしまう
愚かな自分に対して、もう一度、
思い出させるように書き残しておきたいのです。
この記事が自分以外の誰かのためになれたら
それは更にウレシイことです。
長くなりましたが、
最後まで読んでくれてありがとう
あとがき
おわり。