MC ボウズ
「俺は仏教生まれ、密教育ち、悟れるヤツはだいたい友達♪」
ばっちゃ
「YO!YO!人生はYO!」
「Beatに乗ってフリースタイルをかます」
「ライムにハメて心を動かす」
なんだか最近、ワシ、
ユーチューブとかtiktok の
ラップバトル動画に
ハマっちょります
なんか知らんけど、
謎に面白くてついつい
見ちゃうんだよねw
ひよこBOY
「ちなみに、ボクちゃんはB-BOYとかじゃないでしゅ。」
「ゆるふわBOYでしゅ」
言いたいこと言うそれ大事
ワシ、最近、思てること
それ言いたい
たった一人でもいいから、
誰か一人の心の奥深くに、
「ぐさっ」って何か強烈な印象を
突き刺せるようなことの方が
めっちゃ大切だなと思ったよ
もっと言うと、
たった一人でもいいから、
誰か一人にとって、
「救いになる存在」
「ためになる存在」
になるということ。
うんにゃ、それすらも、
おこがましいかも・・・
たった一人でもいいから、
誰かにとって、
「喜んでもらえる存在」
「嬉しく思ってもらえる存在」
「感動してもらえる存在」
になるということ。
もっというと、
超マブダチくらいまで、
熱狂的ファンくらいまで、
「奥行の世界」で繋がれること。
薄っぺらい1000人より、
深くて濃い10人的な。
こーゆー感じのが
とっても大切だなぁ、
と思ったよ。
今日は、感じたことを、
そのままぶっちゃけて
言ってしまうぜYO。
マス(大衆)を取る?
マーケットを狙う?
戦略を練る?
あんだそりゃ?
マス(大衆)の心を掴むならさ、
流行ってるダンスをすればいい。
流行ってる歌をうたえばいい。
流行ってる絵を描けばいい。
流行ってるネタをやればいい。
流行ってるものをコピーすればいい。
売れてる商品に乗っかればいい。
だけどさ、するとね、そこには、
「競争の原理」が必然的に発生する。
そこで切磋琢磨が起こり、
自然界の淘汰が起こり、
小さいものから大きいものへ
エネルギー交換(合併吸収)が繰り返されていく。
そんな無慈悲な弱肉強食の摂理に飲み込まれていく。
エントロピーが最大化するまで、つまりシステムが崩壊するまで、その輪は回り続ける。
これは「戦い」に参戦することを選択した者たちの、
誰もが逃れられない宇宙の法則。
天から与えられる宿命。
戦うということは、自分だって殺される可能性がある、ということとセットの関係性なんだ。
競争するってことは、自分だって負かされる可能性がある、ということとセットの関係性なんだ
(他人との比較と失う恐怖が常に身にまとうんだ)
そんでさ、
そーゆーことしたらさ、
そりゃ割と結構簡単に、
再生数は伸びるし、
イイね!がつくし、
フォロワーは増えるし、
お金は稼げるし、
商品は売れる。
だけどねだけどね!
それは「幸せ」じゃないじゃん!
それで集めたマス(大衆)は薄いじゃん。
集めるために使った時間の間は「幸福感」を得られないじゃん。
*仮に目標達成しても、そういう類の幸福感は5分くらいで終わっちゃう。
なぜならさ、自分にとって
「好きなこと」じゃなくて、
「こうすべきこと」を選択した。
「しなければならない」という
自ら入っていく(収束されていく)ことを
を選択したことになるのだから。
そして、その必然の世界という「枠」の中で
繋がったマス(大衆)は
「奥行の世界」で繋がった関係とは、
違う性質を持つ。
心の奥底にある気持ち(真我が求める)
「好き」で集まった関係性ではなく、
「AだからB」という「取引の心理」(方程式)
で人工的に集められた集団。
これは言い換えると、
自然発生的ではなくて、
意図的な計算(理性)によって
必然的に発生する。
それはまるであたかもエンディングまで
あらかじめ用意されたシナリオ的な世界観。
(時計仕掛けの宇宙論)
心で繋がる潜在意識の世界ではなく、
頭で繋がる顕在意識の世界観。
もちろん、この相反する2つの考え方は、
白黒ハッキリ2つに分かれるわけじゃないさ。
アルゴリズム的に意図された人工的な世界観も、
奥行の世界で繋がる深い関係性の要素も、
どちらも混ざり合わせってる場合もきっとある。
それに、薄っぺらく、機械的に、
たくさんマス(大衆)を集めた後、
時間をかけてゆっくり、
「奥行の世界」へ育てていくことだって
きっとあると思う。
でもねでもね!
ワイは、究極のワガママで、
いつまでたっても子どもっぽくて、
いつまで理想ばかり追い求めちゃうの!
そんなワイは、
最初から最後まで
幸福じゃなきゃ嫌なの!
もう、人にどう思われてもいい。
大人になっても、ずっとお子ちゃまでいい。
理想ばかり追い求めてていい。
お寿司屋さんの一番いいネタの
一番の大トロ。
一番うまいヤツ。
一番最高にワイを幸せにしてくれるやつ。
これ以外は、
食べない!
いらない!
それはつまり、
言い換えると、
マスなんてカンケーねぇYO!
戦略?知らねぇYO!
マーケティング?日本語しゃべれYO!
頭じゃねぇよハートだYO!
最初にやるのは、
どうやったらマス(大衆)を掴めるか、
じゃねぇYO!
最初にやるのは、
どうやったら、
たった一人の人間を、
めちゃくちゃ喜ばせることができるかだYO!
そのことだけしか俺は分からねぇYO!
細かいことは分からねぇYO!
マーケティングとかわかんねぇYO!
戦略も知らねぇYO!
自分とマブダチになれるくらい
めっちゃ深い「奥行の世界」の関係。
あるいは、自分という存在が、
たった一人でもいいから、
その人にとっての「喜び」となる、
そんな在り方。
例えばさ、SNSが変わってしまったら、
今まで築き上げてきたフォロワーも消えちゃうくらい、
そんな薄っぺらくてやわなマス(大衆)を
たくさん狙っていこうとして、
自分の貴重な人生の時間と労力を
「自分の好きでもないこと」に費やす。
その一連の行為全てに対して、
ワイはまったく理解ができないのです。
少なくてもいいから、
とにかく「奥行の世界」の力を使って、
どれだけその人の心の奥深くに入り、
その人に良い影響を与えられるか。
ワイにはそれしか理解できないYO!
ワイは不器用だYO!
単純に1つのことしかできないYO!
シンプルにそれ以外の小難しいテクニックは、
わからんYO!
もし、最初から最後まで、
幸せのガイドラインに沿って
生きるのであれば、
出来る限り自分自身に正直になる、
ということがとても大切だと思ったYO!
ワイはめんどくさがりだYO!
だからもうシンプルでいいYO!
自分の中を幸せにし、
自分の手に届く範囲だけ
幸せにしていく。
それ以外の外の範囲への広がりは、
「無為自然」に任せるYO!
逆の言い方をすると、
自分の幸せの範囲の外を
顕在意識(理性)を使って、
人工的に広げようとするとき、
その間の時間(瞬間)、
「幸せ」との乖離が始まるYO!
自分の幸せの範囲の外まで
影響力を広めたい、凄くなりたい、認めてもらいたい、
大きくなりたい、偉くなりたい、儲けたいは、
ぜーんぶ、自我の暴走だYO!
(もちろん、ワイ、自分自身のことですYO)
だがしかし、もし
自分の幸せの範囲の外まで広がる要素が
この世界でたった1つだけあるとしたら、
それは真我(アートマン)の行為によるものだYO!
自分の「やりたいこと」と
神様から与えられた「使命」が重なり合うとき、
それは自動的な、
無為自然の広がり(集合的無意識への作用)
を見せるはずだYO!
そうでなければ、
あらゆる個人的な「意図」は
自我による自動反応だYO!
それだと自然に広がらないから、
自分で頑張ってエネルギーを投入して、
頭を使って仕組み化して、
レバレッジ使って、
うまくやらないといけない。
(そして何かを獲得しようと意図しているその意識そのものが「幸せ」との乖離の状態なんだ)
えてして、自我にとらわれている僕らは、
オートマトン(自動人形)となり、
自然環境(人間関係も含む)に対して、
機械のように反応しているだけになっちゃうYO!
(そりゃ、アニマルだよ。アニマ(魂)を持ったただの機械(肉体)だ)
それは本来の意志じゃない。
それは真我の意志じゃない。
それは本当の自分じゃない。
それは神様と繋がっていない。
人工的な広がりは苦行。
神的な広がりは必然。
であるならば、ワイはもう、
目の前の幸せの奥行きを
どれだけ深くできるか、
このことだけに目を向けていきたい、
そう思ったYO
ここまで書いておいてアレだけども、
ワイはまだまだ、自我の塊だYO!
あれしたい、これしたい。
アレも叶えたい、コレも叶えたい。
(自我まみれ、煩悩まみれ)
それでもワイは、
そんな不完全な人間である自分を
自分自身が認め、受け入れ、
その上でワイは、
真我とのつながりを求めて
生きていきたいと思う。
だってね、それが人間にとっての
救いであり、
幸せの方向であり、
導きなのだから。
ワイは向かう。
一人でもいい。
バカにされてもいい。
アホと思われてもいい。
不器用でもいい。
セオリーじゃないって言われ続けても構わない。
いつまでも理想から離れられない子どもみたいな大人と思われてもいい。
ワイは信じる。
奇跡のパクス・アミニ世界線。
ワイは目指すのはこの1点だけ。
もうよそ見はしない。
後ろも振り返らない。
周りに振り回されない。
信じるのは自分の内側の世界だけさ。
そんじゃ