というのが今日のお代でございます。
はい、いらっしゃいませ~
これの答えを先に言うと、
マジレスすると、
答え:
親子関係が原因である
親子関係は原因でない
実はこの2つの両方が正解。
ということについて、
書いていこうと思う。
科学実験でさ、
物事の何かを知る、発見する、
というときに「検証」みたいなことをする。
AとBの二つの同じ環境を用意する。
環境っていうのは、たとえばビーカーとか
フラスコの中とか。
そんで、その2つの環境の中は
どちらも全く同じ条件にする。
コップAの中にコーラ500ml。
コップBの中にコーラ500ml。
そそ。
おんなじ。
そんで、
ファミマにいって、
マシュマロとメントスを買う。
そして、
マシュマロをコップAに入れる。
そんで、
メントスをコップBに入れる。
そしたら、
コップAは特に何も起こらない。
マシュマロがしゅわ~って
しゅわ~って
そそ、
とける。
そんだけ。
で、コップBに入れたメントスは、
それが起爆剤となって、
おもっくそコーラをコップの外へ吹っ飛ばす。
メントスコーラには、
数々のユーチューバーたちが
大変お世話になりました。
はい、ありがとうございました~
これってさ、
親子関係にも同じこと言えるのだ。
もちろん、人間関係は、
ビーカーやコップの中みたいに
環境が変化することがない「閉じられた世界」ではなく、
常に外から影響を受け合う「開いた世界」だから、
100%いつも同じ結果になる、
とは限らないけれど、
たくさんの似たような環境で育ってきたケースは
たくさんあるのじゃないかな。
同じ家族構成。
似た環境。
似た人生。
でもでも、
なんか似たような親とか、
似たような環境とかでも、
ぜんぜん違う結果、つまり、
ぜんぜん違う子どもになる。
すっげー荒れた家庭で、
ひどい毒親の元で、
育った子どもがいて、
一人は自分責めをする自信のない子が育ち、
もう一人は別に何の影響もなく、普通に育ち、
もう一人は自分を肯定しなんでも挑戦し達成しちゃうすごい子が育つ。
ということも
現実の世界ではあったりする。
この違いはなんだろう??
DNAかい?
ま。それもあるけれどさ、
さっきから一貫してこのブログ記事で言いたいことはね・・・・
自分の意志。
そんじゃ続き↓
世界は相反する2つが同時に存在する
その答えは、
この世界が相反する2つで構成されている、
というところにある。
モノに光が当たると、
必然的に影ができるし、
あるいは、
モノに影があるから、
光が存在している、
ともいえる。
モノがある場合、
光も影もどちらも片方だけで存在できない。
(*ちなみに、モノ(物体)がなければ、
どちらも片方だけでも存在できる。
が、それは置いておいて。)
こういうのって難しい言葉でいうと、
「二元論」っていうみたいなんだけれども、
この考え方って現実世界で
たくさん発見できる。
例えば、
私が成功したのは自分のおかげ
私が成功したのはみんなのおかげ
私が成功できたのは、
私が考えて、私が選択して、
私が努力して、私が行動して、
私が結果を出したから。
その途中、みんなの助けや支援もあったけれど、
結局、そのみんなを私の目的達成につなげられたのも、
私自身の意志があったから。
という見方。
そんでそれとは逆に、
私が成功できたのは、
私が考えて、私が選択して、
私が努力して、私が行動して、
私が結果を出したけれども、
そもそも、私を産んでくれた両親のおかげ。
私がこの日本に生まれたのも偶然。
たまたまのおかげ。
私が「こうしたい、ああしたい」って自分の意志を伝えた結果、
みんなが動いてくれたけれど、
結局は、そんなみんなと出会えたのも、たまたまのおかげ。
すべては自分以外の力のおかげ。
そういう風にも言える。
そんで、これって
どっちも正解なのだね。
物事の視点をどこに置くかで世界の見え方が変わってくる
これがまさに、
親子関係についても言える。
親子関係についてネガティブだと、
「私がこの親の元に生まれたのは私の意志じゃない!」
って見方を支持したくなる。
親子関係についてポジティブだと、
「きっと私がこの親のもとに生まれたのは、前世の私がこの親の子になろう、と決めて選んだからだ」
っていう見方もできたりする。
(前世というのは、あくまで1つの例え。人によってはまた違う表現をするかもしれない)
「鶏が先か卵が先か」
という考えと同じなんだわ。
結局は、
あなたがどこのポジションを見たいのか、
ということなのだ。
このブログで言いたいことは、
「セルフイメージは親子関係とは関係ない!」
などと断定して言っているのではないのだ。
たしかに、
そこにフォーカスると、
原因がたくさん見えてくる。
たくさん出てくる。
だからそっちも正解。
でも、
同じ毒親なのに、
悪く育つ子もいるし、
普通に育つ子もいるし、
良く育つ子もいるし、
そしたら、
その子に聞いてみるしかないのだ。
そしたら、そこに答えがあるのだ。
「いや、別に、普通っしょ。うちの親。
ま、ちょっと、うちの親は荒れていて、
少しは悪いかもしれないけれど、
だけれど、それと僕の人生とはまったく関係ないっしょ!」
そう言える子どもがいたら、
その子は
「ポジティブにとらえたい」という
自分の意志を選択しているのだ。
その子はきっと、セルフイメージと親子関係原因を探るより、
自分のセルフイメージは今この瞬間から自分で思うように描くんだ、
という意思があるからそういう風にとらえられるのだ。
(たとえその子がセルフイメージという言葉を知っていなくてもね)
それって、
このブログ記事で時々書いている
「神様ゲーム」とおんなじこと↓
でもでも、
セルフイメージの原因を探ろうとすると、
それも見えてくる。
悪い原因にフォーカスをしていると、
悪い原因ばかりが発見される。
良い原因にフォーカスしていると、
良い原因ばかりが発見される。
またあるいは、
セルフイメージの原因を探ろうとせず、
セルフイメージを書き換えることもできる。
良いイメージにフォーカスしていれば
良いイメージがどんどん現象化してくる。
悪いイメージにフォーカスしていれば、
悪いイメージがどんどん現象化してくる。
結局は、あなたがどこを見たいのか。
この世界のどこを観測したいのか。
あなたの意志で今この瞬間から、
決めていいのだ!
だからね、結局最後は、
ここに結論がたどり着くのだけれど、
親子関係から自分の不幸の原因を探す、
原因追及も自分を知る上で大切かもしれないが、
原因追求よりも、結局は、今この瞬間、
やりたいことやり続けることの方が、
幸せじゃんね。
(「セルフイメージが高い」っていうのは
「自分がやりたいことをやれてる状態」だって
本田こーちゃんが言ってたなそういえば。)
というお話。
悩むより遊ぼう。
そんじゃ。