自分の心の声とか潜在意識に気づき、
もっと自分らしく振る舞えるようになったり、
自分のセルフイメージが書き替えやすくなったでき、
だからこそ、その結果、外部からの影響が強くなってしまう
「上辺の好きなこと」からより本心に近い「本当に好きなこと」
そっちへ向かえるようになる、というのは、
身近な生活の中で行える「ちょっとした訓練」でも可能だったりするんじゃー
っつーお話。
呼吸を意識してみる癖
まずは、日々の日常の中で、
今この瞬間ブログを読んでいる最中も、
自分の呼吸について意識してみる
「あ、今息してる」
という浅い認識から、
始めてみる。
あなたは顕在意識(日常的に考えていること)
に常に意識を向けている。
仕事をしているときも、遊ぶ時も、休むときも。
常に考えているし、常に頭を働かせている。
現代人はとくに顕在意識にばかり意識を向けている。
だからね、呼吸について意識を向けてみるの。
呼吸は潜在意識と密接に関係している。
呼吸は起きていても寝ていても、
始めから終わりまで、
生まれるときから死ぬまで、
一時も止まることが無い。
あなたが意識しようがしまいが、
あなたと関係なく「呼吸」が存在している。
あれ、この存在はなんなのだ・・・!?
自分の体なのに、自分の意識以外の何かによって
常に自動的に動かされ続けている。
この呼吸っていったい何なのだ・・・!?
つーことでね、
まずは呼吸を意識してみる。
気が付いたときでいいから、
日常の中でやってみるといいよ
感覚器官を養う訓練
そんで、呼吸を意識することに慣れてきたら、
次は、呼吸以外の体の部分についても
日常の中で意識してみる。
これは本格的に座って
瞑想するような感じでやることもできるし、
もっと気軽に「ながら作業」でもOK
歩いているとき、
足の裏の感覚を感じてみる。
ご飯食べているとき、
舌に起こっている感覚について
味や食感などを通して感じてみる。
何もしていないときも、
喉が渇いているとか、
指先が冷たいとか、
背中がかゆいとか、
なんでもいいから、
感じられるものを感じ取ってみる。
ながら作業でいいのだ。
意識してみるのだ。
考えることへの意識を辞め、
感じることの方へ向けてみるの
観察するだけ
そんでね、人間という生き物は、
起こる出来事、
感じ取った感覚、
などなど、あらゆる事柄に対して、
「意味付け」をしたくなる生きものなの。
そんでこの意味付けを一旦辞めるの。
それこそが「観察」の境地。
一切意味付けしない。
ただ、感じっとったままに
ぼーっと観察するだけ。
ただ感じるだけ。
ただ気づくだけ。
結局は起こった出来事に対して、
「反応」をするから、
意味付けが始まる。
何かの出来事に対して「反応」する
ということは動物と同じ。
これを「反応」が起こる前に
意識して止めることができるのは、
人間が持つ高等技術。
それこそが「観察」なのじゃ。
そんでね、観察のコツっていうのがあるの。
ゲーム視点(三人称)
自分が主人公になって
テレビゲームの画面の前にいる感じの視点が一人称。
主人公「おっぱいでけーなオイ!」
自分はあくまでゲームをしている人で、
モニターの中のプレイヤーを操作している視点が三人称。
自分「『おっぱいでけーなオイ!』と思っている主人公を操作する私。」
こんな感じでね、
自分を幽体離脱させる感じ。
自分が自分のことを認識している状態。
(メタ認知とかいうらしい)
観察って、まあ、こんな感じ?
「あ、今、部屋の中寒い!」
って感覚で感じているあなたは、
「寒い!」って意味付けをしている。
(本来、温度とは相対的なことなのに、自分自身は「寒い!」と感じているのだ)
これが反応。
そんでこれに対して、
「寒い=嫌い」とか
「寒い=不快」とか、
意味付けすると、いつも通りに戻ってしまう。
そーではなくて、
観察っていうのは、
「『あ、今部屋が寒い!』と感じている私がいる」
と言う感じで、更に上から目線で(神目線で)
(ゲームのプレイヤー視点で)見る感じ。
そんで、観察した後は、
それに対して、反応もしないし、
意味付けもしないのだ。
そーゆー感じ。
いつでもどこでもできる。
かんたんにできる。
そんで、慣れてくるとだんだんと心の声が聞こえやすくなってくるよ~
(心の声とゆーのは比喩ね。自分の気持ちがわかりやすくなるっていうことね)
だからね、
ちょっとずつ試してみてちょ
そんじゃ