頑張っている人をみると・・・
頑張っている人を見ると、
心動かされるときがある
頑張っている人を見ると、
応援したくなる気持ちになる
頑張っている人を見ると、
自分に何かできることが無いかと、
助けてあげたい気持ちになる。
頑張っている姿は人を感動させる。
頑張っている人は人の心を動かす。
頑張っている人は輝いている。
それじゃあ、やっぱり、
頑張った方がいいのでは?
頑張る教はすばらしい教えなのでは?
頑張れば報われるのでは?
頑張るほど成果がでるのでは?
頑張ることには、いろいろな種類がある
頑張ることにも、いろいろな種類がある。
同じことを同じように頑張っているけれども、
それをやるそもそもの動機が全くの逆、
ということがある。
頑張っているとき、
何を信じて頑張っているのか、
その信念の違いによって、頑張った後の結果が
変わってくる。
あれをしなくちゃいけない!
〇〇をせねば、□□にならない。
〇〇をしないと、△△になってしまう。
「条件付き」の頑張る
「見返り」を求める頑張る
これらは、ダークサイドによって
動かされている。
ダークサイドは、いつも
「恐怖」が支配している。
あなたは恐怖によって動かされる。
だから、そのような信念で、
たとえ何かを頑張ったとして、
もしも結果が出ないとき、
あなたは恐怖に飲まれる。
がっかりする。
落胆する。
自分には価値が無いと思い込む。
自分はダメだ、と責め始める。
そしてその恐怖は、自分から
まわりへも広がっていく。
頑張ってるのに、みんなが離れていく。
なんか近づきがたい・・・
死に物狂いで必死に頑張る姿を見ていると、
それはまるで地獄の住人のオーラが出ている・・・
なんかトゲトゲしい感じする
なんか張り詰めた感じする
なんか緊張する
そんな風にがんばっていたら、
あなたは疲れてしまうし、
周りにもなんか嫌な雰囲気をばらまき始めてしまう
頑張っても頑張っても、
そんな世界しか待っていないのは、
なんか嫌だねー
ワクワクで動く頑張り
ワクワクして光り輝いているとき、
もう、あなたは夢中でそれをやっている。
しかも楽しんでやっている。
そういうことが、
もしかしたら、周りの人には
「あなたが頑張っている」という風に見えるのかもしれないけれど、
夢中になっているあなたには、それはもしかしたら、
「頑張り」じゃないのかもしれない。
もちろん、行動したり、
体動かしたり、
恥ずかしい思いをしたり、
めっちゃ思考したり、
今までできないような無理だと思っていることに挑戦したり、
そんなことをばかりをしているから、
周りの人には、あなたの頑張りの姿が見えるかもしれない。
でも、それとともに、
周りの人は、あなたに好奇心のまなざしや、
希望の姿や、
清々しさや、
あなたが夢中になっている、その見えないけれども
そこに感じられる何か、
などなど、、、
そーゆーものをあなたから感じ取っている。
そーゆーのって、ちゃんとあなたから外へ向けて
出てしまう。
(逆もまたしかり。恐怖心も外に出て、周りにバレちゃう)
光り輝く姿。
夢中になって動いている姿。
はしゃいで無邪気な姿。
そーゆーのは、
周りの人たちにいいエネルギーを与える。
周りを良い雰囲気で包み込む。
だから、そーゆーのは、
頑張るって言わないのかもしれないね。
なんか「張ってる」って感じじゃないもの。
そんで、その一瞬、一瞬を
夢中でやっているから、
そのあと、そのがんばりに結果が出ようが出まいが、
「充足感」「充実感」だけは残る。
がんばって「満たされた感」さえのこれば、
失敗しても変なオーラがでず、
地獄の住人サイドに陥らないで済む。
そして何より、その頑張りの結果、
ものすごい経験値もつく。
(それはやがて、未来の時点のあなたに何かしらの形で、
必ず実となる要素を持っている)
そーゆ―頑張りなら、
とてもいいと思うのです。
あ、というか、
そーゆーのは、
あなたにとっては「頑張り」じゃないのかもしれないです。
あなたは夢中だし、充実している。
そこんとこの違いを知っておくのは
とても大切なこと。
今、あなたがやってること、
頑張ってること。
それはどっちサイド?
ダークサイドの信念でそれをやっているのか?
それとも、
光のサイドの信念でそれをやっているのか?
こういう風に、ときどき、
自分に問いかけをしていれば、
たとえ道をダークサイドに踏み入れてしまっても、
途中から、軌道修正できるもんね
光の方へ進んでいこね