まず信じるところから入っていくといいね

ニワトリが先か

たまごが先か

光があるから影ができるのか。

影があるから光ができるのか。

波の上が盛り上がるのは波が下がっている部分の水が減った分があるおかげなのか。

波の下の部分の無くなってしまった水は、波の上の方で盛り上がる部分に使われるのか。

論理があるから、信じられるのか。

信じるから論理ができるのか。

よくわかりましぇーん汗

正解はね、

どっちも

なんだな。

どっちも両方が

同時に重ね合わせな状態で

存在してるんだな。

そんで、

どっちかを選ぶこともできるし、

どっちも選ばないこともできるし、

両方とも選ぶこともできる。

あなたが取りたい方の現実を選ぶと、

取った側の世界が、

あなたの前に提供され始める。

それがしくみ。

あなたは論理があるから信じる人?

「このやり方は〇〇%の確率で成功できる」

という論理があると、

安心して、それをやってみよう、

それできっとうまくできるはず、

って信じ始める?

それとも、

「きっとなんとかなる」といって

根拠のない自信を信じる。

というところからスタートし、

目の前に立ちはだかる問題を1つずつ、

論理を立てて、解決していく人?

前者は、論理の後に信念が付いてくる。

後者は、信念のあとに論理が付いてくる。

で、たぶん、

みんなそれぞれ、

両方使っている。

あなたのセルフイメージ

という枠の中にある事象は、

「信念」でできている。

あなたのセルフイメージ、

あなたの想定内の世界、

あなたにとって当たり前の世界、

あなたにとって常識の世界、

あなたにとって普通のこと、

その世界の中にいれば、

あなたは、ただ信じるだけで、

あらゆることが割と簡単にできる。

論理は後から付いてくる。

「コンビニまでアイスを買いに行く」

という行為も、

「できるかな、できないかな。。。」

なんて絶対に悩まない。

「そんなのできて当たり前」

って100%信じ切っている。

だから、息を吸うように、

カンタンにチョロく、

コンビニに行ってアイスを買う。

コンビニまで歩くこと、

アイスを選ぶこと、

お金を使うこと、

お金を計算すること、

その他・・・・

それらのあらゆるすべての論理は、

「コンビニでアイスを買うことは絶対できる」

という信念がベースにある。

論理は勝手についてくるのだ。

セルフイメージの外の世界

がしかし、あなたのセルフイメージの外の世界は、

あなたの知らない環境。

未知の世界。

想定外の事象が起こるエリア。

危険やリスクが伴う蚊もしれないゾーン。

そこでは、

「100%当たり前にできる」

ということは何一つない。

そんな世界で、

根拠もなしに「信じる」なんて

できっこない!

そんなのとてもじゃないけど、

怖くてできない!

論理が必要だ!

証拠が必要だ!

リスクがないという確証が必要だ!

安全だっていう前例が必要だ!

確実に成功するっていう統計が必要だ!

そうやって、

あなたの中の信じる力は

封じられる。

やがて、

論理が顔を出し始める。

物事のもう半分の面を見てみよう

論理は大切。

必要。

とても良いもの。

だ・け・れ・ど・も

好きなことで生きるとか、

幸せに生きるとか、

そういう世界は、

信じるが先にくる。

100%成功するからそれをやる、

っていうのは、あなたの好きなことかい?

〇〇があると幸せになれる、

っていう確証に依存することは、

本当の幸せかい?

どちらも論理が導き出すものなのだけれど、

どちらも「好きなこと」と「幸せになること」

とは関連しないことなのだ。

だって、

「あなたが好きなこと」も

「あなたが感じる幸せ」も

基準はぜんぶ、

あなたの心からくるものだから。

だから、

信じる力なのだ。

大丈夫だよ。

根拠がなくて大丈夫だよ。

最初に書いたでしょ?

この世界には、始めから、

ニワトリも卵も

どちらもあるんだ。

つまり「信じる」を先に取ったとしても、

後から絶対、論理が付いてくるから。

あなたの心の指し示すままに、

ありのままに動くとき、

「信じる」がエネルギーになってくれる。

だけれど、

そのあと問題がきっと出てくるでしょう。

でもね、

論理が必要な時というのは、

まさにその問題が出てきた瞬間だけなのだ。

その時初めて、役に立つ。

だから、順番を逆にしてしまうと、

心が動かなくなってしまうから、

注意が必要なのだね。

でも大丈夫。

もっと世界を信じてみよう。

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