みんなが繋がる超えた世界と地球の持続可能性

 

 

 

 

世界は見えない部分ですべてが繋がっている

あなたの1つの行為がやがて世界全体に作用する

 

 

 

 

昔、映画マトリックスのシリーズ3本目を

見たことがある人なら、ラストの方のシーンで、

「んっ!?」ってなった人も結構いたはず

(と勝手に推測する)

 

 

 

 

映画の中で、人類みんながコンピュータネットワークで

繋がれたマトリックス(仮想現実)の世界と、

ネットワークに繋がれていない物理世界(現実世界)

の2つの世界が描かれていた。

 

 

 

 

そんで、映画のラストシーンでは、

物理世界(現実世界)に戻ってきた主人公ネオが、

敵(センチネル)に触れていないのにも関わらず、

敵を倒すシーンがあって、あそこの部分を見た人は、

きっとみんな「んっ!?」ってなったはず。

 

 

 

 

「物理世界で、手を触れることなく敵を倒すだと!?」

(映画の最終話で、設定が崩壊している)

仮想現実なら可能かもしれないけれども、

物理世界でそんなこと起こるはずがない!

 

 

 

 

あのシーンの意味はずっと謎のままとされている。

よって、見た人それぞれが各自で解釈するしかない。

 

 

 

 

話は変わるけれども、

あの映画って日本のアニメにめっちゃ影響を受けてる。

ドラゴンボールとか攻殻機動隊とか。

 

 

 

 

だけども、実はあんまし語られていないけど、

日本では全然有名じゃないけど

海外では有名なマニアックな日本のアニメ

「LAIN」とすごく酷似している。

 

 

 

 

見ればわかるけど、

映画のあらゆるシーンで、

アニメをめっちゃパクっている、

っていうくらい似ている。

パクリ疑惑が海外のオタクの人たちの中でも話題だったそうな。

 

 

 

 

 

*ちなみにワタシ、オタクじゃないっす。

あと普段、コンテンツとかほとんど見ないっす。

(インプットよりアウトプットする方が楽しいっす)

 

 

 

 

そんで、アニメLAINでも、映画マトリックス同様に、

ネットワークに繋がれた仮想現実の世界「WIRED」と

その外の世界「WIREDを超えた世界」

について描かれていた。

 

 

 

 

今、この世界で急速に

インターネットの世界が

普及しているけれども、

 

 

 

 

 

それはきっと何かをパクっている。

 

 

 

 

ときどき、

そんな風に思うことがあるんだ

 

 

 

 

きっとそれは、

この世界のあらゆるモデルは、

既に自然界に存在している、

という考え方がもとになっている。

 

 

 

 

僕ら人間が開発するあらゆる発明品は、

自然界の模倣(パクリ)であって、

自然界はもとより、すべてが備わっている。

そーゆー考え方。

 

 

 

インターネットの世界は、

ネットワークの世界でもあるけれども、

実は、それを超えた、

もっと広大でネットワークの世界が、

この世にはあるんじゃないか?

 

 

 

 

映画マトリックスやアニメLAINのように、

「超えた世界」はこの世に存在している。

 

 

 

 

つまりこの自然界も、実は、

ネットワークで繋がっている説。

 

 

 

 

インターネットも、

電気信号も、

WIFIも、

 

 

 

人工のもので、

 

 

 

きっと自然界には、

テレパシーとか、

以心伝心とか、

目に見えないコミュニケーションとか、

 

 

 

 

もとより、

何かの力が備わっている、

的な。

 

 

 

 

そんで、今日は、

そういう不思議系の話とか、

オカルトチックなこととか、

どっちが先でどっちがパクリとか、

そーゆー事実関係とか、

あるいは、オタク的なこだわり的なことを

話したいわけじゃないっす。

 

 

 

 

 

 

ワタシ的にいつも興味があるのは、

形而上学的な世界のこと、

まだ解明されていない次の時代の事実になりうること、

そしてそれらが、

 

 

 

 

「みんなで生きる」に繋がること。

自然環境のこと。

地球のこと。

現実的なこと。

それらに繋がること。

 

 

 

 

 

世界は繋がっている

 

 

 

映画やアニメや漫画や小説のように、

私たちの物理世界も実は

「超えた世界」があり、

 

 

 

 

「超えた世界」とはつまり、

インターネットを超えた世界であり、

僕らが人工的に作り上げた、

言語、文字、論理、通信手段(5Gとか)、

プロトコル(通信する法)やら、

 

 

 

 

あらゆる人工的に作り上げた

「コミュニケーションの手段」

を超えたもっと抽象度の高いレベルでの

コミュニケーションが存在していて、

 

 

 

 

自然界はそれを既にやっていてる。

 

 

 

自然界には、

人間たちとは違う方法で、

何かと何かが通信しあっている。

 

 

 

花は花粉をつくり、

遠くにいる別の花とやり取りをする。

 

 

花粉と花粉を運ぶミツバチは、

通信手段(プロトコル)の役割を果たす。

 

 

 

人間たちの耳には、

聞こえる音が限られている。

 

 

 

低すぎる音は聞こえないし、

高すぎる音も聞こえない。

 

 

 

でも、動物たちの中では、

人間が聞こえない範囲の音を

キャッチするし、それを返して、

何かしらの通信が行われる。

 

 

 

あるいは、もっと目に見えない

無数の通信手段(プロトコル)が

この自然界には存在している。

 

 

 

 

 

僕らはそれに気が付かずに、

自分たちが偉いと思い込んで、

自然を壊してまで、

自分たち主体の生き方を推し進めてきた。

 

 

 

 

 

コロナによって自然が力を取り戻す

 

 

僕らはこの世界が二元論であることを忘れ、

片方の車輪「人間性」の方だけを動かしてきた。

 

 

人間性には、自我があり、

信念があり、願望があり、

人類の夢が詰め込まれていた。

 

 

 

僕らはそのエンジンの片方だけを

思い切り回し続けて、

そしてそれは今、負荷が掛かりすぎて、

崩壊寸前にある。

 

 

 

 

そんな中、エンジンのもう片方

「自然」がコロナの影響が重なり、

弱まっていた勢いを吹き返して、

再び作動し始めた。

 

 

 

 

環境破壊の勢いが弱まり、

世界中で、自然の力がどんどん取り戻される。

 

 

 

 

コロナの影響は世界規模だけれども、

そうえばちょっと昔、

日本でもこの小さいバージョンとして、

福島の原発事故があった。

 

 

 

あの事故の後、

人間の街は機能しなくなってしまったけども、

その代わり、自然が息を吹き返し、

街は草木で覆われ、動物たちがはびこるようになった。

 

 

 

原発事故はもちろん、

悲しいことだし、

コロナの影響も、

辛いこと。

それはわかってる。

 

 

 

 

でも、僕らは

自然を壊し続けてきたことに関して、

無視することはできない。

 

 

 

 

「行い」にはかならず

「その結果の作用」が

セットになって付いている。

 

 

 

 

良くも悪くも、事実として、

僕らはありのままを

受け入れること、それが大切だと思った。

 

 

 

 

 

超えた世界への探求

 

 

ようやくここまで来て、

僕らは気づかされたのかもしれない。

 

 

 

「自分たちの力」を超えた世界。

「インターネット」を超えた世界。

「人知」を超えた世界。

「今取り扱っている抽象度」を超えた世界。

「既知」を超えた世界。

「コントロール」を超えた世界。

 

 

 

 

今、僕らが管理している世界は

すべてがコントロールでき、必然となる

「アルゴリズム空間」であり、

 

 

 

その枠の中で生きる僕らには、

自由意志がないオートマトン(自動人形)

となって、シナリオの中で生活をする。

 

 

 

そこに自然が見せてくれる

「神秘」は生まれない。

 

 

 

 

神秘はいつも「超えた世界」に存在する。

 

 

 

 

僕らが自然に対して

謙虚さを取り戻したとき、

自然はまた僕らに

「神秘」を見せてくれる。

 

 

 

神秘を観測し事実にしたとき、

それはやがて僕らの「アルゴリズム空間」

取り込まれていく。

 

 

 

そうやって1つ1つ、

世界は変化をし続けながら、

カタチを変えて発展していく。

 

 

 

 

そして今、

僕らは少し動きを休め、

また自然に耳を傾けるときが

来たのかもしれない。

 

 

 

 

自然界で起こっている

様々な事象に関心を寄せ、

森羅万象の神秘に感動できる

素直な心を取り戻し、

自然と共に生きる道を模索する。

 

 

 

 

自然と繋がろう

 

 

インターネットも大切だし、

ITも大切。

 

 

 

だけどね、

自然と繋がろう。

自然と人間との、

目に見えないネットワークを意識してみよう。

 

 

 

相手(自然)を意識しない限り、

僕らは自分たちの世界だけに留まる。

 

 

 

 

相手を意識してはじめて、

今までの枠の外に意識が向く。

 

 

 

自然界へ意識を向けたとき、

自然界とのつながりが生まれる。

関係性が生まれる。

 

 

 

人間と自然との間で、

つながりが生まれたとき、

何かしらのコミュニケーションが模索される。

 

 

 

コミュニケーションが模索され、

具体的な方法(プロトコル)が

あらゆる方面で、科学的に解明され、

やがてそれが手段として現実化していく。

 

 

 

 

すると、それは

相手(自然)とどうすすれば

上手くやっていけるかを知る手がかりとなる

 

 

 

自然と対話すればするほど、

その手がかりの答えが見つかり、

僕らはやがて僕らが住む地球の

「持続可能性」を見出すことができる。

 

 

 

 

これは自然界が持っている不思議の力(神秘の力)を

科学的に人間が取り込めるようにしていく

具体的なアプローチ。

 

 

 

人は一人では生きていけないことと同じように、

僕ら人間は、人間だけでは生きてはいけない。

 

 

 

僕ら人間は、人間たちを活かしてくれる

あらゆる自然の恩恵のおかげによって

成り立っている。

 

 

 

 

だからこそ、人間と自然は

バランスよく両立して、

両方のエンジンを回し続けることが大切。

 

 

 

 

自然と人間。

この繋がりを大切に。

 

 

 

 

この繋がりはいつの時代も常に

「超えた世界」へ意識を向けることから始まる

 

 

 

 

そんじゃ