主張しない人

 

 

主張しない人と主張する人。

 

 

 

 

主張しない人

 

 

 

 

主張する人

 

 

 

 

主張するとき、

自分の考えを正当化させたい思いがある。

 

 

 

 

自分の考えを誰かに聞いてもらいたい

という思いがある。

 

 

 

 

誰かに聞いてもらわないと、

満たされないから。

 

 

 

 

「いや、ちょっと待て!」

「正論を言うことの何が悪いというんだ!」

 

 

 

 

べつに悪くはない。

悪くはないけれど、なぜそれを言う必要があるのか。

その「正論とやら」が存在するとして、

なぜあなたから誰かへ向けて発する必要があるのだろう。

 

 

 

 

「正論とやら」がどこか道ばたに落ちているか、

それともどこか木にぶら下がっているか、

あるいはどこかの部屋にただ置かれているのか、

それはわからないけれども、

 

 

 

それを欲しい人が、自分で勝手にそれを

見つけていくわけだけれども・・・。

 

 

 

*そして正論すらも、幻想なのだけれども

 

 

 

 

ま、それはさておき、

 

 

 

なのになのに、

なぜわざわざ、あなたがそれを言う必要があるのか?

なぜあなたは、それを欲しいと思っているかどうか

わからない人に向けて、それを言う必要があるのか。

 

 

 

 

 

そしてそれすらも、

別に悪いことでも何でもないのだけれどね。

 

 

 

 

がしかし、なぜあなたは

それをやってしまうのだろう。

やらざるを得ないのだろう。

 

 

 

 

あなたが何かを主張したいとき、

あなたの心の中には、

「カーチャン愛してくれぇ!!!」

という子どもの頃の満たされない思いが、

詰まっている

 

 

 

 

 

「カーチャン愛してくれぇ!!!」

ということを、カーチャン以外の誰かに

求めている。

 

 

 

 

ただそんだけ。

 

 

 

 

心に溜まった満たされない思いの

ガス抜きをしている。

 

 

 

 

「正論っぽい何か」を身にまとって、

それを主張しているけれども、実はそれはフェイクで、

本当は心の奥底では、満たされない愛を

どうにかこうにか満たそうとしている。

 

 

 

 

 

そっちが本当の動機。

 

 

 

 

 

そして「カーチャン愛してくれぇええ!!」

の奥には、「愛してくれないと死んじゃうよぉおお!!」

という恐怖心が潜んでいる。

 

 

 

 

ヨーダ

「恐怖はダークサイドに繋がっておる」

 

 

 

 

心はダークサイドに支配されている。

 

 

 

 

 

主張しない人

 

 

 

主張しない人は、安心している。

 

 

 

 

人にわかってもらえても、

わかってもらえなくても、

別にどっちでもいーや、

 

 

 

 

っていうスタンス。

 

 

 

 

 

 

自分の言うことが正しいと証明されなくては!

自分のことを認めてもらはなくては!

自分のことを理解してもらはなくては!

自分がスゴイと思われなくては!

 

 

 

 

というような

「自分が!」っていう

「我」が無い状態。

 

 

 

 

 

主張しないで堂々とすると逆にわかってもらえる

 

 

 

自分を主張するとき、

「余裕のなさ」も一緒に相手に伝わる。

 

 

 

声を張り上げ、

精いっぱいに叫び、

いっぱいいっぱいの状態。

 

 

 

そーゆーよゆーのない状態が

体中からあふれている。

 

 

 

それを見て、周りの人は、

苦笑してしまうか、

あるいは、引いてしまうか、

あるいは、一見、凄そうに見えても、

心の奥底では「なんかこの人、近寄りがたい」

感は感じてしまう。

 

 

 

主張する人は、

張っている。

張り詰めている。

緊張している。

 

 

 

それとは逆に、

主張せず堂々としていると、

逆に人が寄ってくる。

 

 

 

 

堂々としているその「余裕」が

体中からじわじわと出てきちゃう。

隠し切れないあなたのそのステキな魅力が

相手にも伝わる。

 

 

 

 

 

主張しない人は自分を認めている

 

 

主張しない人は、

わかってもらえても、

わかってもらえなくても、

どっちでもいいやスタイル。

 

 

 

わかってもらえないと、

愛してもらえないと、

死んじゃうよぉおお!!

 

 

 

という、カーチャンの愛を求めることから

既に卒業した。

 

 

 

 

だって、自分で自分のことを

ちゃんと認めているのだから。

 

 

 

人から何にも理解されなくても、

誰にも分ってもらえなくても、

誰からの評価されなくても、

自分で自分のこと、ちゃんと認めてあげている。

 

 

 

 

主張しない人は、

自分で自分を愛している。

 

 

 

 

カーチャンがいてもいなくても、

自分で自分を愛している。

 

 

 

誰からも認められなくても、

誰からもスゴイと言われなくても、

 

 

 

ちゃんと自分で自分を愛している。

 

 

 

安心している。

 

 

 

そこから、

堂々とした余裕が生まれてくる。

 

 

 

 

 

主張するよりワクワクを話そう

 

 

 

主張するよりも、

ワクワクして仕方がないこと、

楽しくてしょうがない思い、

うれしくてシェアハピしたいこと、

 

 

 

そーゆーのを自然と

相手に伝えれたらいいね。

(無理な形じゃなくて)

 

 

 

 

あるいは、そーゆー雰囲気を

心から楽しんでいれば、

自分から言わなくても、

きっと態度からそーゆーのが

にじみ出てくる。

結果、相手に伝わる。

 

 

 

 

だから、主張なんて、

いらないのかもね。

 

 

 

 

さあ、今日も、

よゆーぶっこいて、

生きていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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