ふわりふわふわ
ふらりふらふら
ゆらりゆらゆら
ぱらりぱらぱら
「私は塩をふる。そこに肉がある限り。」
ひらりひらひら
きらりキラキラ
ぽろりぽろぽろ
トロリトロトロ
ズルリズルズル
くっちゃくっちゃ
もっと擬音を使ってみよう
もっと擬音で表現してみよう
日常生活において、擬音を使用する頻度を高め、
「論理的思考による具体的表現」および、
「定義付けと計測による正確性」を重視する
現代社会において、軽視される傾向にある
「感情における表現」を・・・
(あああ、この具体的な言い回し、ウザくなってきたwww)
つまりさー、
現代社会は、頭でっかちさー
考えることが大切という風潮。
考えることは偉くて、
具体的な表現が重宝され、
簡潔で簡略で筋道の通った論理的なことは、
結果、効率的で、経済的で、コスパが良いから、
良いこととされる。
うんうん。
ま、それはそれで、
良いのだけれども、
そっち(論理的思考)に
重きを置いた分、
こっち(感情的表現)を
する時間が相対的に減っていく。
こっち(感情的な表現)は、
頭を使って考えていないときにしか
感じることができない。
どっちも同時にできない。
どっちも大切なのだけれど、
どっちも同時にできないのだから、
ちゃんとバランス取らないと、
いつかどっちかに偏ってしまう。
擬音は感じるから生まれる
もっと擬音を使っていこう。
擬音は感じる言葉。
感じたことを表現したもの。
「感じる」は頭で思考するのではなく、
心で感じて生まれること。
だから、擬音は心の言葉。
心の表現。
西洋の枠(定義)付けされた言葉を
僕らはたくさん覚えた。
今、僕らが使っている言葉は、
もともと日本にはないものばかり。
日本に入ってきた外国語を
日本語に翻訳して使っている。
例えば「社会」とか「法律」とか
「経済」とかその他大多数、
そーゆー言葉は、
昔のジャパンには存在していなかった。
もともと外国の言葉だった。
でも今では、当たり前のように、
外国から入ってきた言葉をみんなで使っている。
だってそーゆー言葉は、
便利で、効率的で、
経済的で、コスパ良いものばかりだから。
そんでもって、
昔は、外国から入ってきた言葉は、
ちゃんと日本語に訳されていたけれど、
最近では、日本語にすら訳されず、
そのまま英語のまま使うことすらある。
なんか偉い人
「コミュニケーションを最適化するためにイノベーションをする必要があるのだ」
「我々のシステムをアップデートし、絶えずスケールしていかなければ、サステインできない」
がしかし、
昔からある日本の言葉には、
心を表現するものが、
たくさんあるよね
日本は擬音(オノマトペ)の国だもの。
ギラギラ
クラクラ
ひらひら
トボトボ
パリパリ
・・・・
こんなにたくさん、
もっともっとたくさん、
こんなに「感じる」を表現した言葉が
日本にはたくさんあるもの
「心で感じる」を捨て、
「頭で考える」を取り入れ始めた現代人。
たまには、心のこと
思い出してもいいんじゃない?
心を感じる擬音を
もっとたくさん使って言ったら、
「感じる」を意識し始める。
感じるを意識し始めたら、
心を意識し始める。
そしたらもっともっと、
心と繋がって行ける。
心の声を聴き、
心と共に生き始めたとき、
あらゆる無駄が省かれていき、
あれれれれ!!!
あら不思議!!!
なーんだ、結局、
頭で論理的思考していることのゴールと
同じところへたどり着く!
考えることでたどり着いたそれは、
スタート地点にあったのだ!!
そこにアクセスするには、
心がカギとなる。
そーゆーこと、
もうずっと前から知っていたんだなぁ
昔の人って偉大だなぁ
心と繋がれる
それってステキだね!
さあもっと、ふわふわしてこ。