【新OS】この世界はみんなの心と心の集合体

 

 

 

昔書いた、

まあまあ人気を誇るブログ記事

「ありのままになろうとすると2つの世界に分岐してしまう件」

 

 

のことを覚えとるだろうか?

 

 

 

このブログ記事は、

なんかすんげー難しく書いてしまったから、

あんまり読まれ無ェだろうな、

と思ってたら予想に反して、人気だったブログ記事。

 

 

 

 

(ほんと、どの記事がウケるか、よくわからんときあるよね)

*個人的には「しょーもなマンガ・シリーズ」をおススメしたい。

(みんな読むのじゃ)

 

 

 

 

この世界を語ろうとするとき・・・

(ああ、この言い回しがすでに、難しい感じの口調・・・)

 

 

 

 

自分が見ている世界と相手(複数)が見ている世界

 

 

このように、

2つ以上の世界が同時に重ね合わせの状態で存在している。

 

 

 

 

 

 

「それって、ガチですか!?」

 

 

 

 

 

それってつまり、

 

「自分がこの世界を作っている」

という世界観と、

「神様ゲームのブログ記事」を思い出して)

 

 

 

「世界が自分を作っている」

という世界観。

(こっちの方が圧倒的に一般的)

 

 

 

 

 

この2つが同時に存在しているのだ。

*両方同時に認識することはできない。

がしかし、時間の概念を使えば、交互に認識できる。

(とゆーことの詳細はこっちの記事で昔書いた→「矛盾について」

 

 

*相反する2極(矛盾する2つ)を、

同時進行することは論理的には不可能

そのかわり、2極をものすごいスピードで行き来する。

すると、速度(周波数)が上がればあがるほど

外から見ると、なんかもう、行き来していることすらわからず、

1つの統合された「混ざり合っている状態」として観察される。

(扇風機プロペラが高速回転すると、実質、一枚の壁のようになる)

 

 

 

 

 

あ、そんでね!

 

 

 

 

 

話を戻すとね、

この2極について、別の言い方をすれば、

心のバランスとは、

「この2つ世界の行き来から来る揺れ」に対して、

波乗りをしているようなものなのだ。

(人はそれを日々、自然に行っているのだ)

 

 

 

 

で、これって、

どっちが正解でもなく、

どっちが間違っているわけでもなく、

 

 

 

 

 

どちらも正解でいいんじゃね、っていう。

(そこは重要じゃないと思われ)

 

 

 

 

例えていうなら、

ウインドウズのOS と

Mac OS ぐらい、

それぞれ、振る舞い方が違う。

 

 

 

 

で、どちらか片方だけに集中する人(や時期)もいるし、

どっちもバランスよく分散する人(や時期)もいる。

 

 

 

 

自分が創造主であり、

自分が見ている世界は、

自分だけが作っている

 

 

この価値観だと、

自分の幸せについて、

常にコントロールできる、

という利点がある。

 

 

 

どんな状況においても、

幸せを見出すことができる。

 

 

 

そうそう、たとえ、

火だるまになって焼かれてしまったお坊さん

(なんか昔、外国で実際にいたよね?)

のようになったとしても、

この世界観を極めていけば、

自分がどんな状況に置かれていたとしても、

苦しむこともなく、痛みを伴うこともなく、

絶えず平静でいられる。

瞑想やったことある人なら、これわかるよね?)

 

 

 

 

そう「感覚器官を自在に操る達人」になることができれば、

たとえ地球滅亡の日を迎えたとしても、

本人は、ずーっと気持ちよく、平静でいられるのだ。

 

 

 

 

そんで、今度は、真逆の考え方について。

 

 

 

 

この世界は創造主(神でもクリエイターでも何でもいいけど、自分以外)

がいて、自分は世界によってつくられ、動かされている

 

 

 

という世界観。

 

 

 

これは先ほどとは真逆の考え方。

 

 

 

 

 

問題は外にあり、

外と自分との関連性を見出す考え方。

 

 

 

何かが起こる原因は、

自分以外の外にあり、

この世界は「自分 対 世界」という構造でできている、

という信念がある。

 

 

 

 

だから、幸福を得るためには、

自分以外の外の世界へ働きかけるし、

問題を対処するために、自分以外の外の世界を何とかしようとする。

 

 

 

 

これをエアコンに例えてわかりやすく説明すると、

 

 

ーーーーーーーー

暑いから心を統一して涼しくなろう(思い込む世界)

こっちは、自己完結の世界。感覚器官をいじくればできる世界。

 

 

暑いからエアコンでもつけるべ

こっちは、外に働きかける世界。自分以外の外をいじくる世界。

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 

これくらい、2つの世界観は

まるで鏡のように真逆であり、

相反している。

 

 

 

 

 

そんで、どっちが優れているわけでもなく、

そして、どっちか片方だけを採用する道もあるし、

どちらもバランスよく採用する道もあるし、

どれが正解でも間違いでもない。

 

 

 

 

そんで、すっげー前置きが長くなりましたが、

今日は「心」の世界について語りたいわけではなく、

「心と心の集合体である社会」について、

語りたいと思っているわけでございますです。

 

 

 

 

 

 

「自分の心の平静」

これだけにフォーカスできるのであれば、

たとえ自分の肉体が苦しめられようが、

世界が滅びようが、

自分は常に「幸福の中心」でいられる。

(自分以外のことは、もはや気にならない、という境地ね)

 

 

 

 

がしかし、「心と心の集合体である社会」について、

新しい意識を持ち始めたとき、

正反対だったもう1つの世界観を採用する必要がある

ということに気づくのだ。

 

 

 

 

なぜなら、

「世界が滅んでも自分は幸せ」という本人と、

「嫌、そんなのは絶対嫌!」という他人が

同じ時空に同時進行で存在するからね。

 

 

 

 

 

そのときはじめて、

「自分も幸せ。あなたも幸せ。あの人も幸せ」

という視点が芽生えてくる。

 

 

 

 

世界を複数持つ、という世界観。

 

 

 

 

そうなると、

今までのマインドと真逆のマインドが

必要になってくる。

 

 

 

 

 

え?今日は、心のことを語らないのなら、

いったい、何の話をしているの?

 

 

 

 

 

いったい、今日は何の話をしているのか、

というとね・・・

 

 

 

 

それはね・・・

 

 

 

 

 

 

社会かな

 

 

 

 

 

あ、いや、もっというと、

環境問題かな。

 

 

 

 

 

 

みんなが生きる空間において、

自分だけが幸せなら、

ウインドウズOSだけ動かしていればOK.

(ウインドウズは例えね)

 

 

 

がしかし、

みんなが生きる空間において、

自分もあなたも、他人も幸せ、

という風にするのであれば、ウインドウズOSとMac OS

この2つを両方動かす必要がある。

(ウインドウズもMacも、あくまで例え話ね)

 

 

 

 

 

 

ええー!?

意味わかんなーい!!

 

 

 

 

 

 

ひよこ

「ちょっと何言ってるかわかんない」

 

 

 

 

 

 

環境問題って、

ビニール袋を減らすとか、

化石燃料を使わないようにするとか、

そーゆーことじゃないの!?

 

 

 

 

 

うんうん。

おっしゃる通りでございますです。

合ってると思います。

 

 

 

 

 

だけどもね、

ちょっと意外に思うかもしれないけれど、

そーだけども、実はそーじゃない。

 

 

 

 

 

 

だってそれは表面上の問題に過ぎないから。

 

 

 

 

 

表面上の問題というのは、

それを対処したとしても、

後日、必ず同じような問題が、

必ず発生する

(これに関しては心の問題と同じなのさ)

 

 

 

 

 

そんで、表面上の問題をスコップでほじくって、

もっともっと、深いところを見ていくと、

個人だけではなく、個人と個人の間にある

何かしらの「共通項」が見えてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

その共通項が、

あの人とこの人と、その人と、あなたと、

みんなの意識を同じラインに合わせる

そーゆーものなのだ。

 

 

 

 

そんでね、この共通項を見つけ、

それをみんなにインストールすること。

 

 

 

 

 

これがそもそも最初に

行う設定なのだ。

 

 

 

 

 

 

逆にこれをしないで、

表面上の問題を追っていくと、

人々の間で、個体差が生まれる。

(そこには利害関係が発生する)

(感情の差が発生する)

 

 

 

 

その差が生まれたところの溝が

深くなれがなるほど、

問題は全然、解決へ進まなくなる。

(重く動かず、停滞してしまうのだね)

 

 

 

 

 

だから、本質は、

各個人の心の問題なのだな。

と思うのだ。

(コンピュータで例えると、様々なプロトコルを合わせないと、

各機器は連携して動くことができない)

 

 

 

 

 

個人=社会

 

 

 

 

この方程式が、次の時代のソリューションのカギとなる。

 

 

 

 

 

そんで、もちろん、

昔のOSのまま維持したい、と言う人がいても

それはそれで責めてはいけないし、

そーゆーのもあってOKなのだ。

多様性があっていいのだ。

 

 

 

 

 

それを責めて、

無理やり統一しようとすると、

別の問題が発生して、

今まで以上に悪化する。

 

 

 

 

 

だから、そのままでもいいのだ。

 

 

 

 

そんで、それよりもはるかに重要なことがあるのだ。

 

 

 

答えはいつもシンプルかつスマートに

導かれるものが最強で、

 

 

 

 

それはね、

「問題を解決するのに十分な意識の量に達成すればいい」

が答えなのだ。

 

 

 

 

それってつまり、

 

 

 

 

「新しいふるまい(OS)を動かしたい、

と思う人たちの英知とか問題解決力」が

「実際の目の前にある問題」を上回ったとき、問題が解決する。

 

 

 

 

これだけ。

シンプル。

 

 

 

 

だから、別に無理やり、全員でなくていいわけなのだけども、

最低限必要な人数の人たちの中で、

最低限、共通項のインストールは必要なのだ。

 

 

 

 

この「世界観設定」が最も最初にやる、

最も重要な行為なのだ。

 

 

 

 

 

その設定がカチッとうまくなされれば、

具体的なノウハウは、

おのずと後から見出されていくから。

 

 

 

 

 

 

 

ってことを、

このブログがもっと成長してから

言いたいなぁとか思ってたけど、

なんか言いたくなったから今言おう。

 

 

 

 

これから若い世代になればなるほど、

新しいアイデア、新しい価値観、

そして新しい世界設定を

あっさりと受け入れていくのだろうな、きっと。

 

 

 

 

そんじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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