フィルター(思い込み)を外して「ありのまま」に近づく方法

 

 

ヤバい!

いいこと発見した!

 

 

 

フィルターを外す。

心の眼鏡を外す。

主観的な見方を無くす。

思い込みを外す。

 

 

 

 

 

などなど。

 

 

 

 

まあ、表現の方法は、

いろいろあるけれど、

 

 

 

 

まあ、言いたいのは、

心が主観的な思い込みによって、

心に問題を抱えたり、

ストレスを抱えたり、

不安になったり、

怒りになったり、

 

 

 

日常生活が、

不幸せになってしまうのを

解決するために、

フィルターを外して、

ありのままを

見て生きましょう。

 

 

 

 

っていう感じの

ことをあの手この手で、

たくさん書いてきたけれど、

 

 

 

 

フィルター、すなわち

心の思い込みを

外していくっていうのは、

 

 

 

 

自分がかけている

色眼鏡(心の眼鏡)を

外すとか、

思い込みを無くすとか、

ありのままを見るとか、

そういう方へ

考えてしまいがち。

 

 

 

 

それはそれで

正しいのだけれど、

ちょっと間違えると、

フィルターを外す行為、

心の眼鏡を外す行為、

ありのままに見ようと

努力する行為など、

それらの行為にとらわれて

逆に不幸になってしまいがち。

 

 

 

 

 

たとえば、

人間関係で問題が起きたとき、

自分のフィルターを外せなかったとしたら、

 

 

 

 

「ああ、またやってしまった」

「自分ダメだな」って

良くなろうと頑張っている自分を

罰してしまう癖が、出てしまう。

 

 

 

 

フィルターを外すところか、

あらたな自分責めが始まってしまう。

 

 

 

 

フィルター(主観的)にしか

物事を見れない自分はダメ。

 

思い込み激しい自分は良くない。

 

ありのままに見れない自分は、

まだまだ修行が足りない。

 

 

 

とか、そっちへ行ってしまう。

 

 

 

するとどうだろう。

 

 

 

心が乖離し始める。

苦しくなる。

ありのままから逆に

遠ざかる。

 

 

 

これって、

自分 対 相手

 

 

っていう考え方に

とらわれている感じかも。

 

 

 

そうではなく、

 

相手と等しくなって、やがて溶けてしまう感じ

 

 

そういう感じになったときは、

先ほどとは別の力が作用する気がする。

 

 

 

で、思いついたのは、

「フィルターを外すことは、

足し算をしていく」

 

 

ということ。

 

 

 

 

足し算的な考え。

 

 

 

 

 

あの人の考え。

この人の意見。

誰かの思考パターン。

 

 

 

そういうのを

1つ1つ、

「うんうん、そういう考えもあるのか」

 

 

 

 

と、

1つ1つ

足し算していって、

自分の中に取り込んでいく。

 

 

 

 

取り込んでいくときも、

無理やりそう思い込むのではなく、

他人の意見を無感情で、素直に

受け入れるレベルになれたとき、

1つのフィルターが外れる。

 

 

 

 

すると、

主観が広がっていく。

 

 

 

例えば、

主観の範囲が、

半径1メートル以内だったものが、

いろいろ意見を取り入れた末、

半径3メートルに広がった。

 

 

 

そんな感じ。

 

 

 

この世に正論はない

 

この考えから

スタートする。

 

 

 

すると、

いろいろ

見えてくる。

 

 

この世に完璧な言葉は無い

 

この言葉を言ったのは、

確か、村上春樹さんだったっけか。

 

 

 

 

で、言葉は、

その人が見た世界を

表現する。

(世界を作る)

 

 

 

で、その人の言葉は

主観的だから、

世界にはフィルターが

かかっている。

 

 

 

 

しかし、

隣のAさん、

近所のBさん、

遠くの国のCさん、

 

 

 

みんなの主観

(それぞれのフィルター)

の意見を取り込んでいき、

増やしていけばいくほど、

 

 

 

正論(真理)

へ近づいていく。

 

 

 

 

何かの物事に対する意見があったとする。

 

 

 

すると、それに対して、

世間ではいろいろな人が、

いろいろなことを言い始めるのだ。

 

 

 

誰かのもっともらしい言葉。

そして、また誰かのもっともらしい言葉。

ときに矛盾して見える場合もある。

対立して見える場合もある。

 

 

 

がしかし、

誰一人として正論はない。

 

 

 

 

だけれども、結局、

みんなの考えの総称が

一番もっともらしくなる。

 

 

 

 

っていう感じのことを

言ってたのはたしか、

村上春樹さんだっけ?

(忘れた・・・)

 

 

 

 

まあ、それで

気づいた。

 

 

 

フィルターを無くすとか、

ありのままを見る、

 

 

とかいう表現って、

なかなか難しそうだったり、

どうやっていいかわからない、

って感じだったり、

どう説明していいか、分らなかったり、

いろいろ、

ふわふわした抽象度の高い、

表現だな、と思ったけれど、

 

 

 

足し算していく感じが、

自分にはしっくりきた。

 

 

 

 

1つ1つ、

それもありだな、

そういう考えもあるな、

それも一理あるな、

 

 

 

 

うんうん、

うんうん、

って感じ。

 

 

 

少しずつ、

増やしていく。

 

 

 

 

完全なるありのままの世界

 

 

これは、どういうことかというと、

「全人類の主観を完全に取り込んだ状態」

ともいえる。

 

 

 

半径〇メートルの主観が、

ついに、全世界の隅々まで

行き届いて、

主観の広さと

客観の広さが

完全に等しくなる。

 

 

 

その状態が

「ありのまま」

 

 

 

 

イメージすると、そんな感じ。

 

 

 

 

もちろん、

完全なフィルターのない世界を

見れる人はたぶんいないだろうけれど、

 

 

 

いろいろな人々の考えを

足し算して取り込めて行けたとき、

より、一層、

客観へ近づいていけるのだろう。

 

 

 

ということを

なんか、さっき

タピオカティー飲んでたら、

気がついたので、

自分個人の日記みたいな感じに

なってしまいましたが、

参考になれば幸いじゃ

 

 

 

そんじゃ