8月8日(通称:パイパイの日)←ワイが名付けました!
それは昨日のことでした。
また1つ、ワイの目の前に、
夢の扉が開いたのです★
2か月前ワイは、ワイが尊敬する
某有名な作曲家、演奏家のお方と出会ったのだが、
その後、、ワイは、今度、そのお方と
ご一緒に演奏する機会を得たです!
ワ~イ!
からの~
ウェ~イ!!!
からの~
ほほほほ~い♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
昨日の夜、ワイは大好きなナッツ入り・キャラメル・チョコレートを食ってた。
そしたら、突然、そのお方からメッセージがキタ。
その内容には、ワイは今度、ご一緒に演奏させてもらえるとのことじゃった!
「キタコレー!!」
「ナイショットォ~!」
(フォルァアアア!)
スゴイ、すこぶる嬉しいことなのじゃが、
実はワタシ、それまでの間、
悶々とした日々を送っておったのじゃった・・・
自分からお願い事できない病
ワタシ、普段から、1つ、自分でも深く自覚してることがあった。
それは何かというと、実はワタシ・・・
人に頼るのが超超超苦手!
後、人に相談するのも超超超苦手!
人にお願い事を言うのも大の苦手!
(プライドが高いとか勝手に分析すんなコンニャロ~)
↑
誰かに言ってる??w
そんなワタシ、常日頃から、
ジェダイの教えを学びつつ、練習しつつ、実践しつつ、
例えば、ワタシが尊敬するジェダイのお一人、
本田晃一さん(通称:本田こーちゃん)の人間関係術を学び、磨いてきたのだけども、、、
でもねでもね、ワタシ、
「自分から相手に何か要望を言う」
ということが全然できんのです。
その代わり、いつも必ず先に、
相手の需要を聞き出すこと、
相手の需要を満たしてあげること、
相手の好きなことを聞き出すこと、
相手の興味関心ごとを知ること、
相手を理解すること、
相手が欲しいものを探り、出来る限り提供すること、
相手が何をしたら喜ぶかを探ること、
相手が喜ぶことをしまくること。
(え?いつも自分の好きな事しかブログに書かないヤツが何を言ってるかって??実はワイ、人に尽くすタイプでもあるのさ(好きなものに限る)ふふふ♪)
こーゆー感じでね、
ワイは自分から先に相手にギブできるよう、
ジェダイの教えを徹底的に学び、
そしてそれを実行シタ。
ワイは、繋がりたいと思った相手に
先にギブすることを専念した。
常に相手の需要を先に満たすことだけに
全エネルギーを傾けることに費やした。
それは一見すると、
すごく良いことのように見える。
つーか、実際に良いことだと思う。
がしかし!
とても良いことなのだけれども、
その反面、ワイはとても大きな問題を
抱えやすいタイプだった。
それはつまり、ワイは、
自分のことになると、
何も言えなくなってしまう病。
自分から相手に対して、お願い事が言いにくい病。
それは前から自分でも自覚してたつもり。
だからいつもいつも、
このことに関しては、後悔の念ばかり持っていた。
例えば、自分にとって大切な人間関係において、
「ああ、あの時、ああ言えば良かった!こう言えば良かった!」
みたいな感じで、いつも後悔してしまう。
でも、その裏側には、
「相手に嫌われたくない」
そんでその奥深くには、
「自分は(お願い事を言えるような)価値がない」
という大前提が引っ付いてる。
それは拡大解釈すると、
ワイはもっと実績を積まないと認めてもらえない。
ワイはもっと技術力がないと認めてもらえない。
ワイはもっと信頼を得ないと認めてもらえない。
こーゆー感じのことへ発展しやすい。
そーゆー大前提を持ってしまうと、、、
なかなか自分から
「ああしたい、こうしたい」というお願い事を
相手に対して言えなくなってしまう。
それがずーっとコンプレックスだったです。
これがね、面白いことに、
自分にとって興味のない相手、
どうでもいいこと、
大したことじゃない状況、
そーゆー場合、ワイはかなり大胆になれる。
そーゆー場合、
ワイのセルフイメージは
ハチャメチャにデカくなれる。
なんでも言える。
どうにでも振る舞える。
テキトー極まりない。
期待しないし、落胆もしない。
どうでもいい境地になれる。
がしか~し!
これがもし、自分にとって、
興味のある相手、
大切な選択・進路・状況、
つまり言い換えると、
「自分にとって執着してること」
になってくると途端に話が変わってくる。
そういう状況になると、
ワイは、超超超・慎重派になってしまい、
なかなか動けなくなってしまう・・・・
とゆーことでね、
ワタシ、ずーっと勝手に一人で思い込みをしていた。
(どうせ)今のワタシは認めてもらえない。
だから、お願い事はまだ今は、言わないでおこう・・・
みたいな、勝手に一人コントをしてしまっていたwww
(人のことならね「ぷぎゃーwwww」つって笑えるのだけども、自分のことだとね、わかってても、途端に動けなくなってしまう)
がしかし、
「執着捨てよう」
「結果に期待するの辞めよう」
「やらないよりやろう、言わないより言おう」
少しずつ、そう思えるようになり、
やがて、試しにお願い事を相手に言ってみたら、
アッサリ叶った。
「あれ?認めてもらえないだろうなと思ってたのワタシの勝手な思い込み?」
みたいな。
もうね、思ったね。
もうこればっかりは、
どんどん数をこなして慣れていくしかない。
もう人生短いから、
アレコレ躊躇するの本当に辞めよう!
心からそう思えた。
ワイの夢ノート
これね、前回のブログ記事で書いたやつ。
ワイがポンコツ会社員時代だったころ、部長さんにもらった、
Apple社が作ってた分厚いノート。
もうね、何年も前のものだし、
ときどき持ち歩いたりしてたし、
いろいろ書き込んだりして使用してたから、
見た目がボロボロなんだけも、
ワイは、このノートにいつも、
お願い事を書いております。
そんでね、久しぶりに見返してみたらね、
今まで書いてきた夢、
「あれ?!結構叶ってるヤツあるじゃん!ステージクリアしてるじゃん!」
ってゆーのが、割とあるな、ということに改めて気づいた。
しかもね、だんだん、
叶うスピードが速くなってきたような気がする。
(今回の夢は3か月程度かな)
もちろんね、
「さすがにコレは無理かなぁ」みたいな
かなりバカでかい夢は、
まだぜんぜん叶ってないんだけどもw、
(はよ叶え~!)
なんか「これはイケるんじゃね?」
っていうレベルのやつは、
ノートを見返してみたら、
割と叶ってたね。うん。
運だけで生きてるヤツ
そんで、昨日の夜、ワイが大好きなナッツ入りキャラメル・チョコレート食ってたとき、
SNSでワイが尊敬する夢のお方からのメッセージが来て、
それを読んでたらね、ふとワイが大好きなティムバートン監督の映画
「チャーリーとチョコレート工場」
のことを思い出しんだよね。
主人公のチャーリーはね、
なんの才能もないし、
家は貧しいし、
なんの取り柄もないの。
何も持ってないの。
そして、それとは対照的に、
チャーリーの周りにはね、
実に特徴的な様々な子どもたちがいたの。
チョコが大好きなヤツ。
何でも一等賞になれるヤツ。
すっげー金持ちなヤツ。
超頭が良いヤツ。
主人公のチャーリー以外は、
全員、自分たちの持ってるスキル(能力)で
夢を叶えていこうとするんだけども、
なんの取り柄も才能もコネも力も、
何一つないチャーリーは、
運だけで夢を叶えていた
(運だけで生きてるヤツ)
そんでね、ワタシ、
その映画のストーリーを思い出して、
すごくハッとさせられたのだよ!
もし、自分の大前提が、
「もっと能力がないと認めてもらえない」
だったとすると、
ワイは、もっと技術やスキルを磨いてからじゃないと、
お願い事すらできない。
つって、ずーっと技術磨きばかりで、
誰かと比べてより上手になろうと競争し、
そんなことばかりしてたら、一歩も前へ進めない。
世界に対して、自分のお願い事はできないまま。
もし、自分の大前提が
「もっと実績がないと認めてもらえない」
があるとすると、
ワイはもっと、
アレコレ行動して、経験値を溜めて、
経歴とか賞とかキャリアアップとか、
ブランド(外側の鎧)を作ることに一生懸命になり、
それを作ってからじゃないと、お願い事はしちゃいけない。
そしたら、そんなことばかりしてたら、やはり一歩も前へ進めない。
世界に対して、自分のお願い事はできないまま。
もし自分の大前提が、
「もっと人脈がないと認めてもらえない」
だとすると、
ワイはもっと、凄い人と繋がろうと、
なんか全然違う方向へエネルギーを注ぐことになり、
そればかりに時間をかけて、
結局、自分が一番欲しいお願い事はずっとできないまま。
主人公チャーリー以外の子どもたちは、
みんな何かしらの利点を持っていた。
チョコが大好きなヤツ。
何でも一等賞になるヤツ。
すっげー金持ちなヤツ。
超頭が良いヤツ。
でももし、自分はそうではない人間なのに、
これらのうちのどれかになろうとすると、
本来の自分との乖離が始まる。
顕在意識で何とかしようと考え始める。
頑張る世界へ逆戻り。
*自我が環境(他者)に対して自動反応(オートマトン化)をする
実際にさ、そのワイが尊敬する、
そのお方の周りの人たちもさ、
めちゃ実績のある演奏家とか、
スゴイ経歴がある人とか、
中にはテレビで活躍してる人とかもいて、
スゴイ人たち、プロが、そのお方の周りにうじゃうじゃいてさ・・・
「あ、ワタシ、これ、完全なるアウェー空間」
「レベチですわ。ワタシなどは平民ですわ」
とまず最初に思ってしまったよ。
いや、そりゃ思うよね。
そりゃ思っちゃうさ・・・
「こりゃ、ワイみたいなもんが、気安くお願い事言えるレベルじゃないわ・・・」(思い込み)
でも、本来は、
なんもなくていい。
大前提に何もなくていい。
そう、主人公チャーリーのように。
「自分だから大丈夫」
大切のなのはたったこれだけ。
根拠のない自信だけ。
大前提の底にあるのは揺るぎない「安心感」ただそれだけ。
これ以外は全部幻想。
これ以外は全部ハリボテ。
これ以外は全部外側の世界。
愛情・物質などの欠損が生み出す自我による自動反応。
あのね、こーゆー内容のブログ記事って、
もう何度も書いてるし、
知識として頭では理解してる(つもり!)
なのだけどもね、でもやっぱり、それは、
ワイにとって、幻想だったのだね。
ワイはいつでも理解したつもり。
知ったふり。
本当は何もわかっていない。
なんか改めて、自分にとっては、
自分の身に実際に起こって、体験して、
「腑に落ちた!」(心で理解した!)
って感じがした。
運は神様の力
努力とか能力とか、コネとか金とか、力とか、
それらは全部、自分の外側にあるから、
最初は何も持っていないところからスタートする。
だから最初、一人の個人としての人間は、
それを得るために
外へ向けて働きかけをしようとする。
(もちろん、人によっては一部、最初から持ってたり、持ってなかったりするから、
自分にとって「足りない」と思い込んでいるものは、外へ向かて得ようとする)
これを自力という。
でもそれとは対照的に、
自分の内側の奥深くに、
一番底の更にそこの、
ずっとずっと奥深くに
何かがいる。
そこに真我がある(と信じる)
外側へ向けて旅をし始めた人は、
この内側の存在に気づくことができなくなってしまう。
がしかし、本来、
繋がるべきはそこ。
探し物はソレ。
大切なモノ。
そこに繋がったとき、
神様的な何かしらの
見えない力が発動する。
内側の中に潜む
「得体の知れない何か」
そこに繋がるとき、
人は自分一人の努力や力じゃ
到底かなわないような、
見えない大きな力に守られる。
もしこの世界に神様がいないのであれば、
自分は神様を信じることができないから、
この世のあらゆることは、
全部自力で何とかしなければいけない。
でももし、この世界に神様がいるのであれば、
自分は神様を信じ、自分という一人の人間は、
とてもちっぽけで一人じゃ何も成し遂げられない、
ということを自覚し、やがて、自分以外の何か大きな存在に
頼るほかなくなる。
「運だけで生きる」っていうのは、
何も努力せず、何から何まで100%
他力本願で生きる、ということじゃなくて、
自分の力はちっぽけで一人じゃ何もできない、
という自覚を持つということ。
その上で「見えない力を信じたい」という思いを持つことで
実際に行動パターンは大きく変わる。
(とらわれから解放され、自我で判断することが減る)
チャーリーは、本当に
何にも持ってない。
スキルも能力も金も何もない。
がしかし、チャーリーは、
運だけは良かった。
(そしてあり方があった。ウィリーウォンカへの素直さや家族に対する愛情、在り方があった。)
運って本来「確率論」
のお話じゃなくてさ、
心の「在り方」のお話だと思ったよ。
(世界に対する捉え方がフラットなら、本来、挑戦できないと思い込んでいることも含め、何でも挑戦できるようになる。さすれば、当たる確率も上がる)
ちょっと話がズレたけれども、
とりあえず、ワタシ、
今回の件で自分の中にある
「大前提」に改めて気づけた気がした
ワタシ、もっと捨てたい。
いらないとらわれを捨てて、
もっと自由に振る舞いたいと思った。
チャーリーみたいに
運だけで生きてるヤツが
一番最強じゃん、と思えてきた。
チョコうまいよね♪
そんじゃ
なつかしいw