なんか心のことばかり書いてたらちょっと飽きてきたので、
たまには、豊かさとか、お金について、書きたいな。
(でも結局は、深い部分で心と結びついている)
何かをしてお金を得るときに、
「用意されているレール(既存の道)に乗ると、
ちゃんと稼げますよ」
っていう世界観がある。
そしてそういう世界はものすごーくたくさん存在している。
日常はソレらでひしめき合っている。
そんで、そういうものを利用すると、
ちゃんと利益を得られるようになるのだけれども、
利益はとても少ない。
そしてもれなく競争の原理の中に突入し、
揉まれることを意味する。
そういうものは、
何かのサービスであったり、
何かのプラットフォームであったり、
何かの資格であったり、
何かの組織や仕組みであったり、
何かのお手伝いであったり、
実に多種多様に姿や形を変えて、
この世界に日常的にたくさん存在する。
(*誤解が無いように。
もちろん、既存の道の中でも、限られた道では豊かさが大きい。
だからこそ多くの人はそこを目指して競争するのだけれども)
そして既存の道は、日常的に星の数ほどあって、
そして、いとも簡単に見つけられるし、
いとも簡単に利用することができる。
がしかし、利益はとても小さい。
そして、中には競争の苦しみも伴う。
そして一番もったいなと感じることは、
「思考する枠」が限定されること。
その選んだものの枠に、
自分の思考を合わせていく。
ということになる。
すると創造性を生み出すことよりも、
枠の中で効率化を求める考え方の方が、
必然的に重要となっていく。
自分で道を耕すこと
自分で道を耕すこととは、
自分のアイデアを表現すること、
自分の商品・サービスを作ること、
自分のやり方を広げること、
などなど。
この考え方は、
「この世に全く存在しない、
新しい何かを生みだす」
というような、イノベーターや開拓者
みたいな大きな枠組みの世界から、
もっともっとミクロで小さくて、
もっと簡単に個人で出来るレベルのものまで、
幅広く存在する。
本当に1からすべてを作り上げ、
世界規模にするようないわゆる
イノベーターとか開拓者と呼ばれるような
そんな人たちがするようなことは、
いばらの道のように見えるから、
多くの人はやりたがらないのだと思うけれども、
でもでも、今回の記事で言いたいことは、
そーゆーレベルじゃなくても、
もっともっと小さい個人レベルなら、
実はもっと簡単に試すことだってできるよ!ってこと。
オリジナルケーキを焼いてみたとか、
絵を描いてみたとか。
そーゆーの。
そんで、
自分で道を耕すと、
既存のレールを利用するよりも、
豊かさの量は大きくなって帰ってくる。
(どんなに最低でも10倍以上とか、そーゆーレベルの規模感になる)
自分で作って自分で売る的な
(製造販売の形態。食物連鎖のモデルで例えると、トップの位置に属する)
もちろん、その規模は個人差がある。
世界を巻き込むくらい大きい規模でやる人もいるし、
個人間で小さくやるレベルもあるし。
そんで、これをするよりも、
既存の道を利用する人が圧倒的に多いのは、
ただ単に心理的な問題だけだと思う。
(それ以外に理由があるかな、逆に?)
「自分で耕すことがめんどくさい」
「自分のレベルではそれは無理」
「自分でアレコレ調べるのは難しい。わからない」
「もし失敗したらどうしよう」
「誰かに批判、攻撃されたらどうしよう」
「誰かの迷惑になってしまったらどうしよう」
「大損こいたらどうしよう」
そーゆー心の問題だけな気がする。
あと、そーゆー世界を知らないだけな気がする。
もちろん、道を耕すのは
既にある道を利用するよりも、
難しいし、大変ではある。
けれども、
この「難しい・大変」を帳消しにする技、
気が付いたら「自動的に行っている」状態に持って行くのは、
「心を磨いていく」に繋がっていく
ソレについては、今回の記事の論点とズレるので
あまり深堀しないけれども、
自分で考えて自分で表現して、
もしそれが上手くいくと、
既存の道を利用したときよりも、
豊かさの量は桁違いになりやすい。
自分で作って自分で売ると値段を自分で決められるし、
あと、直で売れればマージンが0になるから。
そんでそれは、
イノベーターとか、開拓者というような
「険しい道を行く人達」のようなレベルじゃなくても大丈夫ってこと。
もっともっと、
個人レベルで、イージーに
楽しみながら少しずつ育てていく世界もあるよ!
ってことね。
「楽しみながら」
これが超重要!
100%完璧な道は存在しない
そしてもう1つ重要なことは、
「100%完璧な道」なんて誰も作れないさ、
ってこと。
白黒ハッキリつけることじゃないんだ。
自分で道を耕すが〇、
既存の道に乗るが✖
とゆー、
二元論的な世界観じゃないってこと。
自分の表現したいことのうち、
コレは自分で耕す。
「でもこれを広げるために、
この方法を使わせてもらう」
みたいに、人は必ず、
既存の何かにお世話になっている。
絶対に何かの恩恵を受けざるを得ない。
それが社会と言うもの。
だから、何かのプラットフォームを利用するかもしれないし、
誰かに頼るかもしれないし、
何かの看板を背負うかもしれないし、
何かの権威にすがるかもしれないし、
何かのリソースを使用するかもしれないし
いろいろな既存の道があって、
必ずどれかの恩恵は受けているはずなのだ。
(例えば、日本人である僕らは生まれながらにして、
自動的に、日本語とか文化とか作法とか教育とか、
あらゆる恩恵を受けている。
もし外国人が日本に着て1から何かを始めるとき、
僕らがあたりまえにできることを1から身に付けないといけない)
そーゆー意味で、
何かしらの恩恵は受けている。
ちょっと話が長くなるし、
ソレて来ちゃったのですがまとめると、
*自分の道は耕したら豊かさの恩恵はけた違い。
*自分の道は100%完璧にはならないし、人は誰しも、何かしらの既存の道を経て今があるのだから、それを否定せず、ありがたく受け取る。
*そのうえで、自分にとって利用しやすい道は利用してもいいんじゃない?
*あと、既存の道を1つずつ手放して、少しずつ自分で作った道に切り替えていくと、豊かさは増えていくよ
ま、こんな感じ。
そして、自分が「どのように生きたい」
はセルフイメージの分野なので、
まずはそこを作ることも大切だよね。
それが固まると、
「自分の道」について、より明確になっていく。
(そんで結局は、自分の道を決めることと、耕すこと。この2つをぐるぐる繰り返し磨いていくプロセスを経ていったりする)
そんじゃ