ヴィパッサナー瞑想・失敗者の末路(後日談)

 

 

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ヴィパッサナー瞑想体験記★後編

 

 

この記事では、10日間にわたる

ヴィパッサナー瞑想体験記の

後日談について書きたいと思います。

 

 

 

修行に失敗した者の、悲惨な末路について、

詳しく書きますが、どうぞ怖がらずに

最後までお読みください。

 

 

また、瞑想体験を終えた、

僕のその後の日常生活についても

書きたいと思います。

 

 

瞑想修行失敗者の末路

 

前回の記事、それから前々回の記事でも

なんどもお伝えしていますが、

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想には、

厳格なルールと、

やり方の正しい手順があり、

それらは2500年間、

何も付け加えられず、

何も差し引かれることなく、

忠実に伝え継がれています。

 

 

 

そしてこの瞑想法を行うにあたり、

指導者とともに、正しい教えのもと、

安全に行うことができるのです。

 

 

ヴィパッサナー瞑想センターでは、

他の瞑想法を混ぜたり、

独自の方法を取り入れることを、

固く禁じています。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想センターにおける

ルールはとても厳格ですが、

それは安全に行うために用意された、

必要不可欠なものなのです。

 

 

しかしながら、

しばし、ルールを逸脱し、

独断で瞑想を行う者がいます。

 

 

 

そのような独自の方法は、

本来のヴィパッサナーではなく、

そのような行為をする者は、

本来の瞑想法から得られる恩恵を受けることはできず、

まったく別の結果を得ることになります。

 

 

 

時にそれは恐ろしい副作用として、

残る場合もあります。

 

 

 

ケース1:

苦悩を追ったものの末路

 

前回、前々回でお伝えしている通り、

瞑想中は、渇望と苦悩が沸き起こります。

しかし、正しい道を突き進んでいくには、

この両方を断ち切らなければなりません。

 

 

苦悩を追ってしまった者は、

やがて苦しみのあまり、うなされ、

もがき、最後は発狂し、

俳人になる恐れがあります。

 

 

直接センターの人に聞いた話では、

かつて、修行しに来ていた女の人で、

苦悩のあまり、発狂し、

夜な夜なセンターを脱走して、

そのまま帰らぬ人(センターに帰らぬ人って意味)

になってしまった人がいたそうです。

 

 

 

もちろん、施設では、

24時間、常時、係の人がいますので、

いつでも相談可能な体制になっているのですが、

脱走した女の人は、独断のまま、

苦しみのさなか、センターから消えてしまったそうです。

 

 

 

苦悩を追ってはいけません。

ありのまま見つめ、

「全ては変化する」としてそのまま流すようにしてください。

 

 

ケース2:

渇望を追った者の末路

 

 

次は、渇望です。

 

瞑想を続けていくと、

普段の生活では体験できないような、

さまざまな神秘的な体験が起こります。

 

 

体の中で、パチパチしたり、

体が熱くなったり、

幻覚を見たり、

音が聞こえなくなったり、

 

 

 

でも、それらは

全て幻想です

 

 

 

修行しているさなか、

そのような神秘的な体験が

ひとたび起こると、

 

 

「自分は悟りに近づいているんだ!」

 

 

という勘違いを起こし、

その神秘的な現象を、

「もっと欲しい、もっと続いてほしい」

と追い求めるようになります。

 

 

 

この瞬間、解脱(げだつ)(悟り)へのルートから逸れ始めます。

 

 

これを追ってはいけません。

 

 

 

たまたま、僕が参加した時に、

一緒に瞑想していた人たちの中で、

独自の方法で瞑想を行っていた人がいたので、

インタビューして聞いてみました。

 

 

 

その人は、

頭の中でイメージをし、

(ヴィパッサナーセンターの瞑想法ではイメージを禁じている)

体に起こる不思議な感覚を

イメージの世界で、拡大させたり、

変形させたりして、遊んでいたそうです。

 

 

 

それを続けていたら、

9日目の夜に、突然、

光の中に出てきたような、

まぶしい錯覚に陥り、

 

 

 

そして、体全体に

ビリビリと弱い電流を

流され続けているような、

しびれるような感覚に陥ったそうです。

 

 

 

悲惨なことに、それは、

瞑想センターを出た後も

毎日続いたそうです。

 

 

 

数か月して、僕が

その後の経過について聞いてみたところ、

いまだに、そのビリビリは収まっておらず、

日々の生活でもずっと感じ続けているそうです。

 

 

 

 

こんな変な感覚を持ったまま、

日常生活を続けなければならないなんて、

と言い、彼は深く後悔しているようです。

 

 

 

これは独自瞑想を行ったために

残ってしまった、後遺症です。

 

 

 

渇望を追ってはいけません。

ありのままに見て、

そのまま流して下さい。

 

 

 

ケース3:

あっちの世界へ行っちゃった人々

 

これは、長く瞑想を行っている人たちに

しばしば起こることです。

 

 

 

瞑想を続けていると、

感覚器官の世界に意識を置いたまま

の状態になるので、

その間、日常のことへ

意識が向かなくなります。

 

 

 

長く行っていると、

数日、数か月、と

瞑想を続け、感覚器官の世界に

意識を置いたままになります。

 

 

ひどい場合は、

数年間、現実世界へ戻ってこられず、

そのままあっちの世界へ行ってしまう方々がいるようです。

 

 

 

あなたは、「だるま」

をご存知ですね?

 

 

 

日本人なら誰でも知っている

赤くて丸いだるまです。

 

 

 

実は、あれは、

「達磨大師」(だるまたいし)と言って、

インドの有名なお坊さんのことなのです。

 

 

 

 

だるまには手足がありません。

 

 

 

なぜなら、彼は

瞑想修行を行っている間、

ずっと感覚器官の世界にとどまり、

現実のことを忘れていたからです。

 

 

僕も瞑想を体験して分かりましたが、

1時間も座禅を組んでいると、

足がしびれてきます。

 

 

 

足に激痛が走り、

耐えられなくなります。

 

 

 

しかし、何日も瞑想を継続していくと、

次第に慣れ、痛みも和らいでいき、

最後には快感

すら得られるようになります。

 

 

 

 

しかし、この快感には要注意です。

 

 

快感は「渇望」です。

 

追ってはいけません。

 

 

 

これは、達磨大師だけ、

特別なことなのではなく、

 

 

 

瞑想修行をしている人で、

瞑想中、気持ちよくなり、

あまりに気持ち良すぎて、

現実世界へ戻りたくなくなることは、

しばしば起こることです。

 

 

 

芸能人でもいますよね、

○○○○○とか。

 

 

 

インドの山奥には、

瞑想しすぎて

現実世界の体のことを忘れ、

月日が流れ、手足が腐って、

そのまま快楽のさなか、

死んでしまう僧侶とかも、

わりといるそうです。

 

 

 

 

快感を追ってはいけません。

 

それも渇望です。幻想です。

 

 

 

瞑想は脳内の回路をいじくる行為と同じ?

 

 

瞑想は、潜在意識へアクセスできたり、

時に、書き換えたりすることが可能だそうです。

 

 

平たく言うと、

過去の記憶を消したり、

上書きしたりすること。

 

 

 

これって、

脳みその思考パターンの回路を

自分でいじくりまわして、

作り変えること。

 

 

 

あなたはコンピュータ技術者ですか?

 

 

もしそうなら、

パソコンの基盤などを

はんだ付けして、

自由に回路を組み替えることができるでしょう。

 

 

 

しかし、そうでない場合、

あなたが独断と偏見で、

何の知識もないまま、

コンピュータの回路をいじくりまわしたら、

パソコンは壊れて動かなくなります。

 

 

 

 

これと同じことが、

瞑想法にも言えます。

 

 

決して、独自の方法で行わず、

指導者のもと、

正しい方法で行ってください。

 

 

 

瞑想体験、その後の生活

 

 

僕ですか?

 

 

僕は、10日間のヴィパッサナー瞑想体験の後も、

時々、10分から15分程度、

日常生活の中で

この瞑想方法を取り入れています。

 

 

 

 

そうすることによって、

悩みと不安が消えるので、

とても役立っています。

 

 

 

悩みや不安が消えれば、

あとはただ、

「行動をしよう」

っていう思いにしかならなくなるからです。

 

 

 

 

あと、例えば、

僕はピアノを演奏するのですが、

人前で披露する前に、

10分くらい、この瞑想を行います。

 

 

 

 

すると、とても研ぎ澄まされた感覚になって、

フロー状態になりやすくなり、

良い演奏ができるのです。

 

 

 

 

その他、瞑想をした後では、

頭がすっきりして、リラックスできるので、

 

 

ちょっと考えすぎて頭が疲れたときとか、

考えても考えても解決しない問題があるときなど、

この瞑想を10分から15分程度、してみるだけでも、

ものすごい良い効果が得られると思います。

 

 

 

しかし、僕は修行僧になりたいわけではないので、

この瞑想法で「意識の綱渡り」

をして遠くまで行きたい、とは思っていません。

 

 

 

 

瞑想はとても体にも頭にも良いですが、

同時に、綱渡りをしすぎて、

危険な領域へ足を踏み入れる可能性も孕んでいます。

 

 

 

だから、もしあなたが、

「瞑想をやってみたい」って思ったときは、

正しい方法で、安全なやり方で

行うようにしてください。