少しずつだんだんと、
気づいてきた。
ジェダイの教え。
ダークサイド。
がんばる
がんばらない
我慢する
好きなことする
ありのままでいる
人から嫌われる
自然体でいる
本音で生きる
少しずつ分かってきた。
少しずつ変わってきた。
自分軸で生きる
「自分軸で生きる」とか
いろいろな人がいろいろ言うけれども、
なんとなく抽象的で、
ふわふわしてるから、
うまくこう「カチッ」とハマる表現っていうのが
難しいのかもしれないね。
でも、自分自身の経験を通して、
人それぞれの価値観や視点を通して、
その人なりに「自分軸」というものを
理解し、体に落とし込んでいければいいのかなと
思うのです。
万人に共通する教科書的な「コレ!」
みたいなのはないけれども、
みんなそれぞれ、アレコレ経験して、
掴んでいくものなのかもしれません。
ベクトルを真逆にする
一つ思ったね。
僕はベクトルを真逆にしたい。
今までの真逆にしたい。
そー思った。
今まで自分から働きかけていたものの中で、
「好き」でやってるものと
「恐怖」でやってるもの
この2つに分けられるということに気づく
(もう何度もブログ記事で書いておる)
そんで、この「恐怖」に関連する
あらゆることを、あなたも僕も海外のYOUも、
全人類、みんなして「仕方なく」やっているのだ。
これをやらないと怒られる
アレをしないと好かれない
これだけはやらないと後で大変なことになる
それをしないとお金が稼げない
こういう風にしないと生活ができない
そして、そーゆーもろもろの
「生きるための事象」というものを
「そーゆーものだ」という全人類の
共通認識のもと、それを「仕方なく」やるのだ。
だがしかし、
僕はジェダイの魔法を使うようになった。
世間にたくさんある「そーゆーものだ」
という大きな事象の中に、
白魔法「ほんとにそーかな?」
をかけてみる。
「そーゆーものだ」の中には、
実はそれは「みんなの思い込み」
つまり言い換えると「幻想」だった!
とゆーことが、見つかる時がある。
小さいものから大きなものまで。
だから僕は、1つ1つ、
魔法をかけてみる。
「そーゆーものだ」とは
世間の常識であり、
正しいことであり、
歴史的に見ても間違いなさそうなことであり、
大多数が信じていることであり、
だからこそ
「そーゆーものだ」に対して、
「ほんとにそーかな?」という白魔法をかけることは、
とても恐ろしいことなのだ。
恐怖なのだ。
「ああ、こんなことしちゃっていいのかな」
でも、そこは勇気なのだ。
勇気を出して、1つ、また1つ、
白魔法をかけてみる作業をするのだ。
すると、
「そーゆーものだ」の中から、
幻の姿をした「そーゆーものたち」が
1つ、また1つと溶け出していき、
消えてなくなっていくのだ。
そんで、そのとき、
ベクトルが真逆になるのだ。
今まで自分から世界へ働きかけていた力が、
今度は世界から自分へ働きかけるように、
真逆の流れが始まるのだ。
これはとても重要なことだと気づき始めたワタシ。
本に書いてあることなんてもう過ぎ去った過去だ。
誰かが言った言葉もうのみにして、
わかったつもりになるのではなくて、
今この瞬間、自分自身で体験しないと、意味がない。
体験して初めて「ああ、なるほど」と気づく。
今まで「恐怖」がベースに会って、
仕方なく自分から世界に対して
働きかけていたそのエネルギーの流れを
「恐怖」をかき消して、
世界から自分に対して流してくれるように
ベクトルを変えていくのだ。
これが冒頭に行った「自分軸」の1つの現象じゃないか、
そーゆー風にも表現できるのです。
(もちろん、他にもいろいろな表現の仕方があると思うのです)
自分の心躍ること、
ワクワクして仕方がないこと、
0.2秒で「YES!」って言えるくらい好きなこと
そーゆー感情の時は、
自分から働きかけまくります。
だけれども、世間の
「そーゆーものだから」という大きな幻想に包まれ、
その根底にある恐怖に動かされている状態で、
「仕方なく」自分から世界に働きかける、
ということを1つ1つ手放していこうと、
思うのです。
いわゆる「捨てる勇気」とか
「執着を手放す」とか、
そーゆーことに繋がっていくのだと思います。
例えば「嫌な仕事を勇気を出して辞める」と
別の方向から「豊かさ」が舞い込んでくる
こーゆーことは、
大なり小なり、
もう何度も体験していて、
なんとなーく、このベクトルについて、
肌感覚で感じているのですが、
僕は改めて、
もっといろいろ「恐怖」を捨てていこう。
と思った。
みんながやってるから、という理由も捨てる。
これをしないとダメだ、という理由も捨てる。
あ、また勘違いが起こらないように、
念を押しておくとすれば、
「捨てた後、更に悪くなっちゃう人」って、
「自分軸」設定をしないで、捨てちゃうからだと
思うのです。
「自分はこれで大丈夫」という設定をして、
その設定のまま周りを気にせず「堂々と貫き通す」
そんな勇気がいるのかもしれません。
そうじゃないと、あの人この人、
いろいろな人の意識や意見や考え方に
引っ張られ続け、ただ流されるだけに
なってしまう、そんな風に思います。
大きな流れのベクトルを変えるには、
今持っている「大きな恐怖」を捨てないといけない
そー思った。
さてと。
また1つ勇気を出す時が、
きたのかもしれない