がんばってるつもりのあなたが
実は人を馬鹿にしてて
自分に自信がない可能性は〇%
いつも一人でがんばってるあなた。
人一倍努力家のあなた。
孤高のあなた。
素晴らしい。
よく頑張ってる。
毎日よく努力している。
頑張り屋さん。
スゴイ。
偉い。
でも、
なんか苦しい。
なんか辛い。
なんか幸せじゃない。
なんかしっくりこない。
と思ってたら。。。
あなたの頑張りは、
ワクワクや好奇心からではなく、
恐怖心から生まれたものの可能性が
あるかもね
ええー!!
頑張ってるつもりが、
実は人を馬鹿にしてしまっている
可能性が、
あるかもね
え、ええー!!
恐怖心からくる頑張りも努力も、
「がんばらなくちゃダメになっちゃう」
ってこと。
つまり、
「今のままでいたらダメになっちゃう」
ってこと。
つまり、
「今の自分はダメ。」
って自分を否定していること。
そんで、
頑張ってると、
「頑張った自分良し。合格。まる。」
頑張ってない君ら、
「ダメ。不合格。バツ。」
って、無意識で
見ちゃっているかも。
で、無意識に、
人と競争しちゃう。
「頑張って安心を獲得するんだ。」
「頑張って豊かになるんだ」
「頑張ってないヤツらがいるから、
今のうちに自分だけ努力するんだ」
っていう
競争の概念から
なかなか抜け出せない。
あなたも僕も
みんな愛を求め
さまよう
愛を感じていないんだ。
カーチャンの愛を感じ取れていないとき、
つい、こっち側(競争の世界)
に戻ってきちゃうんだ。。。
カーチャンもっと愛してくれ
俺だけを私だけを見て。
自分をもっとわかってくれ。
かまってくれ。
かまちょ。
こっちの記事読んで↓
結局ここにたどり着く。
結局最後は、ラスボスステージ、
親子関係にたどり着く。
好きなこと頑張ってるのに、
なんか苦しい。。。
好きじゃないことを
頑張るのは、
もっと苦しい。。。
つまり何をしてても苦しい。。。
人と比べ、
人を馬鹿にし、
「自分を人より上にすることで、
安心を得られる」
と思い込んでしまう。
これが不幸の始まり。
ああ、ついやってしまう。
ああ、そんなつもりはないのに、
ただ、がんばってるだけなのに、
本心に聞いてみれば、
ああ、やっぱり幸せじゃない。
ああ、自分の心に、嘘ついてたわ!
孤高の自分カッコイイ。
頑張ってる自分イケてる。
君らと一緒にするな。
自分がどれだけ辛いか、
君らにはわからんでしょうね。
って、
それは、
恐怖心が下支えになっているから、
そういう世界観になってしまう。
つい頑張っちゃうのも、
つい努力しちゃうのも、
それでつい苦しくなっちゃうのも、
誰かに認めてもらいたい。
誰かに自分をわかってもらいたい。
誰かに評価してもらいたい。
誰かに自分は価値のある人間だ
と思ってもらいたい。
誰にわかってもらいたいの?
上司?
周りの人?
同僚?
先輩?
友達?
恋人?
先生?
親戚の人?
世の中の人々?
そうかもね。
でも、最終的に行き着くのは、
やっぱりカーチャンなのだ。
カーチャンわかってくれ!
カーチャンもっと見てくれ!
カーチャン愛をくれ!
カーチャン J( ‘ー`)し
「呼んだかい?」
一人っ子も、
兄弟も、
「カーチャンの愛を勝ち取る」
という競争社会で生きてきた。
ああ、わかってるさ。
頑張ってるけど、
そうなっちゃうんだ。
でも、しょうがないじゃん!
わかる。
わかるよ。
自分も時々、きがつくと、
ああ!
ってなるときある。
しょうがないよね、
人間だから、完璧にはできない。
ついつい、
恐怖心から頑張ってしまう。
さあ、どうする。
さあ、どうしたい。
つながりを感じよう
競争という縦の世界じゃなくて、
みんな仲良しの横のつながり。
そういう意識。
愛を奪い取る競争じゃなくて、
分かち合う繋がりの世界。
家族、仲間。安心。
みんながお互いに認め合って
みんなが幸せな関係。
そこから、
安心感
が生まれる。
この安心感があると、
世界は180度変わる。
まるっと変わる。
見え方がまるで変わる。
バラ色人生。
生きていてもいい。
ここにいていい。
好きなことしていい。
いつもみんながいる。
みんながいるから安心。
失敗してもみんながいるから大丈夫。
たとえ
一人でも二人でも、
繋がりがあれば、
大きな力となる。
そのつながりを大きくしていくのだ。
つながれる人をどんどん増やしていくんだ。
それはお互いを認め共感しあえる人々のつながりだ。
人類皆兄弟、ファミリーっしょ。
地球マジ、リスペクト。
チェケラッチョ。
ウッス!
ひとと繋がる安心感が、
恐怖心を打ち砕く。
恐怖心からくる頑張りが消え、
安心感から頑張れる、
挑戦できる、行動できる。
つながり。
それってステキな世界。
あなたが誰かとの
つながりを感じられれば、
怖いものなど、消えてなくなってしまうさ。