好きなことのために好きなことをする

 

 

 

 

 

 

シンプルなのに、

難しいこと

 

 

 

カンタンに見えて、

カンタンじゃないこと。

 

 

 

できそうで、

実は全然できていない、

ということ。

 

 

 

 

 

「」

 

 

をしているつもりが、

いつの間にやら、

 

 

 

「何かのために好きなことをしている」

 

 

という罠に陥る。

 

 

 

 

突然、意味もなく、新キャラクターを挿入してみる

 

 

 

 

 

「この何かのため」

には何が入るのだろうか。

 

 

 

 

 

本当は、好かれたいからそれをするのか

本当は、スゴイって思われたいからそうすうのか

本当は、自慢できる何かが欲しくてそれをするのか

本当は、名誉あることが欲しくてそれをするのか

 

 

 

何かのために好きなことをする

 

 

この「何かのため」

に執着しているとき、

他人軸。

 

 

 

 

「〇〇のために、好きなことをする」

 

 

この〇〇という変数に何が入るだろうか。

 

 

 

好きなことがあって、

好きなことをしているはずなのに、

実はそっちが偽りで、

 

 

 

ホンモノの動機というやつは、

右側にある「好きなこと」の中には無くて、

左側にあるこの「〇〇の変数側」の中に隠されていた。

というオチ。

 

 

 

そんで、この〇〇の変数側を、更に奥深く、見つめて、

いろいろ因数分解していくと、

あ、やばい・・・好きだと思っていたことが、

好きじゃなくなってしまうかもしれない・・・

 

 

 

 

これ以上は、触らないでおこう・・・

 

 

 

 

 

やろうとするな。

多くの人々は、間違った理由で、ソレをやているんだ

by チャールズ・ブコウスキー

 

 

アメリカの詩人、ブコウスキーの言葉を思い出す。

 

 

 

 

 

いいや、そんなことは

ぜーったいに認めたくない!!!

 

 

 

自分に限っては、

ぜーったいに、好きなことをしているはず!

 

 

 

 

だけれども、本当にこれは難しいことなのだね。

 

 

 

自分も含め、誰一人として、

そんなに偉そうなことは

言えないもの。

 

 

 

 

100%純粋に

「」

という状態って、ずーっとそうなり続けるなんて、

なかなかレアなことなのかもしれないね。

 

 

 

誰だって、時には、

自分の好きなことをしていて、

それを認めてもらいたいし、

 

 

 

誰かのためになってる、

誰かの役になってる、

この世界に何かしらの貢献をしている、

やっていて何かしらの意味がある、

 

 

 

 

って思いたくなる気持ちは、

やはり誰にだってあるもの。

 

 

 

誰にも認めてもらえず、

一人でずーっと孤独に生きることは

やっぱり辛いと感じるのが、

人間だものね。

 

 

 

 

それでも、この

 

 

 

 

これはとってもステキな状態。

 

 

 

「好きなこと」が好き過ぎて、

それ以外の理由なんて

もうどーでもいい状態。

 

 

 

つまり、それって、

今この瞬間で生きている状態。

 

 

 

つまりそれって、

「幸福のただ中」ってこと。

 

 

 

 

 

自分の中のウソを、

自分自身で見つけていくということは、

それはつまり、「理由を1つずつ捨てていく作業」

ってこと。

 

 

 

考えている間は、まだ理由にしがみついている。

 

 

 

だから今度は逆に、今この瞬間を感じていきたいね

 

 

 

そんじゃ