波乱な時こそ盤石で強い「何もしない教」の神秘

 

 

「今日のテーマ」

不安と恐怖と波乱な時こそ

逆に何もしない教の神秘

の凄さを実感したい

 

 

 

 

 

世界経済が波乱に巻き込まれようと、

実生活のいろいろな面が困難に陥ろうと、

コロちゃんが地球上でおいたしようと、

 

 

 

 

今だからこそできること

ワタシだからできること

をいつも考えている今日この頃です。

 

 

 

 

こんな世の中だからこそ、

「逆に今じゃね?」ポイントは

必ずあると思うんだ!

 

 

 

 

「ピンチはチャンスじゃね?」

ポイントがきっと見つかると思うんだ!

 

 

 

 

そんな中、ワタシ、最近、

アレコレ忙しい。

 

 

 

 

みんなの「ひきこもりライフ」

を不安や恐怖ベースじゃなくて、

潤いと喜びと癒しに変換すべく、

日夜、活動しつづける

 

 

 

 

そんなワタシは、最近、

新たなる作品作りで逆に忙しい。

コロナのおかげで、暇になるかと思いきや、

逆にアイデア出てきて、

逆に忙しい。

 

 

 

 

「オンラインで提供できる何か」

かつ「自分にできる何か」

かつ「自分が好きなこと」

 

 

 

こーゆーのを掛け算して、

この3つが重なり合うところを見つけ、

そこに自分なりに作品を作って

提供するということを、

新たに挑戦してみる今日この頃。

 

 

 

 

作品作りに関して言えば、

今までもやってきたのだけれけど、

今回はちょっと思考を変えました。

 

 

 

 

今までの作品は完全に

「自分の世界観重視」だった。

(自分軸100%の世界)

 

 

 

 

だがしかし今回は、

それとは別次元で、

今までやっていることと並行して、

別のプロジェクトとして、

完全に別のモノとして、

切り分けて考える。

 

 

 

 

つまり「みんなの好き」(他人軸)

に注目してみる。

 

 

 

 

そんでそーゆー考え方は

純じゃないし、

純な遊びじゃないし、

純のアートじゃないし、

どっちかって言うとビジネスよりだから、

 

 

 

 

だからこそ、完全に切り分けようと思った。

そうしないと、好きなことがいつか苦しくなり

破綻するので(それは既に苦い経験済みなので)

今回は「大人の頭」と「子どもの心」の

バランスを考えながら、完全に

別事業(これも遊びの一環)として切り分ける。

 

 

 

そんで、今日は、

このブログでもおなじみ

「何もしない教」について、

かくよー

 

 

 

 

つくづく身にしみて感じる何もしない教の神秘

 

 

 

このブログでもおなじみ、

「何もしない教」

についてまた語る。

 

 

 

決してメジャー路線ではないし、

決して表舞台には立たないし、

決して日の光を浴びるような存在ではないけれど、

 

 

 

歴史上において、

必ず僕ら人類の裏側を支え続ける

影の存在。

 

 

 

 

それが「何もしない教」

 

 

 

 

この影の存在ってやつは、

世間が平和なときほど、

忘れ去れらる。

 

 

 

みんながイケイケなパリピ

アゲアゲモードなときほど、

どーでもよくなる。

 

 

 

世の中が上手く言っているほど、

くそつまらない存在として、

むしろ存在感すらない。

空気。

 

 

 

 

がしか~し!

 

 

 

 

逆に、この世界が不安や恐怖、

混沌やカオスに陥ったとき、

まるで思い出したかのように、

その忘れ去られていた影の存在が炙りだされる。

 

 

 

 

その盤石なる絶対に安定した

真のすごさってやつに、

こんな時ほど、人々は思い出したように

やがて少しずつ気づきだすのだ。

 

 

 

 

「小さい」を大切にする

 

 

 

一般的な常識からしたら、

成長、繁栄、拡大が「良いこと」

のように思われがちだし、

どうしても「小さいこと」「弱きもの」

は蔑まされたり、価値のない存在に

思われがちだけれども、

 

 

 

実は真逆で、

本当は「小さいこと」はとても良いことで、

「弱きもの」は逆に最強の存在であることを、

この何もしない教の神秘は教えてくれる。

 

 

 

 

コロナ問題で今のご時世、自粛ムードの中だから、

あまり大きな声で言うのは心苦しいのだけれども、

とてもありがたいことに、

僕はまだリアルでの音楽活動ができている。

 

 

 

 

人から依頼される案件については、

コロナの影響を受けたため、

そっちは制限されてしまったけれども、

 

 

 

もう1つの方、、、

 

 

 

自分で自分で売り込んで、

自分で提案・企画して、

自分で作り上げてきた自分の畑は、

まだ粛々と続けられているし、

少しずつ規模が成長している。

 

 

 

 

それは実にありがたいことなのだけれども、

そんなことが可能なのも、

逆に言うと、規模がめっちゃ小さいからなのだ。

 

 

 

 

「小さすぎるものは、影響を受けない」

という何もしない教の数ある神秘の1つに

守られていたりするのだ。

 

 

 

 

(あ~、本当に、こーゆー大変な状況の時こそ、

なんだか肌身に実感するなぁ)

 

 

 

 

あえて「小さいまま」を維持する

それが1つの生存戦略だったりする

それは何もしない教の神秘の1つ。

 

 

 

(まあ、ぶっちゃけ、

僕の場合は、自分は実はまだまだ成長途中なだけです。

それにこれ1つだけに依存している訳じゃないし、

裏を返せば、もっと自立できるくらいにしていかなければ

いけないのだけれどもね・・・・もっとがんばりますです。)

 

 

 

 

何もしない教の神秘のまま成長すること

 

 

そんで、話を戻すけれども、

僕はこの「何もしない教」がとてもとても

大好きで、自分にとってはめちゃくちゃ魅力的なの

 

 

 

 

この何もしない教は、

不安や混乱や恐怖のときこそ、

すっごいパワーを発揮するの!

 

 

 

 

上がり調子のトレンドのとき、

イケイケな時代のとき、

波のってる状態のとき、

バスに乗ったとき、

 

 

 

そーゆーときの成長は、

それはそれですごいものがあるけれども、

そーゆーものほど

 

 

 

アテにしないの

 

 

 

 

だってねそれはね、

自分の真の力じゃなくて、

外側の力を借りたものだから。

 

 

 

 

 

だからこそ、

地味で目立たなくて、

大したことないと思われがちな、

「何もしない教の神秘」の方が、

本当は、真に大切なことだとなんとなく感じてしまうんだ

 

 

 

 

おにぎし君

 

 

 

自分の畑(好きなこと)を

小さい規模でもいいから、

毎日楽しく耕し続けたい

 

 

 

 

だがしかし、人間とは愚かなもので、

ふと気が緩むと、

魔が差してしまうと、

隣のデカい畑を見てしまうんだ。

 

 

 

隣のデカい畑を見て、

ねたみ、嫉妬し、うらやむ。

 

 

 

 

他人との比較という病気にかかってしまう

 

 

 

 

すると、やがて、僕らは無理やり、

筋肉増強剤を自分自身に打って、

終わりのない競争、戦争モードへ突入してしまう。

 

 

 

もちろん、本人は、誰かと競争してるとか、

誰かを陥れているなんて意識はないかもしれないけれど、

この状態で生きるとき、心は満たされない。

不安と焦りで支配され、常に動いていないと気がすまない。

 

 

 

 

 

そんなことして成長するほど、

今のような不安や恐怖や波乱の時代がやってきたとき、

今まで築き上げてきたものが、

ポッキリと折れてしまう

 

 

 

 

そんな弱さを内包しているんだ。

だって気づき上げてきたもののベースが

他人との比較によって生まれた幻想なのだから。

 

 

 

 

幻想はふわふわしている。

それは弱い。もろい。

ベース(土台)に置いちゃダメなんだ。

 

 

 

 

幻想はワクワクして楽しいものがいい。

そして、それはふわふわしている。

その上に、儚くて弱きものなのだから、

下(土台・現実)じゃなくて上(形而上・理想郷)の世界へ

置いたほうが良いのだ。

 

 

 

 

話を戻すけれども、

小さくコツコツ耕してきたものは、

小さいけど、本当のところは、

実のところは、

 

 

 

 

強い。

 

 

 

 

 

バズらないかもしれないし、

多くの人から興味を持たれないかもしれないし、

日陰に隠されて、目立たないかもしれない

ゆっくりしすぎていて、変化すらしていないように

見えるかもしれない。

 

 

 

 

だけど、

裏でコツコツやり続けることこそ、

盤石て強い。安定していて、揺るがない。

 

 

 

 

小さいものを大切に

弱きものは強い

 

 

 

 

 

それから、何もしない教の神秘はね、

他にもあるよ

 

 

 

 

 

最近、僕は思った。

 

 

 

みんなの引きこもりライフを応援すべく、

なんか新しい作品とか作りまくって、

オンラインでシェアしよう的なことを。

 

 

 

 

そんで、ワタシ思ったよ。

 

 

 

 

ワタシ的には、

マクドナルドのハンバーガーより、

お寺の精進料理な存在になりたい。

 

 

 

 

ワタシ的には、

高級フレンチ料理より、

海外旅行から帰ってきた日本人の心の奥深くまで

突き刺さるような「お茶漬けやろう」になりたい。

 

 

 

 

ワタシ的には、

病みつきになるほど刺激があって中毒性のある中本の激辛ラーメンになるより、

じわじわ~っと心にしみて温かみのある「お母さんのお味噌汁やろう」になりたい。

 

 

 

 

 

何かを提供するとき、

ビジネス的に考えると、

大勢の人が好きそうなものに合わせて、

それを提供すればいいのだけれど、

 

 

 

ビジネスじゃなくて、純粋に「好きなこと」を表現しようとしたとき、

それはあまりに心が苦しくなるし、

それを我慢してやり続けると

継続できずに途中で辞めることになるから、

 

 

 

 

だからこそ「自分の好き」

が中心で、それを基準(自分軸)に

何かを提供したいと思った

(100%ピュアは理想郷だからありえないけれども、

少なからずとも、自分の好きを壊さずに、他人軸と自分軸のバランスをうまくとるのだ)

 

 

 

 

 

だからこそ、ワタシ的には

なんとなーく、影の存在になってしまう、

何もしない教的要素は強め。

 

 

 

 

ま、それはそれでいいのだ。

 

 

 

 

別に「世界全員に貢献したい」

は無理だもんね。

キョーミないもんね。

 

 

 

 

それより「自分の好き」を

表現して、どこかの誰かが

「ああ、いいね!ありがとう!」

って言ってくれる方(気づいたら勝手に貢献してた的な方)が、

ワタシ的に嬉しい楽しい長続き健康幸せありがとう。

 

 

 

 

 

そーなるとやっぱ、

「何もしない教」寄りの考え方になっちゃうね。

 

 

 

 

自分が我慢して、世界全体になろうとするよりも、

自分自身の心が喜びはしゃぎ、その良い状態の影響が

誰かに伝わり、その周りだけでも「ハッピー空間」

が作れれば、ワタシ的にそれでいいと思う。

 

 

 

まずはそこからが大切と思ふ。

マザーテレサがもし生きてたら、きっと、

ワタシに同意してくれて、

いーこいーこしてくれると思う。

 

 

 

 

*もし仮に、その後、拡大したとしても、

それは運によるもの(アテにしないの)

それは、泡みたいにいつか消えるのだから、

それを土台(ベース)には置かない。

それは上に置いたほうがいい。

ただラッキーだっただけ。

 

 

 

 

それよりも、土台に置くなら、

やっぱり自分の畑(好きなこと)を

耕して、確実に収穫が取れるもの

そっちを大切にしたい。

 

 

 

 

それがたとえ、小さい規模の世界だとして、

小さいなりにめちゃくちゃ高性能だったり、

小さいなりにめちゃくちゃ良いモノだったり、

小さいなりにめちゃくちゃ人の心を刺すものだったり、

小さいなりにめちゃくちゃ盤石だったり、安定だったり、

 

 

 

 

そっちの方が大切に感じる。個人的には。

 

 

 

 

だからこそね、改めて、最近ほんとに思う。

不安と恐怖と波乱の状況の時こそ、

この何もしない教の教えの神秘は

身を染みて感じるのです。

 

 

 

 

*時代や大きな影響に合わせて成長拡大を求めるのか

*小さくても絶対に死なない最強状態を作るのか

 

 

 

波が上下にグラグラ揺れまくる

ボラティリティの高い生き方より、

 

 

 

地味で日陰の存在だけど、

絶対に折れることが無くて、

盤石・堅牢・安定して少しずつ、

気づいたらかなり成長してる生き方

 

 

 

 

そっちの方が、個人的には魅力的に感じる

 

 

 

 

どっちが正しいとか、

間違いではない。

どっちもアリなの。

 

 

 

 

でもね、こんな時代だからこそ、

こんな時期だからこそ、

改めて、何もしない教の神秘に

思いやられる。ステキ。

 

 

 

 

そんじゃ