日本人で良かった点をめちゃくちゃ見つけていくスレ

 

 

最近、日本人で生まれて本当に良かったなって、

つくづく思う。

こういう大波乱で困難な時期こそ、とても身に染みる。

 

 

 

 

 

僕はものすごい海外に詳しいってわけじゃないけれども、

少なくとも実際にアメリカに住んでいたこともあるし、

そんなにたくさんの国を行った訳じゃないけれども、

インドとか中国とか台湾とかニュージーランドとかオージーとか、、、

(その他いろいろ)

 

 

 

いろいろな国を滞在して、

その上で日本を見たときに、

 

 

 

「ああ!やっぱり、日本って素晴らしいな!」

 

 

 

ってめっちゃ思うのです。

 

 

 

 

 

もちろん、あくまで、

個人的な意見です。

個人的視点です。

(いろいろな人のいろいろな意見も尊重です)

 

 

 

 

歴史の面白い真実

 

 

 

もしね、ある国の「すばらしさレベル」

を測るツールが存在するとしたら、

それはきっと「民の声」になる。

 

 

 

 

その国のすばらしさレベルが

トップクラス(★★★★★)になると、

民はトップの存在を忘れる。

民は自分たちの日常生活の中で、

トップのことなど語らない。

 

 

そんなことに思いを寄せるより、

日常の自分たちの生活のことや楽しいこと、

仕事、遊び、恋愛、研究、キャリアなどなど

「レベルの高い自己実現の欲求を満たすこと」

に頭がいっぱいなのだ

 

 

 

その国のすばらしさレベルが

良いクラス(★★★★)ならば、

民はトップの愚痴を言い始める。

 

 

 

トップのやることに

アレコレ文句を言ったり、意見したり口出しし始める。

自分たちの自己実現を阻害するあらゆる行為に、不満が募りだす。

 

 

 

 

その国のすばらしさレベルが、

まあまあクラス(★★★)ならば、

民はデモとか、反乱とか、

不満を実際の行動にしちゃう。

 

 

 

 

自分たちの自己実現よりも、

「基本的な最低限の生活の基盤」をなんとかしなきゃ、

恐怖にかられ、より本能的になっていく。

 

 

 

 

その国のすばらしさレベルが

低いレベル(★★)の場合は、

民はトップをほめたたえる。

 

 

 

 

褒めたたえて賞賛して、

祭り揚げる。

たぶん、トップの銅像とか作っちゃう。

トップをけなすことは許されないし、そんな行為は監視される。

 

 

 

 

そんで、その国のすばらしさレベルが

最低レベル(★)なら、

民は恐怖によって口を閉ざし、

自分たちに自由意志はないことを諦めの境地のように

理不尽な圧制を、ただ運命的に受け入れざるを得ない。

 

 

 

これは時代が変われど、変わらないことなんだと。

 

 

 

 

日本はすばらしさレベル割と高めじゃね?

 

 

 

ついこの前まで、

政治に興味ない人がたくさんいて、

そんなことより自分たちのやりたいこと(仕事)に夢中の人々が多かった。

そしてそんな日本のすばらしさレベルは、世界的に見ても、かなり上だったのだねぇ。

 

 

 

そんで、コロナとか、経済とか

社会の状況が悪くなりつつある中で、

いろいろと愚痴や文句を言いたくなる気分もわかるけれども、

 

 

 

それでも、日本のすばらしさレベルの高さが

世界に比べてまだまだ上なのだなぁ、

って思うのですよ。

 

 

 

 

お金をばらまかなくても、

生きていける余裕のある状況が

海外に比べて、日本はまだある

という状況において、

経済を悪くさせないよう、

必死にかじ取りをしている人たちの心境も、

わからなくもない。

 

 

 

というか、みんながんばってると思う。

 

 

 

世界が混乱になる中でも、

社会が動揺する中でも、

悲惨な状況の国々がいる中でも、

それでもそんな状況でも、

 

 

 

 

海外のたくさんの国々と比べて、

日本って鬼レベル高くね?

って思うんです。

 

 

 

世界70億の人々の中では、

相対的に見ても、

かなりかなり、かな~り少数の

トップの方で、アレコレ恵まれてね?

って思うんです。

 

 

 

 

やってる行為ではなく、本質に気づく

 

 

となりの家が海外旅行へ行ったから、

うちも行きたい!

 

 

「行為」だけを見ている。

 

 

 

 

 

がしかし、それは「幻想」である確率も高い。

 

 

 

実際のところはどうなのだろう?

 

 

 

もしかしたら、

となりの家は家のローン30年だし、

車のローン10年だし、

貯金もほぼゼロだし、

でも散財大好き一家だから、かまわず、

海外旅行へいっちゃう。

 

 

 

 

のかもしれない・・・

 

 

 

 

物事を深くまで見つめていくと、

やがてそこには「本質」っぽい何か

顔を出してくる。

 

 

 

 

 

 

ファクト(真実)を見つけるほど、

ものごとの本質がより見えてくる。

(もしかしたら、極論的には、100%ピュア(理想郷)な意味での、

本質は存在しないかもしれないけれども、

こういう考え方は、より本質に近づくのだ)

*ファクトフルネス(本)おもろいよ↓

 

 

 

 

そしてそれとは逆に、

行為(上辺の幻想)に自動反応をしてしまうことは、

「心のとらわれ」という現象ともいえる。

これは言い換えれば、自由意志を失うオートマトン(自動機械)のような存在なのだ。

 

 

 

 

海外や外国の政策と比べて不平不満を言うことも出来るし、

隣の会社が生き延びていて、自分が苦しいことに悲観もできるけども、

 

 

 

大胆な政策をしなきゃいけないくらい悲惨なファクト

が隠されているかもしれないし、

あるいは、精神が強いから、人前では余裕ぶっこいていそうで、

実は、裏で大変な状況があるにもかかわらず、人前では見せないのかもしれない

 

 

 

 

そして、僕らは、選ぶしかない。

選べる。

選べるのだ。

(最後まで残されている人間性)

 

 

 

 

自動反応をする機械(オートマトン)になり、

世の中の現象に悲観し、無力になり、従うだけなのか。

 

 

 

それとも、自由意志を取り戻して、

「自分にできることは?」という問いからスタートして、

現状を良い方向に導く生き方を模索するのか。

 

 

 

 

 

 

悪い面の裏側に、常に良い面はあるので、それを数えたい

 

 

 

 

そんでね!

 

 

 

どうせ生きるなら、ワタシ、

「良い面」だけ数えて生きたいっす

 

 

 

 

あーだこーだ言われておりますが、

そんな素晴らしいレベルの日本

という国を、日本に住む日本人の人々が、

偉そうにするどころか、謙遜までして、

「日本はダメだなぁ」「海外を参考にすべき!」とか

常に低姿勢で成長意欲がある、

そんな「おごり高ぶらない姿勢」も本当にすばらしいなぁ!

って思うゾ。逆にw

 

 

 

 

それから、、、

アレコレいろいろな国に行ってわかったけど、

日本の清潔レヴェル、奇麗好きレベル、

まじパネェ!

(海外行くとさ、マジできったねぇ場所とか、

きったねぇ人とか、そーゆーの遥かに日本以上に平気であるしw)

 

 

 

それからねぇ、、、

手洗い、うがい、アルコール除菌、マスク。

アレコレ、細かい点に良く気づくし、

手入れするし。

 

 

 

あとはね、、、、

「みんなで空気読む感」もスゴイ!

(和の精神!)

 

 

 

 

空気読むのって、同調圧力に負けてしまい、

確かに悪い面もあるかもだけども、

逆にさ、緊急時のときとかは、真逆に効果を発揮することもある。

 

 

 

これは言い換えれば、

「みんな一致団結」

という生存戦略。

 

 

 

 

地震の時とかもそうだったし、

ちゃんと並ぶし、

周りを気にするし

(「自分以外の周りの人に対する気遣いの度合い」では、

アジア人が好成績を出すことは、心理テストでもデータが取られている)

 

 

 

 

そんで、裏を返せば、、、、

 

 

 

 

お金を!即座に!無条件で!

全員にばら撒かないと

 

 

 

 

 

「来月、飛ぶ。」

 

 

 

 

 

くらいの余裕のない生活水準(物価とか高いし)

の先進国とか海外の都市とかがいる中で、

貯金多めの持久戦が得意な日本って、

別の見方をすれば、それはそれでめっちゃ素晴らしいことなんだ。

 

 

 

「貯金ばかりしてちゃダメ」とかいう意見もわかるけれども、

それは拡大・成長のアゲ↑トレンドの時のみ有効だし、、、

 

 

 

逆に、サゲ⤵トレンドのときほど、

下落相場が長いときほど、

持久戦の生存戦略が効力を発揮するし。

 

(そんでもって、もちろん、実際に、大変な状況の人もいると思います)

 

 

 

 

 

 

苦しい分と同じ分量の楽しいが後ろに引っ付いている

(時間差を認識するのだ。止まない雨はない。)

 

悪い面の反対は良い面なのだ

(視点を上から見るのだ。2つでセットなのだ。)

 

最悪の裏に最善が隠れている

(人間の主観による「ただの意味付け」に気づくのだ。本来すべては「ありのまま」)

 

 

 

 

 

 

その上で、良い面だけを探していきたい。

 

 

 

 

感動ポイントを探す。

笑いの沸点を下げる。

ありがたみ要素を見つける。

うれしみの種を味わう。

幸運レベルに気づいていく。

 

 

 

 

ワタシ思う。

 

 

 

 

なんでもない平和な日常の時に

感謝しまくるのなんてカンタンさ。

良い面を見つけるのもカンタンさ。

 

 

 

 

逆に、こういう最悪な状況のときにこそ、

感謝しまくったり、

良い面を見つけていったり、

普段気づけないありがたみに気づけたり、

素晴らしいポイントを探していく、

 

 

ということ。

そういう風に思えることが難しいんだ。

 

 

 

 

「不平不満愚痴文句」を言いたくなる状況な時ほど、

逆に今「感謝感激嬉しみの舞」じゃね?

 

 

 

 

難しいからこそ、逆に今なんだ。

難しい状況の時こそ、難しいことできるかどうか、

じゃね?

 

 

 

 

今じゃね?

 

 

 

 

だから、今は、

めっちゃ大切な時間(時期)だと思った。

 

 

 

 

 

そんで、こーゆーツマラナイことこそが、

幸せへの道

なのだから。

 

 

 

 

みんなが幸せの道へ

 

 

そんで、ワタシ思う。

 

 

社会に愚痴とか不平とか不満が

増えるのもわかるし、

増えてもいいと思うけれども、

(そして、ワタシも辛くなれば、不平とか言いたくなっちゃうかもしれんし)

 

 

 

そんでもね、ワタシ思う。

 

 

 

 

良き情報だって

同じ分だけ増やしたい!

 

 

嬉しいニュースだって

同じ分だけ垂れ流したい!

 

 

希望の言葉だって、

同じ分だけ、言い続けたい!

 

 

 

そんでもって、

みんなの集合意識が、

「応援」とか「励まし」とか

「希望」とか「前向き」とか、

 

 

 

そっちへ膨らんでいったら、

本当に素敵だなぁって思う。

 

 

 

だってそれがやがて、

社会(全体)の変えられない大きな波(ムード)

となって、

 

 

 

 

「預言」は「予定」になるのだから。

「期待」は「事実」へ変化するのだから。

「理想」は「現実」へ生まれ変わるのだから。

 

 

 

 

 

そんじゃ