間の美学

 

 

光のすき間に影ができ

forrest

 

 

 

 

 

 

密と密の間に「すき間」ができ

 

 

 

 

 

 

入れ物という枠の間に「空間」ができる

 

*有料化したひよこの袋「1枚3円でしゅ」

 

 

 

 

 

 

 

間には間の良さがある

間には間の役割がある

 

 

 

 

 

寝る

休む

何もしない

空間

休符

無駄な余白

VOID

 

 

 

 

僕らは見えに見える物質にばかり、

意識がとらわれがちだけども、実は、

この何もないように見える、

物理空間にはたくさんのエネルギーが存在する。

 

 

ビルとビルが立ち並ぶのも、

人と人が経っていられるのも、

それらに「すき間」を作ってくれる空間があるおかげ。

それが無くなったら、僕らはこの宇宙から存在できなくなる。

 

 

 

 

 

僕らは一生懸命、頭を働かせて、

考えたり勉強したり仕事したりする。

そして「活動しているとき」は立派に見えて、

「何もしていない・活動してないとき」はダメなモノのように思えてしまう。

 

 

 

でも実は、僕らは、この

「活動」と「活動」の間に起こる「すき間」のとき、

僕らの脳みそは、

思考してるときのN万倍以上の情報処理が行われてる

 

 

 

 

 

難しい超絶技巧のテクニックで弾いたり、

ノリノリのグルーヴを感じを響かせたり、

心に刺さる歌詞を聞いているとき、

僕らは音楽に酔いしれてしまう。

 

 

 

もちろんそーゆーのも大切かもしれないけれど、

でも実は音と音の「すき間」すなわち、

音が鳴らない「休符」の部分に神秘が隠されていたりする。

休符をうまく扱えるとそこに神が宿る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識高い、がんばる教の人が

「睡眠は6時間くらいでええんじゃい!」

とか言って頑張ってるけども、

起きてるときと、起きてるときの「すき間」

すなわち「寝ているとき」を増やせば増やすほど、

逆に脳みそは生産性を上げていく。

(もちろん寝すぎも注意だけど)

 

 

 

 

*話変わるけど、そもそも睡眠を削らないと生産性が上がらない産業・仕事って何だろね?

(その時点ですでに参入も成長も見込めない)

ろくに寝ることすらできない社会って狂気じゃん?

本末転倒じゃん?

 

 

 

 

封筒の便せんは、

必要な部分の紙(表面)と

必要な部分の紙(裏面)の間の

無駄な部分の紙「余白」があるから、

のりがつけられて、1つの入れ物として機能する。

 

 

 

 

 

コンピュータは処理と処理の間に

「バッファ」があるからこそ、

テンパらずにことを1つ1つ処理していける。

 

 

 

会話には適度な「間」があるからこそ、

そこに魅力が宿る。

生が宿る。

らしさが宿る。

笑いが宿る。

 

 

 

 

間の神秘

 

 

 

間は自然

間はアナログ

間は神秘

間は無限

間は奥行きの世界

間は安心

間は余裕

間は冗長

間は無駄

間は何もない

間は神の世界への入り口

 

 

 

 

僕ら人類が、人工的なもの

(予定・計画・必然・プログラム・枠・概念・物質など)を

日々、せっせと作り上げていく、

その間には常に「自然」の領域が存在する。

 

 

 

その中に、神がいる。

そこに奥行きが眠る。

そこにアナログ空間が無限に続く。

 

 

 

 

間の中に、

エネルギーが満ちている。

全ての可能性が存在する。

 

そこには人類が意味付けした予定調和はなく、

そこには人工的に作り上げた必然の枠の世界はなく、

偶然性と複雑系による無限の可能性の海が満ち満ちている。

 

 

 

 

そしてまた、間は、安心と余裕の余地を与えてくれる。

無駄は安心である。

無駄は余裕である。

 

 

 

 

何もないに全てが詰め込まれている

 

 

 

 

 

もはや二人の間には言葉は要らなかった。

ただ一緒にいるだけで、その場の空気感の心地よさを

お互いに分かり合っているかのように、

そこには何かしらの目に見えない「繋がり」を感じたのだった。

 

 

もっともっと

間を感じていこ。

 

 

 

 

 

そんじゃ