どっかの偉いネコ先生
「あなたHSPです!
ハイ・センシティブ・パーソンです。」
ヒヨコ「そ、そんなぁ。」
「ボクちんは、そうだったんだ・・・」
どっかの偉いネコ先生
「あ、あと、あなたね、ADHDです。」
「注意欠陥症候がありますね」
ヒヨコ「そ、そんなぁ。」
「ボクちんは、ADHDも患っていたんだ・・・なんて不幸な」
どっかの偉いネコ先生
「お、まてよぉ。。。。」
「ええと、診断するに、あなたは、
サイコパス属性も持ってますね」
ヒヨコ「う、うぁあああん。」
「サイコパス属性も持ち合わせているなんて、、、」
「もう、ボクちんは自分が嫌になりそう・・・」
どっかの偉いネコ先生
「あ!この診断結果からすると・・・」
「あなたはシリアルキラーの性質も、十分に持ち合わせていますね」
ヒヨコ「ひぇええええ!!」
「もう、ボクちんは、社会で生きていけない・・・」
「こんな自分が大嫌いだぁああああああ!!!」
ズバリ今回のブログ記事は、
HSPとか、ADHDとか、
なんちゃら症候群とか、
なんとか欠陥とか、
精神病とか、
心理学上の定義とか、
そういうことについて
説明する内容では
一切ございません。
いつも通りこのブログらしく、
一般的な見識とは違う形で、
いろいろ書いていこうかなと思います。
あなたは他人の言葉によって縛られている。
あなたの脳は他人がプログラミングしている。
あなたの心は人質だ。
あなたのマインドは深刻な洗脳を受けている。
あなたが普段、耳にする言葉ってさ、
何気なく聞いて、
何気なく受け止めているけれど、
時に深刻なくらい、
あなたを洗脳し、支配し、
あなたそのものを掌握してしまう。
それくらい、言葉って強いんだ。
言葉ってめっちゃ強力な力を秘めている。
言葉は、魔力のような力を発動する。
ある意味、ときに現代社会で実際にその魔力的な力が働くのだ。
そう、人々の心に。
言葉は牢屋
言葉ってさ、牢屋みたいなものなんだよ。
知ってた?
言葉ってさ、
鳥かごみたいなものなの。
「言葉」という枠がないと、
あなたも私も、
何かを認識することができないの。
例えば、
赤くて丸くておいしい果物があったとする。
それにはまだ、名前が付いていない。
それだと困るから、
僕らは「リンゴ」と名付ける。
そうやって、
「赤くて丸くて甘くて硬くて、ほんのり香りのする物体」
を
「リンゴ」
という名前にとどめておく。
そう、「言葉」を使うと、
なんとなく認識していたものを、
はっきりと、例えば「リンゴ」というように、
その得体の知れない物体を、
言葉の檻(おり)に入れて、
鳥かごに入れて、
枠に入れて、
とどめて置ける。
それが「言葉」の役割。
言葉は牢獄。
僕らの「ふわふわとした認識」を
言葉という名前の「檻(おり)」に
捕まえておくことで、
僕らはそれを「名前の付いた何か」
「意味(定義)のある何か」
と認識することができる。
でもでも、それって
西洋の人たちの考え方だったりする。
何でも枠をつけて、
ラインを引いて、
線引きをして、
白黒はっきりさせて、
善悪をつけて、
良し悪しを決めて、
そうやって、
物事を分断していく。
私は正常。
あなたはHSP。
私は一般人。
あなたはサイコパス。
私は優秀。
あなたはポンコツ。
私は親。
あなたは子ども。
私は仕事人。
あなたはニート。
あなたはエロい。
あなたはすこぶるエロい。
もうどうしようもないくらいエロい。
たしか荘子だったかな?
ええと、荘子とかいう、
昔の中国の偉い人は言いました。
「言葉を使っちゃうとさ、
1つだったものが分断されちゃうでしょ?」
「そしたらさ、物事の本質(1つだったもの)
が見えなくなっちゃうよね?」
ま、ざっくり言うと、
そんな感じのことを言ってた気がする。
私は正常で
あなたは精神異常。
私は健常者で、
あなたは障害者。
そうやって
言葉を使って、
枠(定義)をつけて、
分断していく。
するとね、
1つだった本質が
分断されちゃう。
ヒヨコ
「ボクちんは、HSPだし、
ADHDだし、サイコパスだし、
シリアルキラーなんでしゅ!」
ヒヨコ
「だから、この社会では
どうせ何をやってもダメなんでしゅ!」
「ボクちんみたいなのは価値がない人間なんでしゅ!」
そうやって、
本質を見失ってしまう。
ヒヨコ
「本質とはなんでしゅか?」
ヒヨコちゃん
「それはね、あなた自身が
あなたのことをどう思っているか、ということなの」
あなたは他人が勝手に定義した枠の中に、
あなた自身を当てはめて、「それが自分だ」と
定義している。
それって本質じゃない。
もう一回言うよ?
「他人じゃなくて、あなたが自分のことをどう定義しているか」
ってこと。
この世でたった1つのあなたが、
自然界にありのままに存在するあなたと、
他人によって観察され定義されたもう1つの存在のあなた、
というように2つに分断されちゃうんだな。
ヒヨコ
「だって偉い先生がそう言っているでしゅ。」
「学者がそう定義しているでしゅ。」
「医者がそう決めているでしゅ。」
それはつまり
分断した世界から見ているから
そう見えている。
分断された世界では、1つだったものが、
分断した2つになり、
その間に差異(違い)が生まれる。
そして、人は、その差異に注目してしまう。
すると、
そこに感情の差異が生まれる。
喜怒哀楽が生まれる。
あなたは、分断された片方だけに属していると思い込み、
その片方が、
優れていると知れば、喜び、
劣っていると知れば、嘆くのだ。
でもでも、もともとあった1つの世界、
という視点でみたとき、
そこには初めから違いは存在しない。
注目する対象が存在しないため、誰も何も認識しない。
ヒヨコ
「じゃ、どうすればいいでしゅか?」
チョロ沢チョロ美
「私は嘆くより、笑うことの時間をできる限り多くしたいな。」
「それにはさ、常に、楽しいことしてりゃいいじゃん?」
チョロ美
「うち、注意欠陥症候群って言われたけど、
そんなもんは普段は、無視している。」
「そんなことより、楽しいことばかり考えてるよ!」
チョロ美
「あ、でもね、利用する時もあるよ!」
「うち、注意欠陥なので、仕事できないんすよーっつとけばさ、
無茶ぶりな仕事がうちには回ってこないからさ、
仕事がヌルヌル。イージーっすわ。」
枠(言葉による支配)から出られないときは、
枠によって分断された世界の結果を、
利点に変えて利用するのだ。
枠から出られているとき、
それはあなた自身が、枠にとらわれていないときで、
あなたがフロー状態で何かに打ち込んで充実しているときなのだ。
ま、どっちでもいいけどさ、チョロくイージーな人は、
欲張りだからどっちの状態にもOKだしてるよね!
枠から出られないときは、枠を自分のために利用しよう。
枠から出たいと思ったら、今この瞬間に集中しよう(熱中没頭)。
嘆くよりさ、どん欲に生きようぜ!