(たたる)
ソースはタルタル
「右上のやつ・・・?」
「YES!!」
(たたる)
疲れてるのに仕事するの辞めよう。
頭がぼーっとしてきたら、もうそれ辞めよう。
集中力途切れたら、イサギヨク、辞めよう。
目先の利益を追って、「もう少し、もう少し」と言って、
休まずそれをやり続けるのを辞めよう。
睡眠を削ってまで、それをするのを辞めよう。
大切な人との時間を削ってまで、それをするのを辞めよう。
楽しみを削ってまで、それをするのを辞めよう。
リラックスを与えないで、それをやり続けるのを辞めよう。
自分の大切な体なのに安いものばかりで済ませることを続けるのを辞めよう。
本当は、本音は、嫌なことなはずなのに「いや、これはこれで、割と好きなんだよね」とか言って、自分に嘘をつき続けて、それをし続けるのを辞めよう。
なぜなら、
ソースはタルタル
オレンジのヤツは、マジで使い道がわからん。
無理の方程式
人生にも方程式がある。
数学みたいに、証明できるような類ではない。
なぜなら、この「地球」という名前の
ビーカーの中で起こる、
あらゆる化学反応を、
1つも漏らさず、記述して、
それを数式にしていくことは、事実上、
不可能であるからだ。
だがしかし!
おおよその方程式のような
ある種の力学が存在する、
ように見える。
それは心理学的な統計学かもしれない。
それは人生の体験談かもしれない。
それは割と多くのみんながうなずける、共通認識と呼ばれているものかもしれない。
それは歴史上繰り返されてきた教訓なのかもしれない。
それは古きより代々伝えられてきた偉人の言葉なのかもしれない。
無理とは「がんばった分」
頑張った代償。
頑張った分の対価。
頑張った分の価値。
だがしかし、
それは「無」から生み出された「価値ではない。
*無から生み出せる価値は、頑張りではなく、発見やクリエイションによるものだ。
「無理」から生み出された価値は、
「本来あるべきところの価値」を使って、
それを別のモノに変換させただけのものにすぎない。
「質量保存の法則」的なヤツに似ている。
有限の世界。
こっちにあったモノを、
あっちに持って行った。
そんだけの話。
これの価値を
あれの価値に変換した。
そんだけの話。
この物体を溶かして、
あの物体に変えた。
そんだけの話。
エネルギーが
A地点からB地点へ移動した。
そんだけの話。
だから、無理は、
「本来あるもの」から
奪った分のエネルギー(価値)
でしかない。
無から有を産み出せるのは、
ワクワクと好奇心によって得た未知の発見(研究)と、
また直観を得たクリエイション(創造の行為)なのだ。
無理という名前の「労働」(頑張り)ではない。
無理の代償
「無理の方程式」
のようなものが存在していて、
もちろん、数学みたいに
証明はできないけれども、
この世界でそれの作用を確認することができる。
無理は何かを産み出したように見えるが、
「本来あるべきところ」の分のエネルギー、
あるいは価値を奪ったわけだから、
その「失われた分」の代償が必ず発生する。
それは、家族関係に現れてくる。
それは、人間関係に現れてくる。
それは、あなたの健康問題として現れてくる。
それは、家族の誰かの病気として出てくることもある。
それは、周りの人間があなたに対して厳しくしてくる、という現象で現れることもある。
それは、あなたの経済問題として現れることもある。
それは、あなたが無意識にお財布を開いて散財してしまう原因でもある。
それは、あなたが発するネガティブな言葉として現れてくることもある。
それは、つい同じことを繰り返してしまう悪習慣として現れることもある。
それは、辞めたいけれど辞められないというアディクトな状態として現れることもある。
それは、「なんにでもタルタルソースをかけないと気が済まない!」というような、ある種の中毒として現れてくることもある。
(タルタルソースはただの例え)
(タルタルソースは悪くない)
(タルタルソースはたまに食べるとおいしいね)
あなたの無理は、
やがてもれなく
あなたに問題を与える。
無理とはそんな存在。
だからのだ。
無理はせず、タルタルしていこ!
疲れたら、タルタルしよ!
タルタル!
おいしいよ!
飯テロ画像~!