ウェ~イ!
11月あたりに、
ワイの夢のお方との初のライブを
することになりそうじゃー!
こんちくわ!
ワイの夢がどんどん
現実の世界でカタチになっていくの☆彡
それはステキなパラダイス♬
もしかしたら、
ワイのもう一人の仲間も含められたら、
複数で演奏をするかもしれん。まだわからんけど。
いづれにせよ、
スゴイ楽しみ☆彡
顔がにやけてしまうやないかーいwww
自分一人のときの意識と自分以外の意識
去年から今年の春ごろまで、
だいたい1年半くらい前まで、
ワイはたった一人で、
ソロ演奏ばかりをしていた
そんでもって、
ワイはローマの彫刻職人のように、
ヴェネチアの街並みのように、
とっても凝り性になってしまう傾向があるので、
「響きの美しさがなによりも最優先じゃ!」
と思ってたから、
どんなに演奏が難しくても、
めんどくさそうな指使いの楽譜でも、
美しさのためなら、
練習してやるわい!と思って、
美しいけど(演奏するのが)難しい曲ばかりになってしまってた。
で、作る時は楽しくて仕方が無いのだけれども、
一人でそれを演奏するときになるともう・・・
緊張しかないwwww
毎回、コンサートとかで
弾き終わった後は、
「うぁ~解放されたぁ~」
って感じだったw
作ってるときが一番楽しい◎
人前で演奏するは楽しいけど、緊張もする〇
そんな感じ。
でも自分よがりの
超自己満のワイの作品を、
「他者と共有する」
(しかも、なんと某有名な音楽家の方と!)
という生まれて初めての試みを
することになって、
実際にその作業をしていくうちに、
ワイの意識が一気に変わった
今までは「自分一人の意識」
だけだったけども、
始めて「他人の意識」のことまで
視野が広がった瞬間だった。
いままで、そんなこと
考えたことも無かったから、
すごい新鮮だし、驚きだった!
「他人とワイの作品を共有する」
となると、誰が見ても、
すぐに演奏できるように、
楽譜を変更しないといけない。
そんな作業は今までやったことが
無かったので、
本当に苦労したですw
ワイは「美しさのため」ならば、
あえて「コード」を使わなかった
(「コード」というのは複数の音の塊で、
1つ1つに名前が付いたもの)
でも、みんなが
ぱっと見て、一瞬で
共有できるようにするには、
コードで楽譜を書かないといけない。
で、もちろん、
コードを付けないで、
書いた通りの音を
そのまま正確に演奏してもらう、
という形式でもいいのだけれども、
(たとえばクラシック音楽みたいにね)
でも、それだと、
「つまらない」
ものになってしまう
ワイ一人で弾く分には、
それで十分に楽しいのだけれども、
みんなにとっては、
100%決められたルールに従って
決まった通り演奏するよりも、
ある程度、自由に好きなように弾けた方が、
みんなにとってやはり楽しいのだ。
やっぱりある程度の
「楽しさ」を
入れたほうなおがいい。
すなわち、
自分一人のときの意識は
「美しさ重視」
だったのだけれども、
自分以外の他人の意識が
入ってきた途端に、
「楽しさの共有」
という、今まで考える必要のなかった、
新しい概念がワイの意識の中に入ってきた!
美しいから楽しいへ
これは自分にとって
なんとも新しい発見じゃった!
(なにこの新食感、的なヤツ?)
ワイがコードを使わないようにしてた理由は2つあって、
1つは「自然な流れ」(旋律)を大切にしたかったから。
もう1つは、コードを使うと、
誰が作ってもある程度「なんか同じ」感
が出ちゃう部分がある。(すべてではないけども)
そーゆーの、自分は
途端につまらなく感じちゃう。
ゴールがちょっとでも見えちゃう世界、
攻略法が見えちゃうゲーム、
結末がわかっちゃうシナリオ。
先の答えが理解できてしまうような問題。
みんなと同じことする生き方。
そーゆーの自分は、途端に興味がなくなっちゃうの。
(ツマンネ、働きたくネ。誰がやってもいいじゃん?)
「ある程度同じ感」というツマラナイものを作るのであれば、
それはもはや、ワイじゃなくていいじゃん。
だったらAIが作ればいいじゃん、、、って。
コンピュータのプログラムで作ればいいじゃん・・・って。
だから、ワイはできる限り、
縦割りにデジタルに、1つ1つを分断して、
ぶつ切りに扱ってしまう、
「コード」という概念に縛られないよう、
より自然な旋律(流れ)から生まれる
響きの美しさ(和声)を重視したかった。
でも自分以外の他人、
みんなの意識、
そーゆー世界に触れた途端に、
今までの枠が取れて、
思いつかなかったような、
新しい世界が自分の目の前に
「ぶわぁ~」って広がってきた。
これはね、
ワイは経験したことないけれど、
一人身から家族へ変わる瞬間ぐらいの
意識の変化なのかもしれない。
あるいは、子どもが生まれ、
いままで一人の女性という意識だったものから、
お母さんという意識へ変わるくらいの
変化なのかもしれない。
いづれにせよ、
ワイにとってそれは、
新鮮な意識の変化じゃった
そんでもって、
ワイは、どちらかというと、
作曲家ドビッシ―のように破天荒に
斬新に自由にはちゃめちゃに振る舞う、
という「芸術は爆発だー!」タイプよりも、
作曲家ラヴェルのように、
破天荒さや斬新さと古き良き伝統を
イイ感じに、絶妙に緻密に繊細に
美しく織り交ぜていく
というタイプの人間なので、
ワイの課題は
「美しさ重視」と「楽しさの共有」を
イイ感じに織り交ぜていくことなのです
コードで演奏できる部分はできる限り簡略化して、
旋律がイイ感じの部分も同様に、大切に取り入れる。
自分と他人が和合すること(調和の精神)
自分の意識と他人の意識が0ポイントで均衡を保つこと。
主観と客観を自分の中に同時に持つこと。
こーゆーものがワイは好きなのです。
こーゆー感じの世界観にワイは惹かれるのです。
そして、何度も書いてるけども、
今後、どんな展開へ広がっていくのか、
それはワイには分らない。
なぜなら、
これは壮大なる
超凝り性な人間による
「ただの遊び」
何の価値も生まないw
何のイノヴェーションも起こさないw
何の利益ももたらさないw
誰も救えないw
1ミリも役立たないw
何の社会貢献もしないw
ただ、楽しさのためだけの、
究極の贅沢
(貴族的じゃのぅ~w)
ワイはワイの尊敬する夢のお方と
演奏するにあたっても、ワイは、
一切の取引をしない。
一切の夢・目標を立てない。
一切の見返りを期待しない。
一切の結果を求めない。
一切の未来のキャリアなんてどうでもいい。
ただ「好きなこと」を共有し、
その瞬間を楽しむ、
それこそが唯一の目的。
サイコロを振るように生きる。
(もちろん自我がサイをふるのではなく、
真我に振らせるのだ)
一瞬、一瞬を
味わうように。
感じるように。
満たされるように。
それだけを意識して生き続けていきたい。
それが好きなことをしていくということ
そんじゃ