知識を得るほど死んじゃうもの

 

 

知識を得るほど、

頭が良くなるほど、

知れば知るほど、

 

 

 

僕らは死んでいく。

 

 

 

少しずつ、死へ向かって

進んでいく。

 

 

 

 

ひよこ侍

「え?寿命的な話でござる?」

 

 

 

 

 

ひよこ侍

「一日、一日、進めば、そりゃ、寿命に近づくでござる」

「そんなの当たり前田のクラッカーでござる」

 

 

 

知識を積むこと

 

 

知識を得ることは一見すると、

大変立派なことのように思える。

 

 

すごく役立つし、

危険も免れる。

あるに越したことはない。

 

 

だから、一生懸命、

勉強して、

立派な大人になるのだ。

 

 

 

 

がしかし、どうだろう・・・

 

 

 

アレコレ知ればしるほど、

僕らは死んでいくんだ。

 

 

 

 

知るほどに心が死んでいく

 

 

知れば知るほど、

答えがわかるほど、

結果が見えてしまうほど、

 

 

 

僕らの心の中にある「感動」ってやつは、

もう二度と、顔を出してくれなくなる。

 

 

 

すると今度は、好奇心も芽生えなくなる。

 

 

 

RPGゲームでさ、

全部のステージをクリアして、

レベルマックス99まで上げて、

すべてのイベントを経験したとき、

 

 

 

つまり、そのゲームの隅々まで、

知り尽くし、経験しつくしあと、

 

 

 

そのゲームをまだ楽しめるかい?

 

 

 

ああ、知識とはなんて無駄なんだろう・・・

 

 

 

ああ、知らなければよかったな。

 

 

ああ、バカのままなら、純粋な心は守れたはずなのに。

 

 

ああ、なんで知ってしまったんだろう・・・

 

 

 

最初の感動ってやつを。

初めての体験ってやつを。

 

 

知りすぎたヒヨコ

「あ、それね。うん、知ってる」

 

 

 

 

 

知りすぎたヒヨコ

「それはわかる。カンタンすぎて草」

 

 

 

 

 

知りすぎたヒヨコ

「はいはい、そのパターンきた。どうせ次、こーなるんでしょ?」

 

 

 

 

 

知りすぎたヒヨコ

「そうそう。わかる。それで?」

 

 

知識が前提のデータとなり

脳内を占め始め、

もともと備わっていた「感じる機能」は、

どんどん薄れていく。劣っていく。退化していく。

 

 

 

 

 

「鳥肌が立つくらいのビビビ恋愛がしたい!」

 

 

 

 

知りすぎたヒヨコ

「うんうん、わかるわかる。そのセオリーならもう知っている」

 

 

 

 

 

失敗って悪いものじゃない

 

 

失敗を免れるために、

最初にわざわざ、

準備という名の勉強を始める。

 

 

失敗した時の大損を

少しでも和らげるために、

少しでも痛みを避けるために、

少しでも不運に会わないように、

 

 

 

知識を付けて、何かに挑む。

 

 

 

すると、バカ丸出しで、

挑んで失敗して、大けがした者よりも、

あらかじめ知っていた知識のおかげで、

大損を免れた。

 

 

かしこく、スマートに、

難なく事なきを得た。

ミッションクリアだ。

 

 

 

かっこいい。

 

 

 

がしかし、

心は死んでいる。

 

 

 

 

「お前はもう死んでる」

 

 

 

 

避けられるべき失敗を避けることの代償とは、

得られるべき感動を失うということ

 

 

古今東西、人々は、

心を満たすために、

幸福になるために、

生きているというのに、

 

 

 

最初から自らの手で、

その心を殺してしまうなんて。

 

 

 

感動は今この瞬間しか手に入らない。

 

 

 

無駄な未来予測をやめてみる。

その予測に必要な知識を捨ててみる。

 

 

 

サイコロを振るように。

 

 

 

 

あなたは、この考え方が

おおバカの愚か者のように思いますか?

 

 

 

どうでしょうか。

 

 

 

追伸:

知識を得るたびに、喜びを得られる人、

好奇心が満たされる人、

感動を得る人は素晴らしい。

 

 

だって、学ぶことそのもに幸福を見出しているのだから。

(今この瞬間を生きている人だ)

 

 

 

今度は逆に、不安のために、恐怖のために、渇望のために、

何かしらの知識が必要な人、得ようとしている人は、とても不幸だ。

自分では気づかずに絶望している。

 

そんで、その努力の引き換えに、リスクを免れたり、

あるいは利益を得られるかもしれないが、

その努力の引き換えに、「今この瞬間の感動」は

もう二度と手に入らない。

 

 

だから、

「知識を得ることそのもの」は悪いことでも何でもない。

 

 

 

知識を得ることによって、

もし心が死ぬのであれば、

それほどモッタイナイことはない。

 

 

 

ということなのさ。

 

 

 

そんじゃ。