自分のこと、
あなたはどれだけ
語れる?
自分のこと
あなたはどれだけ
知ってる?
自分のこと
どれだけ理解してる?
把握してる?
扱える?
調整できる?
設定できる?
操縦できる?
相手が語る
あなたについて、
をどれだけ知ってる?
相手から見たあなた
について、
あなたはどれだけ知ってる?
自分というロボットがいて、
中にあなたの魂が入っていて、
肉体であるロボットの部分と、
魂の部分であるゴーストの部分が
一緒になって、あなただとする
(仮にそういうイメージだとする)
そしたら、
あなたはその取扱い方法を
どれくらい知ってるかい?
どれくらい上手に
操ることができるかい?
っていう感じに
想像してみたことはあるかい?
考えてみたことはあるかい?
無いなら、
一緒に考えてみよう。
自分のことを自分で知ろうとする
ってことは、
「どうやったら自分を上手に扱えるか」とか、
「自分はどういう感じの思考パターンに陥りやすいだろうか」とか、
「自分はどんなことが苦手で、どんなことが上手くできるだろうか」
みたいなことを
自分で把握すること
みたいな感じ。
それは
「めちゃくちゃ x 10の123乗」
くらい
大切なことだ
昔の偉い人、孔子は言いました、
敵を知り己を知れば100戦危うからず
これを現代風に言えば、
「相手を知り、自分を知れば、
すべてうまくいくよ!」
って感じ。
(戦いだけじゃなくて、
日常のいろいろなことを含めて言うなら)
こんな感じ。
でもさ、
「何かをうまくやりたい」
とか
「何かを解決したい」
ってなったときさ、
誰かの何かを探すよね?
本を読んだり、
誰かに聞いたり、
何か解決してくれそうなものを探したり。
それらって、すべて
「相手」の方だね。
そんで、
「自分」(己)の方を
割と、見落としがちじゃないかいワトソン君。
というか、
今までの人生において、
ほとんど「自分」について
観察し、分析し、考え、仮説を立て、検証し、実験し、
統計立てる、ということを
割とほとんどやっていなかったかもしれない。
そんでさ、
誰かの何かを得て、
何かを解決することが上手くなる。
大人になるほど、
それはうまくなる。
何かの技をたくさん会得する。
何かをすることがだんだんチョロくなってくる。
大人はどんどん賢くなってくる
(のように見える)
がしかし・・・
大人になったあなたは、
人生経験豊富になり、
仕事もできるようになり、
いろいろ賢くなったのだけれども、
「そもそも」なんでそれをする必要があったのか、
っていう問いを自分にしてみたとき、
あひゃ
(゚∀゚)アヒャ
「あ、そもそも、それ(自分にとって)いらんかったわw」
っていうコントも
よくある。
あるある。
ありすぎる。
っていうくらい、
めちゃくちゃありすぎる。
もちろん、
自分もたくさんあった。
それは、
「敵」(もしくは相手)を知ることに
フォーカスしてばかりで、
「己」(もしくは自分)を知ることに
時間を費やしてこなかったから。
そんなときは、
そろそろ、立ち止まる時が
来たのかもしれない。
今やっていることを
一旦、やめて、
自分を見つめなおす時が、
きたのかもしれない。
じっくりゆっくり、
丁寧に自分自身を
観察する時が
きたのかもしれない。
自分マニュアルを
一生かけて丁寧に作っていく。
毎日、少しずつしかわからなかったり、
昔分った部分を訂正したり、
あるいは書き直したりするかもしれないけれど、
自分マニュアルを少しずつ
作っていくのだ。
めんどくさい、と最初は感じるかもしれないけれど、
自分主体で生きていくには、
自分マニュアルは合ったほうが、
いろいろ助けてくれる。
だってさ、
自分のことに一番興味を持てるのは
自分以外の誰でもないのだから