僕の中には、もう一人の自分
「自我」がいるのだけども、
コイツが本当に曲者で・・・
すぐ刺激を求めちゃうんだよね。
心の根っこの部分では、
「本当に好きなことだけやる」
って決めているのに、
でも自我のやつが
ときどき耳元でささやく。
「でも、試しにコレもやってみようよ!」
「何も行動しないで判断しちゃうのっておかしいじゃん?」
「アレもやってみようよ!きっと今度は上手くいくよ!」
みたいな感じで、
あの手この手で、
本来進みたい道から、
別のルートへ誘い込む。
もっと安全な道、
もっと確実な道、
もっと王道な道、
もっと楽な道、
もっと違う道、
もっとお得な道、
そうやって、
あの手この手で誘惑し、
僕はまたあっちの方法、
こっちの方法みたいな感じで、
アレコレ、行動し、試してみる。
だけども、今度は、
心がブレ始める。
僕の自我は、まるで
激辛ラーメンを、辛いとわかっていて、
でもとりあえず、人生に一度は試してみたい、
そういう「怖いモノみたさ」的な、
好奇心を持っている。
そんで、とりあえず試す。
「何事も試さずにアレコレと世界を決めつけてはいけない」
そんな気がするから。
(でも本心は「それは違う」とわかっている)
で、やっぱり、
苦しくなる。
本来の道を進まず、
別のルートを進んでいるとき、
幸せじゃない。
まるで苦しい。
本心とはズレてる感覚。
心ここにあらずな感覚。
なにやってんだろう・・・的な。
だけども、そんなことを繰り返していくうちに、
だんだんと軌道が修正されていく。
だんだんと心が整っていく。
自我に振りまわされつつも、
それでも僕が安定していられるのは、
「進むべき道」を知っているから。
だからね、最初は、
左へブレて、右へブレて、
という「振れ幅」が大きいのだけれども、
何度も繰り返していくうちに、
そのブレの振れ幅が少しずつ
小さくなっていき、
やがて本来の「進むべき道」
へ軌道が修正されていく。
心が整っていく。
そんな感じ。
でもね、ときどき、
「例外的な大きなブレ」
が生じてしまう時もある。
たとえば、コロナとかね。
想定外のこととかね。
自分ではどうすることも出来ない、
大きな出来事とかね。
でもね、
やっぱり、時間がそれを解決してくれる。
だってね、
僕には「進むべき道」
が用意されているから。
これがあると、
どれだけブレても、
迷わない。
必ず、もとの道へ、軌道が修正されていく。
どこへ向かうかも、あらかじめ決まっているし、
どこへ戻ればいいかも、それが記されている。
これがある、
ということはどれだけ幸福な事か!
この真ん中の道がないと、
「どう生きていいかわからない」
という迷子状態に陥ってしまう。
この真ん中の道は「覚悟」を決めないと
目の前に現れないようになっている。
幸せになる覚悟
僕は幸せになりたい。
そのために、
もう一人の自分「自我」の
誘惑を断つ必要がある。
そして、僕は
自我が持ってくる
「幻想の夢」を捨てる。
それは本当の自分が目指したいものじゃない。
それは本当の自分が行きたい場所じゃない。
だからそれを捨てる。
すると、今度は、
ぽっかりと穴が開いたような気分になる。
「進むべき道」に戻れたのに、
今度は「どう進んだらいいか」
という、具体的な手順・方法・ノウハウ、
そーいったものが、
抜け落ちていく。
だけども、
心を整えることで、
心の羅針盤が行くべき方向を
差し続けてくれる。
そこへ行くために、
自我が船を持ってきたり、
車を持ってきたり、
自転車を持ってきたり、
あらゆる「手段」を
提示して来るのだけれども、
それらは全部、
苦しいのよ。
だって間違っているんだから。
自分で運転しなきゃいけないし、
(僕は大の運転嫌い。すっげーヘタクソ。あと怖い)
自分でガソリンを入れ続けなければいけない。
自分でメンテナンスしなければいけない。
すると今度は、
手段が目的にすり替わり、
目的がどうでもよくなってくる
(つまり「楽しさ」が消える)
アートをするのに
目的を持ち始めた途端に、
本来の楽しみは消え、
目的達成するための苦しみが生まれる。
だから、自我のヤローが
いちいち提案して来る
そのしょーもない考え(思考)を
僕は手放さなければならない。
そしてやがて、
僕の目の前には、
ヨットだけが残った。
ヨットは、唯一、
僕が漕がなくていい乗り物だった。
僕は船の中でヨットが一番好きだ。
ヨットは、風が吹けば、
勝手に動いてくれる。
僕が自力で漕ぎ出そうとすれば、
せっかくの風の力が吹いても、
その力を十分に使うことはできない。
だから僕は、
自我がオールを持ってきても、
それを捨てる覚悟が必要なんだ。
「そんなものはいらないよ」
「そんなものはなくても大丈夫」
そう優しく、自我に言い聞かせ、
僕は風が来ることを信じて待ち続ける。
風の気持ちになって、
風と一体になる感覚で、
風を感じようとする。
すると、風はやがて現れてくる。
だから、僕に必要なことは、
風とお友だちになること。
風を信じること。
風と一体になること。
そのためにまた、
暴れる自我をなだめ、
日々、自我と仲良くしていくのだ。
そんじゃ