いつも見る街の風景
いつも通りの日常
いつも同じ顔
いつも同じ声
いつも同じしぐさ
いつもと変わらない
平和な街
日常
街を歩く
少し歩くと、
目の前にある横断歩道が見える
更にその奥には歩道橋がある
そう、それは
いつもと同じ風景。
いつもと同じ町。
いつもと同じように
横断歩道を渡る。
まるで自動的に、
無意識に、
当たり前のように渡る
そして、その先にある
歩道橋を歩く人は誰もいない。
いままでその存在にすら
気づいたことが無かった
あの歩道橋を渡る人を
見かけたことも無かった
だってあれを登るのに
いったいどんな意味があるというのだろう
目の前に横断歩道があり、
誰もがそれを使う。
だって、楽に道路を横断できるのだもの
いったい、誰が、
何の目的で、
なんのために、
わざわざ息を切らして、
足腰の体力を使って、
重たい体を支えながら、
あんなに高い階段を登って、
道を横断しようとするのだろう?
いったい、それに何の意味があるのだろう?
あの歩道橋は、いつもああやって、
ただそこに存在している。
誰にも使われることなく。
いったい誰が、わざわざ、
辛い思いをして、
疲れる思いをして、
あんな背の高いものによじ登って、
道路を横断しなければ
行けないのだろう・・・
そりゃ、誰だって、
目の前の横断歩道を使うに決まってる。
奥にある歩道橋なんて使わないさ。
だから、使ってみた
あえて、登ってみた。
体力を使って、
足腰に負担をかけて、
急な階段を1歩ずつ登り、
息を切らしながら、
あの背の高い歩道橋に登ってみた。
誰も登らないあの歩道橋に
一人で登ってみた。
いつもと同じ風景
いつもと同じ顔
いつもと同じ声
いつもと同じ日常
いつもと同じ街
そして登り切ったとき、
そこには、
いつもと違う景色が待っていた
あれれ、
まったく同じ場所なのに
いつもよく通る道なのに
歩道橋から見える街は、
いつもとなんか違って見える
いつもと同じじゃない。
いつもと同じ日常だけど、いつもと違う。
こんなに景色が変わるんだ!
変わることの原動力
「変わりたいと思わない」
それすなわち、
「いつもと同じでいたい」
ということ。
現状を維持したい
いつもと同じでいい
いつもが平和だからそれでいい
変わることは疲れるもの
変わることは怖いもの
変わることはめんどくさいもの
「変わること」とは
わざわざ無理して、
労力を使って、
時間をかけて、
めんどくさいことをして、
「いつもと同じ」ではないことを
やる、ということ
それはまるで、
「あの誰にも使われない歩道橋」
のようなもの
それをあえて
「登ろう」と思えるのは、
沸き起こってくる好奇心だけ
そう、好奇心
「ああ、登ってみたらどうなるんだろう?」
「誰も登ってないのはなぜだろう?」
「登ってみたら何かかわるのだろうか?」
「上から景色を見たら気持ちよさそうだな」
好奇心が「現状」から、
「現状でないところ」へ
突き動かす原動力。
恐怖もまた、
あなたを動かす原動力。
でも、このブログでは
そーゆーのに触れないようにしている
恐怖で動かす方法は、
もう世の中にあふれかえっている。
人は
「好奇心で動く」より
「恐怖で動く」の方が、
圧倒的に簡単なのだ。
でも決して忘れないで
「恐怖」で動いた後、
必ず「副作用」がセットで
発生する。
それは誰も逃れられない。
それでも、
「恐怖を原動力とする」
ダークサイドは存在する
人は安易な方を選びたくなってしまう。
しかし恐怖の心のままでは、
「歩道橋から見る美しい景色」
を見ることはできなくなる
あなたは自由に選べるのだ。
恐怖か好奇心か
あなたにそれを選ばせているのは、
あなたではなく、
あなたの心の奥底にある何か。
そこに「安心」を埋めていこう。
少しずつ、少しずつ、
安心を入れていこう。
そうすれば、おのずと、
好奇心を選び続けるように
なっていく
さあ、そろそろ、
街へ出かけようか