好きなことなくても全然大丈夫な人がいるのは〇〇だからさ!

 

 

好きなことないよー

わかんないよぉ~

探したけれど見つからないよぉ~

ウェイウェイウェイ

 

 

 

 

とゆう、

悩めるそこの子羊よ

 

 

 

 

好きなことないなら、

人が喜ぶことをたくさんすると心が試みたされ、

生きてる充足感がマジパネェっすよ!

ヤァイヤァイヤァイ!

 

 

という、

「好きなことの見つけ方★第二章」の記事を

とーっくの昔に忘れてわすれてしもうたそこのYOU

 

 

 

 

 

つまり、そーゆーことなんだわ!

(第二章を読メ)

 

 

 

 

 

 

 

 

わ!

(2章嫁)

 

 

 

 

 

といっても、ぜーんぜん

うまくいかなかったんだけども?・???

 

 

 

 

 

と、嘆いているそこのYOUは

第3章の記事をすーっかり忘れとるんだわ

そんで、また読めばいいんだわ

 

 

 

 

そんでもって、

今日は、そっち系じゃなくて、

もう自分は平気だよ~っていう人。

 

 

 

 

別に人生苦しくはないけども、

特に好きなことも無ェ。

 

 

 

 

 

とゆー感じのYOU。

そーユー感じの世界観。

 

 

 

 

 

人に貢献することで得られる幸福感

 

 

たとえ好きなことが無くてもさ!

 

 

 

人に貢献することで得られる幸福感や充実感はハンパない。

自分の存在価値、必要とされてる感を感じられる。

 

 

 

 

とゆうことを

第二章のブログ記事で書いたのであった。かつて。

 

 

 

 

もちろん、

「人に貢献することで自分が幸せになれる」

という状態を持てるようになれば、

とても素晴らしいことだと思う

 

 

 

もし10人の村があって、

10人全員がそーゆー考え方なら、

世の中全体がどんどん

良くなっていく感じするもん

 

 

 

 

 

そんでね、

「人に貢献することがYOUの好きなこと」

だとしたらさ、

 

 

 

無理して

「私の好きなことは〇〇です!」

というこの「〇〇」探しの旅を

永遠にし続けなくていいのだもの。

 

 

 

 

 

それはそれで執着が無いから

自由度が高いって言えるのだから!

 

 

 

 

 

「私が好きなことは人を喜ばせること」

がベースにあればさ、

 

 

「私は〇〇で人を喜ばせる」

「私は△△で人を喜ばせる」

「私は□□で人を喜ばせる」

 

 

っていう感じでさ、

「何で喜ばせるか」の手段とか方法は、

別になんでも良いのだから。

 

 

 

それって自由度が高いね。

 

 

 

たとえば、私は「料理が好きだから、料理で人に貢献する」

っていう設定だと、

「事務の仕事を手伝ってください」って言われても

そんなのやりたくないもの。

だって本当にしたいのは料理なのだから。

 

 

 

 

そんで、そーゆー風に、

「1つの好きなこと」を持ってる人もいれば、

好きなこと分らなくても、

「人が喜ぶのが好き」な人もいる。

 

 

 

 

そんで、前者は手段が1つしかないけども、

後者は手段を自由に変えていける。

 

 

 

 

どんな方法であれ、

人を喜ばせることができれば、

いいわけだからね。

 

 

 

 

だからね、

「好きなことわかんなーい」

で自分責める必要は全くないし、

むしろそれって、時代や状況や環境や人間関係によって、

臨機応変に適切に「人を喜ばせるための」手段・方法を

自由に変化させられる利点になったりする。

 

 

 

 

 

そーゆー種類。

そーゆー属性?

そーゆータイプ。

 

 

 

 

そうそう、ただ違うだけなのだ。

タイプがね。

 

 

 

 

そう思えたら、

そういう属性の人の強みが

どんどん浮き彫りになってくる。

(そんで、ちなみに、そーゆー属性方が簡単にお金を稼ぎやすい)

 

 

 

 

だから、

「好きなことがないのは良くない」

 

 

 

 

みたいなさ、

なんか、いわゆる意識高い系の人たちがさ、

そんな感じの「空気感」を作るときがあるじゃん?

 

 

 

で、そーゆートークとかを見聞きしたり、

そーゆー社会が蔓延しだすとさ、

なんか自分がすげー否定された感じするじゃん?

 

 

 

でもでも、

本当はそんなの幻想。

 

 

 

 

「ありのまま」を見ていけばさ、

常にそこにあるのは

ただただ「明確な違い」が存在している、

ただそんだけなのだ。

 

 

 

 

そんで「好きなことわかんない」の

利点はめっちゃデカい。

「利点を見よう」と意識すれば、

ちゃんとその属性(タイプ)の人用の利点が

どんどん出てくる。

 

 

 

 

たとえば、軽いノリでお金稼ぎやすいし、

あと、1つのことを続けていくリスクが無くなるからね。

 

 

 

 

 

そんでどっちのタイプでも良いけれども、

自分がどのような人間であれ、

今のままの自分を「ありのまま」に見て見るの。

 

 

 

 

否定もしないし、

責めもしない。

他人の声なんかに耳を傾けない。

 

 

 

 

ただ、ありのままを見て、

そこから「己を知る」という作業をしていけばいいのだ。

 

 

 

 

だから無理に「好きなことを探そう」とかしないでいいのだ。

 

 

 

 

あなたのままで「あなた備えている利点」が必ずある。

それを「貢献」という形で「あなた以外の人(社会)」

に表現することができたとき、

「好きなことをする」と同じだけの幸福感や充足感が得られるのだ。

 

 

 

 

だからね、ただ単に「違う」だけだからね。

「好きなこと分んない」なら、そのまんまでいい。

責めなくていい。

そのまま幸せになればいいのさ!

 

 

 

 

そんじゃ。