目標も~♪
戦略も~♪
プランも~♪
志も~♪
ヴィジョンも~♪
夢も~♪
すべてを捨てて~♪♪
ガラガラポンッ!!
ひよこ「ハイ、こんなん出ました~」
すべてを捨てて激流に飛び込む
というのは暴挙なのか?
狂人のすることなのか?
絶望したものの最後の選択か?
恐怖を感じない者の自殺行為なのか?
人生をガラガラポンしちゃうことの意味
人生をガラガラポンしちゃうことの
意味を考えてみた。
ガラガラポンのモデルとは、
たとえるなら、
ポーカーをしている最中、
手持ちのカードを全部捨てて、
新たにすべてを引き直すような、
そんな行為。
そこに何の意味があるというのだろう?
いったい誰が得をするのだろう?
人生を設定する定数
「定数にする」とは、自分の人生に
なんらかの設定を設けることである。
設定した部分は定数となる。
定数となる部分とは動かない部分のこと。
固定された部分のことなのだ。
例えば、
「私の人生は幸福になること!」
っていう設定をするとする。
すると「幸福」の部分は定数となる。
ここが人生において、固定された基準となる。
すると、固定された部分から
いろいろな選択肢が生まれてくる。
たとえば、まずはじめに、
「幸福になるためには・・・」
という問いが生まれ、
幸福になるための方法という形で、
選択肢がさらに細分化されていく。
そして、選択肢の中から、
問いの答えとして、
「結婚!」という選択を思いつく人もいるし、
「お金!」という選択肢を思いつく人も出てくる。
答えは人それぞれ違ってくるね。
そんで、「結婚するためにはどうすればいいだろうか」
「お金を得るためにはどうすればいいだろうか」
という感じで、更に更に、
新たな問いが生まれ、
そしてその問いに対する答えが、
あらたな選択肢として生まれてくる。
こんな感じ↓
たとえば、ある人は、
こんな風に「幸せになる」と設定し、
その方法をどんどん細分化していく。
幸福になる!(定数)
↓
結婚する!(定数)
↓
〇〇才まで!(定数)
↓
イケメンがいい!(定数)
みたいな感じで、
この定数の部分がどんどん増えていく・・・
この定数の部分とは、
「あなたにとって譲れない部分」
ともいえるし、
執着している部分
ともいえる。
定数の範囲は人それぞれ
そんで、
定数の範囲は人それぞれ変わるのだ。
何を定数にして、
何を定数にしないか、
ということは、人それぞれ
違ってくる。
例えば、
「私は幸福になりたい!」っていう設定をしたら、
その次に、
「幸福になるには・・・まずお金を得ること!」
と考えた人がいるとする。
そんでその人は、
「お金を得るには・・・」
と更に考えて、
それに対する答えを見出す。
「え~と、ビジネスでしょ?」
「あと、投資でしょ?」
「あと、それから強盗・・・」
「あと、人からお金をもらう」
「あ、強盗という選択肢はないな(笑)」
という感じで、「強盗」
という定数は除外して、、、
ある人は「投資」を選ぶかもしれない。
また別のある人は「ビジネス」を選ぶかもしれない。
また別のある人は「もらう」を選ぶかもしれない。
何を選ぶかは人それぞれなのだ。
何を定数にするか、定数を何個定めるか
この部分の設定範囲が人によって変わってくる。
定数を定めると、範囲が狭まる
人生の設定において、
定数を決めすぎていくと、
やがて、思考や行動の範囲が定まっていく。
それは良い、悪いという話ではない。
定数が定まると、
振り子の動きがきまる。
振り子のうごきとは、下の図みたいに
赤い矢印のこと↓
定数が少ないと、動きは、
カクカクしてうごくし、
多くすればするほど、ヌルヌル動き出す。
(2ビットから16ビット、32、64…みたいに増えていく)
つまり、言い換えれば、
選択肢が増えるほど、
動きが滑らかになっていく。
「動きが滑らか」というのは、つまり、
人生の選択肢が増える、ということであったり、
選択できる自由が増える、ということであったりする。
自由な人ほど、
あれもしていいし、これもしていい。
あれも言っていいし、これも言っていい。
という感じで、自分に許可していいことが
たくさんある。
定数を変数に変える
「定数の部分を変数に変える」
というのは、
振り子の動きを
デジタルからアナログに変えること。
つまりより、自然な動きにしていくこと。
変数にするとは設定を「未確定要素のまま」にすること
もっと言い換えると、
「これをしなければならない」
という執着をどんどん捨てていき、
自分の目の前に出てきた事象(結果)を、
そのまま受け入れるというスタンス。
つまり、ガラガラポンしちゃう要素(定数)を
ランダムに選ぶのではなく、
ガラガラポンする要素(定数)すら手放して、
くじ引きの箱の中を完全なブラックボックス化にする。
そんで、ランダムに出てくる結果を
そのまま受け入れること。
「ワーイワーイ闇鍋じゃい♪」
例えば、
幸せになるためには、
「お金を得なくてはならない」
と思った人がいるとする。
その人にとって「お金を得る方法」として、
「ビジネスで稼ぐ」を選んだとする。
そしたら、
「飲食店を経営する」
「ユーチューバーになる」
「ライバーになる」
「プログラマーになる」
「マッチングサイトを経営する」
「民泊事業者になる」
みたいなたくさんの定数の中から選ぶのではなく、
それらを変数に変えるとは、
それらすべての選択肢を捨てて、
その代わり、
変数から生み出されるあらゆる結果を
受け入れる。
受け入れた上で、それらを
最初の定数である「ビジネスで稼ぐ」
に結び付けていく行為のことをいう。
そんで、複数ある定数の部分は、
言い換えれば、それらは、
「固定概念」であり「執着の部分」でもある。
その定数である部分を、勇気を出して、
思い切って、エイヤッつって、
捨てる。
そして、何が出るかわからないのだけれども、
変数が生み出してくれるランダムな結果を
受け入れていく、というスタイル。
「ビジネスで稼ぐ」という最初の定数に合わせて、
何が出るのかわからないのだけれども、
出てきた結果という、最初に予想していたものとは
「まったく別の方法という」
「新しい振り幅」へ行くことができる。
設定を捨ててランダムに任せてしまうと、
(つまりガラガラポンしちゃうと)
自由度が増える
どこまでの定数を変数に変えることができるか
どこまでの定数を変数に変えることができるか。
これには「勇気」が必要なんだな~って思う。
すごく抽象度の低い世界(具体的な世界)
に行けばいくほど、
そんなに勇気は必要ない。
だから設定を簡単に変えることができる。
たとえば、
「100円の自販機でジュースを買いたい」
という状況があったとする。
あなたは、
「アクエリアスを飲みたい!」
っていう執着を持っていたとする。
でも、なんとなく思い切って、
執着を捨てて、
なんか「?」マークが書いてある
謎のドリンクのボタンを押してみる。
そしたら、ランダムで違う商品が出てきた。
みたいなレベル。
これくらいのレベルなら、
そんなに勇気を出さなくても、
出来そうだよね。
そんで、抽象度を上げていくと、
だんだん、定数を変数にするのが、
難しくなってくる。
技術的に難しいとか、
能力的に難しいとか、
そーゆーことではなく、
ただ単に「もっと大きな勇気」
を求められる決断になってくるから。
例えば、
仕事を人に任せるとか、
自分の意志を捨てて、相手に好きなようにさせるとか、
好きな相手に愛の告白をするとか、
自分ではコントロールできない部分が
どんどん増えていく。
そんで、更に更に、
抽象度を上げていくと、
もっと大きな定数が現れる。
夢、目的、志、ヴィジョン、プラン、戦略
などなど・・・
それらもぜーんぶ、
ひっくるめて、
ガラガラポンッ!!
「って、できるかーい!」
(このボケー!)
ガラガラポンすることの意味
定数を変数にしちゃうことの意味とはなんなのか。
それは、2つある。
1.選択肢が広がる。
2.幸福度が増す。
まず1について。
あれもこれも、
設定でがんじがらめになると、
だんだん身動きが取れなくなる。
これは言い換えると、
「設定通りの生き方」
しか選べなくなる、
という側面を持っている。
そうなってくると、
自由度が減るし、選択肢も減る。
その結果、
問題解決の最適解を解く要素が少なくなるし、
臨機応変な対応とか、柔軟性に欠けてくる。
そんで理由の2つめ。
設定を増やすと、
幸福度も減っていく。
つまり、設定にばかり、とらわれすぎると、
本心が置き去りになり、
だんだん苦しくなっちゃう。
それは次の性質が原因となる。
心は動的であるのにもかかわらず、
設定は静的である、ということ。
心とは絶えず動くもの。
昨日はうれしかったけど、
今日はうれしくない。
みたいな感じで、心は
絶えず変化している。
なのにもかかわらず、
設定は「定数」であり、
揺るがないもの。
「定数」という箱の中に、
心を無理やりぶち込む。
今この瞬間の気持ちを押し殺して、
設定を優先させる。
心を設定の方に合わせる。
これをやり続けると、
心が苦しくなる。
すると、幸福度が減っていく。
ガラガラポンの世界
ガラガラポンしちゃう世界とは、
ふり幅がデカい世界なのだ。
そこには、
めちゃくちゃデカいチャンスと
めちゃくちゃデカいリスクが
含まれている。
両方を受け取る覚悟があるものだけが、
設定を外していける。
リスクを少なくする方法
ふり幅の周波数を上げていくこと。
つまり、何度も何度も、
いろいろトライしていくうちに、
リスクとリターンの頻度が増えるほど、
波が波でなくなっていく。
扇風機を高速で回すと、
すき間が無くなって、
実質、1枚の壁みたいな感じになる。
周波数を上げるとそういう現象が起こる。
簡単に言うと、
?マークのジュースを毎日飲んでたら、
なんか、もう慣れてきちゃう。
心地よさが基準?!
リスク回避のもう1つの側面があるとすれば、
それは「心地よさ」なのかもしれない。
心地の良さがすべての基準だとすれば・・・。
「心地の良さを1つの揺るがない定数」として、
それ以下のすべてを設定を変数に変えていくとすれば・・・
出る結果はすべてランダム。
底なしの自由。
ただし、選んだ結果だけは、
どんな形であれ最終的に、
最初に設定した「心地よい」
という答えに結び付いていく。
(この部分を定数として固定している限り)
そんで、ここで大切なことは、
心地よく無いものは、
リスクであり問題であり、
厄介ごとであり、
幸福でないことであり、
そのような心地よい以外の選択は選ばない。
ということ。
これはね、
ハッキリ言って、
自分でもめっちゃ怖いですよ。
ホントに。
どこまでのレベルで
これができるかは人それぞれだと思います。
自分だって、
そんな抽象度が高すぎる部分の設定は、
そんなに簡単に、変数(ガラガラポン)には
出来ないよね
だって、何が起こるかわからんし、
めっちゃ怖い。
でもでも、
少しずつ、少しずつ、
実験をしている感じでおります。
めっちゃ怖いから、
少しずだけど・・・
そんで、めーっちゃ大切なことなんだけど、
ガラガラポンした後に、
選んだそれが心地よければ続け、
万が一、不快になったらその選択を
早い段階で「損切り」する。
これはリスク回避では、
かなり大切なこと。
嫌なことを続けていくと、
嫌な二次被害を引き寄せちゃうんだよ。
(けっこうあるあるなんだなコレ)
これをちゃんとやらないと、
本当にただの酔狂な遊び、
みたいになっちゃう気がするからね。
でも、思う。
本来、こういう生き方が正しいのかも、と。
僕らは、歴史を通して、「定義」とか
「型」をどんどん増やしてきた。
そんで、定義や型を基準に生き始めた。
そしたら、心が無理やり、定義と型に押し込められ、
本来の「心の在り方」については、無視されてしまった。
そんで、これは心の問題だけじゃなくて、
「心と外部の世界で起こる事象を繋げる」
という部分が切り離されるということにつながるのだ。
(これに関しては、また過去ブログ記事を頑張って探して読んでくだされ)
今日のポイントは、
「ガラガラポン」ね。
これは面白いから、
これからもやってみようっと。
(めっちゃ少しずつだけど・・・)
そんじゃ。