安定したいと思うほど、不安になる。
安定にすがるほど苦しくなる。
もともと、この世界とは、
不安定で、流動的で、
絶えず変化し続けて、
ふわふわしている。
そーゆーものなんだから、
そーゆーものとして生きよう
ふわふわ踊るうさぎ
なんかね、この世界は、
未だない誰にも解明されていないらしい
よくわかってなし、
時代が経つにつれ、
「よくわかっているつもり」
の部分がまたアレコレと書き変わっていく
つまり、この世界は、絶えず
『ふわふわしている』
世界のもっとも頭がいい人たちですら、
なんだかんだ、ふわふわした答えしか
出せていない(とか言ったら怒られるかな・・・)
それでも世界でもっとも頭がいい人たちが考える世界は
おそらく3つくらいに解釈されている。(もっとあるかもしれん)
コペンハーゲン解釈
(をものすごくざっくりわかりやすくしたもの。多分、偉い人に怒られる)
「この世界は、なんか知らんけど、タマタマ(確率)でできてんじゃね?」
「ワシら、なんか知らんけど、生きているね~。タマタマだよね~。」
エヴァレット解釈
(をものすごくざっくりわかりやすくしたもの。多分、偉い人に怒られる)
「タマタマちゃうわ。この世界はなんでもありなんじゃ!無限の可能性で満ちているんじゃ!」
「無限の数だけ可能性の世界が生まれる」
ボーア解釈
(をものすごくざっくりわかりやすくしたもの。多分、偉い人に怒られる)
「いや、タマタマなわけあるかい。なんでもありなわけないやろ!」
「この世のすべて、ちゃんと因果関係があるわ。全部が関連しあっているわ」
「一部は全体の中の1つじゃ」
なんか不思議だけれども、この3つともすべてが、
それぞれに古くからある東洋の考え方にすごく似ている気がする
だけれども、3つとも「なるほど」って感じするけど、
でもどれ一つとして、「これだ!」っていう確証はない。
(もしかしたら将来、新たな発見があるかもしれないけれども)
ま、つまるところ、
世界はふわふわして、
安定を求めるほど不安になる。
太古に生きた伝説のジェダイの言葉を思い出す。
「ふわふわ生きようぜ」
(↑たぶん、偉い人に怒られる)
ふわふわの中をふわふわのまま生きること
それが大切だなぁ、と思うのです。
流れのままに
そんじゃ