切羽詰まってないとお金は稼げない。
逆を言うと「必死さ」とか「後がない」
という状況になると、人って、なんか知らんけど、
勝手に動き出して、勝手にお金を工面し始める。
「なんか知らんけど」はもはや本能の領域。
頭で考えるより、先に体を動かして、
何とかしようと行動する。
頭で考えるより、実際に体を動かしたほうが、
圧倒的な速さで、成果ができあがってくる。
だから結局、切羽詰まってないと、
お金は稼げない。
*ちなみに「お金をもらう」場合は、
真逆の状態にある「余裕」の状態の方がいい。
余裕をぶっこいてないとアートなんてできない。
逆を言うと、余裕がなくて、生活に困る状態のとき、
創造豊かな発想なんて浮かんでこない。
目先のお金のことで頭がいっぱいだから。
それに、笑ったり、はしゃいだり、
楽しく遊んで「何かを表現する」
なんてことをする余裕すら生まれない。
だから、余裕がないとアートなんてできない。
常に余裕をぶっこいて生きていく
世界が崩壊しようが、
経済が破綻しようが、
コロナがコロコロしようが、
僕は、常に余裕をぶっこいて
生きていく。
自分の周りが恐怖に包まれようが、
みんなが不安にかられようが、
コロナがコロコロしようが、
僕は、どんな状況においても、
「常に安心」を選らぶ
そう決める。
先に決めるから、現実が後から付いてくる。
僕は大勢の人の中では、
あんまり目立つような感じじゃないけれども、
これだけは言える。
どう考えても、
これまでの自分を何度も何度も、
振り返ってみても、僕は悪運が強い方だと思う。
(まるで見えない何かに守られているようだ)
どんな状況になろうと、
世界が恐怖に包まれようと、
世間が不安に飲み込まれようと、
僕は変わらず、好きなことをし続けていく。
変わらず、余裕をぶっこいていく。
余裕をぶっこいた先に生れる創造の世界へ入っていく。
豊かさを得る側より、豊かさを生み出す側に
この世界では「創造」という行為だけが、
豊かさを生み出すことができる。
それ以外の行為は、豊かさを集めたり、
整理したり、分配することはできるけれども、
まるで質量保存の法則が働いているかのように、
絶対量は変化しない。
豊かさは創造を通して、この世にその総量が増えていく。
創造は自分の頭の中からではなく、
「自分」という媒体を通して
世界が生み出してくれる。
そんな中、自分はどんな
「豊かさ製造機」になりたいだろうか?
って考えてみる。
僕という器(変わらない「原型」と変えられる「セルフイメージ」)
を通したとき、
世界は何を生み出してくれるのだろう?
僕の器の形はどんなものだろう?
希望
癒し
幸福
安心
希望とか、癒しとか、幸福とか、安心とか、
そーゆーのを生み出す在り方(器の形)
個人的には、そーゆー世界観的なものがステキだなぁって思うんだ。
そーゆータイプの豊かさが
世界中に充満したら、
どんなにすばらしいだろう!
その器の形(あり方)の一人に自分も含まれている、
と想像してみると、
すっごい嬉しい気分になる!
細い綱渡り
理想(イデア)と現実の
ちょうど真ん中を、綱渡りのように
歩いていく。
まるで僕に課せられた使命のようだ。
恐怖に包まれたとき、
魔が差して僕は創造(アート)を忘れ、
現実を生きる(稼ぐ)方へシフトして
しまうだろう・・・
純(理想の中にある)を求めすぎたとき、
魔が差して僕は現実を生きる(稼ぐ)を忘れ、
創造(アート)へシフトしてしまうだろう・・・
このバランス感覚を失わずに、
自分はまっすぐ歩いていかなければならない。
そのために、心の在り方自体が、
安定していること。
安心していること。
綱を板に変えていくw
細い綱を安定した広い板に
どんどん太く太くしていくこと
それは器の大きさを大きくしていくこと。
理想と現実の領域が広くなること。
自由度が広がること。
領域が広がるとは、エネルギー量が増えるということ。
領域を素早く何度行ったり来たり出来るようになるとは、
周波数が上がっていくということ。
この領域が大きくなる、と言うことは
すなわち言い換えると、
「自分だけの意識」だけじゃなく、
「みんなの意識」まで広がっていくこと。
うんにゃ、板どころか、
やがてフローリングみたいに
もっともっと幅を広く、
増やしていきたいw
僕は既に持っている原型
(巨大なデータベース「運命論」によって
あらかじめ用意されている属性)
またの名を「自分らしさ」を活かし、
そして器(セルフイメージ)をどんどん広げていくのだ。
そんじゃ