人は人
自分は自分
正しいは人の数ほどある
世界は人の意識の数ほどある
世界は無限の可能性に広がる
他人の意見はそれでOK
他人の考え方もそれはそれでOK
他人の情報もそれはそれでOKさ
それを受け入れ次へ進む
つまりもう、
人の目を気にしないってことさ
外の世界を否定しないってことさ
自分以外のことが気にならなくなるってことさ
だからこそ、
誰とも競争しないってことさ
誰も攻撃しないってことさ
自分自身とも比べないってことさ
そこから始まる新たな世界
そう、つまりそれって、
自分自身を信じるってことさ
自分自身の内側と繋がるってことさ
内なる宇宙へ入っていくってことさ
するともう、その先では、
もう他人の声は聞こえない
誰かの理論も通じない
誰の正しいもない
あるのは自分の信じる世界だけ
あるのは真我の声だけ
あるのは神様とのつながりだけ
それって勇気がいることさ
それってちょっと怖いことさ
だって誰かの正しいを捨てて、
世界の常識を捨てて、
安全な既存の道を捨てて、
まだ見たことない世界へ旅立つのだから
自分だけしか入れない内側へ向かうのだから
自分だけの世界を作っていくのだから
だからこそ、もういらないものを手放すのさ
雑音になる情報は少しずつ消していくのさ
今まで信じてきたものは捨て去るのさ
それは勇気がいることさ
それはちょっと怖いことさ
それはありえないって思うはずさ
でもなんだか、
心の奥底で声が聞こえる
きがするよ
「自分に正直でいいよって」
「大丈夫だよって」
「こっちへおいでって」
なんとなく、
証拠も根拠も論理もないけど、
そっちが正しい気がするよ
(あくまで、自分にとってという意味でね)
もし神様がいるのなら、
「最後は自分を信じろ」
って言ってくれてる気がするよ
言葉という枠を超えてしまうから、
もう言葉で説明はできなくなるけれども、
何となく心の奥の声が指し示す
「違和感」とか、「コレジャナイ感」とか、
「導き」とか、「直観」とか、「こっちだよ感」とか、
わかんなけど、ワタシ、
そーゆー「抽象度の高い感覚」に
敏感になった方が、
良いような気がしたよ
だからさ、
雑音があると、
聞こえないんだ
奥行の世界から響く
何かしらの声、
何かしらのサイン、
何かしらの気づき
ワタシそっちへ意識を向けたいからさ、
外の世界の誰かの声、
誰かの考え、
誰かの情報、
そーゆー雑音は消さないといけない
それはちょっと勇気がいることさ
それはちょっと怖いことさ
でも、無視できない何か
それはいつも常に、
内側にいる
それはいつも、
ワタシを見守ってくれている
ワタシを導いてくれている
ワタシに気づきを与えてくれる
だから、ワタシ信じます。
ワタシ繋がります。
ワタシ受け入れます
そんじゃ