良いも悪いも2つで1つ

 

 

 

悪いこと

不幸なこと

嫌なこと

不快なこと

辛いこと

厳しいこと

痛いこと

苦しいこと

怖いこと

不安なこと

鬱なこと

絶望的なこと

破壊的なこと

 

 

 

 

 

これら一切は、

なんか避けたいよね?

 

 

 

 

悪いイメージというか

「ザ・悪」って感じするじゃん。

 

 

 

恐怖とか悪とか

そーゆーのは

嫌じゃん

避けたいじゃん

 

 

 

 

ダークサイド

 

 

 

ダークサイドは恐怖の世界。

 

 

 

ダークサイドの人は、

ジェダイサイドが敵だ。

 

 

 

ジェダイサイドは光の世界。

 

 

 

 

ダークサイドの人からしたら、

ジェダイサイドはダメで

ダークサイドは〇なのだ。

 

 

 

 

「がんばらない人間なんて、お荷物だ、価値が無い」

「恐怖を忘れたら人間は絶滅してしまうから、

人々は恐怖によって動かされ続けるべきだ」

「何もしないなんて生きている価値が無い。価値を生産するんだ」

「生産するために競争せよ。場合によっては相手を排除するのだ。だってそうしないと勝てないのだから」

 

 

 

 

そんな感じで、

ダークサイドには、ダークサイドの考え方がある。

ポリシーがある。

 

 

 

 

ダークサイドにとって、

自分のポリシーに反する考え方は、敵だ。

 

 

 

 

厳しくないのもダメだ。

恐怖心が無いのも良くない。

がんばらないのもいけない。

 

 

 

 

だからこそ、それとは反対のことを言う

ジェダイサイド(光の世界)は敵だ。

 

 

 

 

 

良くない対象だ。

ジェダイこそ悪だ。

 

 

 

 

 

ダークサイドVSジェダイサイド

恐怖 VS 好奇心

闇 VS 光

 

 

 

 

ジェダイを殺せ

ジェダイを駆逐しろ

 

 

 

 

それこそ悪って感じ!

筋が通ってる!

 

 

 

 

うん、確かに筋は通ってる!

 

 

 

 

 

光の世界

 

 

 

光の世界の人たち、あるいはジェダイサイドは、

好奇心とか、喜びとか、

楽しさをとても大切にする。

 

 

 

ワクワクとか、癒しとか、

リラックスとか、ありのままに振る舞うこととか、

そーゆーのも大好きだ。

 

 

 

 

何もしなくてもいいんだよ

何もできなくても大丈夫だよ

何もなくても怖がらなくていいよ

何も知らなくても平気だよ

 

 

今のままでいいよ

何もしなくていいよ

何も足さなくていいよ

がんばらなくていいよ

 

 

 

 

大丈夫

大丈夫

大丈夫

 

 

 

安心や愛情で包まれている。

 

 

 

とても「いい雰囲気」を持っている。

理想郷的にすら思える。

 

 

自分ばかりが、

こんな風にお花畑的なきれいごとばかり

言っていたら、

誰かや社会に対してなんだか悪い気もする。

ちょっぴり罪悪感を感じる。

 

 

 

 

でも!

 

 

 

 

心地いい

惹かれてしまう

魅力的だ

優しい

暖かい

ウレシイ

自分の居場所が感じられる

 

 

 

 

 

光 VS 闇の罠

 

 

光の住人たちは、

ダークサイドの住人たち同様に、

 

 

 

光 VS 闇

 

 

 

という感じで敵対するのだろうか。

 

 

 

まるで勧善懲悪のハッピーエンドの

ハリウッド映画のように、

 

 

光が正しくて

闇が間違い

 

 

光が〇

闇がx

 

 

光が正義で

闇が悪

 

 

と言う風に対立するのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんにゃ

 

 

 

 

 

そーではない。

対立ではない。

対立しない。

 

 

 

 

光の人たちにとっては、

全部を受け入れ、

全部に〇をつけていくのだ。

 

 

 

 

闇の人たちが、

ダークサイドが正しくて、

ジェダイは悪だ!

と言うのはとても

筋が通っているし、

それはそれでよい。

 

 

 

 

こんな感じ↓

闇 > 光

 

 

 

 

でもでも、

光の人たちがもし、

闇の人たちを否定し、

闇を悪、光が正義、

ってやったとしたら、

 

 

それは闇の人たちの考え方と

本質は全く一緒。

 

 

こんな感じ↓

光 > 闇

 

 

 

 

 

それは罠だ!

 

 

 

 

それをした瞬間、

光の人は、闇の人に切り替わる。

闇の人と同じ「考え方の構造」を持つ。

 

 

 

 

そう。

〇✖思考

ってやつ。

 

 

 

だからね、ほんと―はね、

光の人はね、

「光の人の考え方の構造」

を持っているんだ。

 

 

 

 

それはぜーんぶに

丸をつけていくこと。

 

 

 

 

それもいいよ

それでもいいよ

あれもいいよ

これもいいよ

もーなんでもいいよ

 

 

 

ぜーんぶ受け入れていくよ

(ありのままにね)

 

 

 

 

 

それは光の人が、

闇になることではない。

闇を容認することでもない。

闇を擁護したり支援することでもない

否定することでもない。

 

 

 

 

闇は闇として、

それはそれとして、

ただ受け入れる。

 

 

 

そのまま見つめる。

そんだけさ。

 

 

 

それでもなお、

「自分はやっぱり光のほうが良いな」

つって、光の方を選んでいくのだ。

 

 

 

 

ダークサイドに手招きされても、

恐怖を植え付けられそうになっても、

嫌なこと、苦しいこと、不快なことをされても、

 

 

 

 

それでも自分は、

それに対抗したり、敵対せず、

 

 

 

 

「でもね、やっぱり、自分は

光の方へ行くよ」

 

 

 

つって、自分が

「光の住人になる」って

決意すること。

 

 

 

 

 

ただ、選ぶだけ。

ただ、決めるだけ。

 

 

 

 

 

どっちの世界で生きたいか、

それだけは自分で決められる。

 

 

 

 

 

闇 ≠ 悪

 

 

そんでね、ダークサイドは、

闇とか恐怖の世界だけれども、

 

 

それは「闇=悪」

では決してないということ。

 

 

 

本当は「善・悪」は

この世に存在しない。

 

 

 

「善悪」とは、人間の感情によって

勝手に2つに分断されただけの概念であり、幻想だ。

 

 

 

 

その証拠に、

善悪は立場や時代や前提となる定義(倫理とかね)

が変わると、その見え方が180度変わってしまう。

ひっくり返る。

 

 

 

だからね善悪は幻想だ。

 

 

 

 

ダークサイド=悪ではないのだ。

 

 

 

 

恐怖を良いとするか、悪いとするかは、

その人の見方によって変わるのだ。

 

 

 

 

だから「恐怖を感じなければ人類は絶滅してしまう!」

というダークサイドの住人の考え方もあっていいのだ。

 

 

 

 

それはそれであっていい。

それはそれで尊重する。

それはそれで勝手にやってくだされ

 

 

 

 

でもね、闇も恐怖も否定しない。

 

 

 

 

否定すると、それが消えてなくなるどころか、

逆にどんどん大きく成長していくの法則

(↑これは何度か、同じことを他の記事でも書いている)

 

 

 

 

そんなことよりも重要なのは、

あなたは光か闇か、自分の好きな世界を選べるということだ。

またその判断を、善悪という幻想によって

惑わされなくても良い、ということなのだ。

 

 

 

 

だってね、

いつだって

心の中のコンパスが

あなたにぴったりの答えを

教えてくれるのだから。

 

 

 

 

そんじゃ。